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2015年11月16日 (月)

敗者を畏れよ 

 

京都ぎらい』は、京都郊外の嵯峨(今は市内だが)に生まれ育った著者・井上章一が、洛内(京都の中心部)の人間を批判したというか、からかった著作である。

 巻末あたりに嵯峨の天龍寺について触れた部分がある。天龍寺は後醍醐天皇の怨霊を鎮魂するために足利尊氏が建てた神社である。日本には、怨霊を畏れる魂鎮め(タマシズメ)の伝統があったが、いつのまにか敗者(死者)を畏怖する気持ちが薄れてきてしまっているのでないかと書いている。この見解には同感する。近代化にともなって怨霊を畏れる風潮は薄れてしまっている。

 霊鎮めで誰もが思い出すのは天神様であろう。今は学問の神様となっているが、菅原道真の祟りを畏れ、魂鎮めのために建てられた神社である。

さらに遡れば大国主命もそうである。国譲りが無血譲渡であったとは片腹痛い。ものすごい闘いがあったはずだ。あるいは陰謀による虐殺といった事態だったかもしれない。大国主の次男は大和朝廷に反対し、信州にまで逃げ、捕えられている。

 出雲大社は大国主の霊を鎮めるための神社とするのが、妥当な歴史解釈であろう。霊幽界に大国主を封じ込めたのである。カモフラージュは縁結びである。

 もひとつ思い出した。将門の首塚だ。怨霊を畏怖するモニュメントとして現在も大手町のビル街の一角にある。

 梅原猛は、天龍寺のアナロジーとして法隆寺が聖徳太子の怨霊を封じるために建てたとする説を唱えた。真相はわからないが、それなりの説得力はある。

 

 といった魂鎮めの例はゴマンとある。このあたりのことは改めて書きたい。

 おごれるもの、マクラを高くして眠るなかれ!

 敗者を畏れよ

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