明治77年 戦後70年
明治は44年続いたが、私はときどき明治77年という言い方をしている。明治の体制は大正を越えて昭和20年の終戦まで続いたという意味である。
明治維新により幕藩体制は消え、新たな国家づくりが始まった。体制のリニューアルである。明治維新は明るく希望に燃えたように描かれることが多いが、影の部分もあった。
サニーサイドは司馬遼太郎が描いた。その象徴が『坂の上の雲』である。ダークサイドは、島崎藤村の『夜明け前』である。
中年を過ぎてからの明治は暗部が露呈していく。藤村の予感が具体的になっていく。軍部の暴走もその延長線上にある。侵略の一方で国土は焦土と化した。ポツダム宣言受諾により、明治体制は終焉を迎えた。
77年。人の命ほどの長さである。
共産主義体制を続けたソビエト連邦は、およそ70年で崩壊した。ひとつの体制はそれぐらいしか続かないのかもしれない。
徳川時代は270年続いたぞ、という反論もあろう。しかしつぶさに分析すれば人の命ほどの繰り返しと見ることもできる。
家康のころ床が抜けるほどあった金銀は、三大将軍・家光の時代となると、金銀は底をつき始めた。家光は散財した。東照宮をつくり、十回も日光に詣でている。上洛も確か三度している。何万もの侍を引き連れていくわけだから、莫大な費用がかかる。宿泊費、旅費、道路整備など、いかほど掛かったか、ちょっと想像がつかない。家光が亡くなったのは1651年。以後、財政引き締め策がとられた。明暦の大火により焼失した江戸城の天守閣も再建されることはなかった。改鋳により財政再建を図った。慶長小判から元禄小判に改鋳されたのが1695年。以降、改鋳は幕末まで繰り返された。
そして三大改革。亨保の改革(1716年)、寛政の改革(1786年)、天保の改革(1841年)、60年ほどのインターバルである。これも人の寿命に似ている。
ということで、もうおわかりだろう。戦後70年である。そろそろ戦後の寿命が尽きるころである。戦後レジュームからの脱却を目指すという政治家がいるけれど、そうではなく、政治、経済、環境などの面で、パラダイムの変更を余儀なくされるような時代にシフトしていくのではないか。
そんな漠然とした予感がする。
« 誰のおもかげか | トップページ | シネマ歌舞伎 三人吉三 »
「歴史」カテゴリの記事
- 志賀の都の山桜(2026.04.03)
- あの8月15日(2025.11.16)
- 岡上古道を歩く(2025.10.04)
- 「十一人の賊軍」(2024.11.10)
- 登戸研究所 「雑書綴」の展示(2020.02.14)


もうこの体制は終わってますね。死臭漂う中ではしゃいでいるのが、幼怪安倍というわけです。この男は戦後70年どころか明治以来の日本のカルマを我々に突き付けているわけで、この150年がなんだったのかという気がします。
投稿: けやき | 2015年7月16日 (木) 09時07分
けやきさん、久しぶりですね。
ここ数年内にパラダイムの変更を余儀なくされる事態となるような予感がします。
この件については改めて書くつもりです。
投稿: 放心 | 2015年7月16日 (木) 18時13分