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2015年6月 1日 (月)

棹は三年 櫓はムニャムニャ

船徳」は若旦那が船頭になる古典噺である。季節は夏、四万六千日あたりに演じられることが多い。先代桂文楽の「四万六千日、お暑い盛りでございます」とのマクラが知られている。

 この噺には「棹は三年、櫓は三月」ということわざが出てくる。立川こしらが「棹は三年、櫓はムニャムニャ」とやったことがある。客席から失笑が起きた。ごまかせないと思ったこしらは「櫓はなんでしたっけ」と客席に問いかけた。すかさず「櫓は三月」と声がかかった。

「そう、三月でしたね。でも、なんで三月なんですか。棹に比べて短い。櫓の方が易しいのですかね」と語って噺を続けた。

 棹といえば、水郷をのんびり棹さしていく船頭さんのイメージが浮かぶ。とりたてて難しいとも思えない。櫓より棹の方が易しいように感じる。

 ところがそうでもない。大量の荷物、たとえば米俵をいっぱい積んだ船を操るにはかなりの技量と力がいる。

 川田順造さんの『〈運ぶ人〉の人類学』の中にそのあたりの話が出てくる。川底に棹を突き立てて船を進ませるわけだが、棹を突き立てる角度と押すタイミングが難しい。川底か岸壁に棹を差し、反対の端を胸にあてる。からだごとぐいと押す。踏ん張ると船は動く。そのまま船の上を歩くようにして船を後方に推しやる。

 突き立てる棹の角度に工夫がいる。角度をつけすぎると、力が入らないし、歩く距離、つまり推進力も少なくなる。場合によっては、棒高跳びのような棹づかいになってしまう。さらに方向をしっかり見極めておかねばならない。

 船を岸に着ける際にもタイミングをうまく図る必要がある。棹を川底に押し当てブレーキをかける。そして岸に船を近づけるよう棹をつかう。かなりの熟練を要する。だから、棹は三年となる。

「船徳」では、早々に棹を流してしまう。櫓をなんとかあやつるのだが、うまく船を岸に着けることができなくなってしまう。若旦那は、切羽詰まって「もうひとり船頭を雇ってください」と叫ぶことになる。

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