ダブル親子会 弟子つながりだった。
ダブル親子会と称する落語会に行ってきた。瀧川鯉昇と瀧川鯉八。立川談笑と立川吉笑。この組み合わせは珍しい。なぜこういう組み合わせになるのか。
鯉八を聴くのは初めて。もったりしたマクラから、訳のわからない噺に入った。演目は「おはぎちゃん」。明るく、おはぎちゃーん、と呼ぶと、けだるく、ハーイと応える。これが繰り返される。客席に、どろんとした空気が広がる。
ここでわかった、このダブル親子会の組み合わせ理由が。鯉八・吉笑、ふたりの弟子の芸風がシュールなのだ。
鯉八の噺は、オチのないナンセンスマンガのようである。笑えない。訳のわからない抽象画、よく言えばピカソか。あとで、師匠は、ウチは放任、自然放牧ですからと語っていた。
一方、吉笑の芸もわけがわからないところがある。マクラから本来の演目に入ったと思っていたらまたマクラにもどる。これはちょっとうんざりする。今回の演目は「ぞおん」。以前、聴いたことがある。絶好調の状態になることを、ゾーンに入ると言う。球が止まって見えるとか、遠くの的が鮮明に見えるとか、たとえは妥当ではないが、覚醒剤をやったときの状態である。
ありえないシュールな世界を語るのが吉笑の芸風である。こちらはサルバトーレ・ダリか。本寸法の弟弟子の笑二とは大違い。
それにしても、鯉八の、おはぎちゃーんは耳に残る。途中で、おはげちゃーんと叫べばいいのにと思った。師匠の鯉昇は禿頭である。
談笑と鯉昇はさすがトップクラスの芸。手堅く「お化け長屋」と「茶の湯」を演じた。談笑の「お化け長屋」、部屋を借りにくるのをお化けが出るといって断る噺である。威勢のいい乱暴な男が登場する。オチで、この男が「らくだ」の馬さんですと締めた。なるほどそれらしい乱暴なキャラであった。
ついでのひとこと
帰りの電車で、あす発売の「週刊文春」の中吊広告を見た。「小泉進次郎が●いた復興庁の女」とある。伏せ字になっているところがわからない。今朝の新聞広告で、●は抱であることがわかった。なんだ、その程度のことか。
進次郎は独身である。色ごとがあってもおかしくない。堂々と、「私は、性的安定性は確保しております」ぐらいのコメントをすれば、万雷の拍手を浴びる、かもしれない。
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