将来に希望をいだけるような点が全く感じられない
夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み返している。多彩な言葉づかい、漢語や当て字がおもしろい。
「爺々臭い」という表現を見つけた。「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね」(新潮文庫p.24)。ルビはじじいとなっている。
日本語表現を論じる本では、「じじくさい」は誤りで、「じじむさい」が正しいと書いているものが多い。そうかなあ、どっちでもいいじゃんと思っていたので、この漱石の用例は、わが意を得たりである。じじむさい正統派への反論の根拠になる。
手元の国語辞典を引いてみた。
『三省堂国語辞典』の「じじむさい」の項は、「①(年寄りじみて)きたならしい。②じじいのようだ。じじくさい。」となっている。 じじくさいを語釈にあげている。じじくさいを誤りとはしていない。「じじくさい」という見出し項目はない。
『新明解国語辞典』(第七版)を引くと、こうあった。
将来に希望をいだけるような点が全くと言ってよいほど感じられず、いかにも年を取りすぎたと思われる様子だ。「還暦を迎えたばかりなのに、ひどくじじむさいことを言う」
なんだこりゃ、と思わずのけぞってしまった。ここまで言うこともあるまい。これほど強烈な意味で用いてはいない。将来に希望がいだけるような点が全くと言ってよいほど感じられず・・・、ま、そういう人もいるだろうが、ぼろアパートに住まうぼろぼろの独居老人を蔑んでいるかのようである。
念のため、以前の版(第六版)の「「じじむさい」を調べてみた。
①きたなくて、近寄るのも いやな感じだ。②はなやかな所が無くて、年寄りじみた感じだ。
まあ、これならふつうだ。以前の、山田主幹がご健在のころの『新明解』なら、独善的で強烈な語釈はありうるが、第七版でこのように語釈を変えるとはいったいどういうことだろう。まるで、山田主幹の亡霊がよみがえったかのようである。
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