「それでも僕は帰る」数年前のシリア
国家は国民を幸せにするため存在する。そうあるべきだが、現実はそうでもない。国民を抑圧するという側面もある。暴力的に国民の財産を収奪する場合もある。基本的人権などまったく無視することもある。
そうした状況から脱しようと闘いが起きる。闘いは熾烈となり、国土が瞬く間に荒廃する。国家として体をなさなくなる。
シリアはまさにそんな国になっている。国内外の難民は人口の半分を超えてしまっている。遠く日本にいると、その大変さは伝わってこないが、自分自身が難民になったとしたらと考えると、その心痛は鋭く響いてくる。
今回、しんゆり映画祭で上映されたドキュメンタリー映画は一本だけだった。「それでも僕は帰る」。数年前のシリアを記録している。
シリアは宗派としては少数派であるアサド政権が国を牛耳っている。それに反発する勢力が「アラブの春」に触発され、反政府活動が巻き起こった。
平和主義者だった一人の青年・バゼットが、銃を持ち、民主化運動のリーダーとして立ち上がる。
2011年から12年あたりを撮っている。今から3、4年前である。舞台はホムスという都市。ビルは破壊され、壁には銃痕が残る。とても人が住めるような場所ではなくなっている。20年前のサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)状態である。
撮影も命がけである。銃弾が飛び交う中、青年たちの闘いを撮る。被弾し、倒れるシーンもある。劇映画のアクションシーンのように一瞬思ってしまう。迫力がある。
バゼットが足を撃たれるシーンもある。ひどい怪我をするが、数ヶ月後には足を引きずりながら、闘いの現場に帰っていく。
闘いという非日常的な暮らしが日常になっているとは、つらい。
繰り返すが、これは3、4年前を映したドキュメンタリーである。このあとイスラム国(IS)がシリアに流入してくる。いまは三つどもえの戦闘となっている。現在のホムスはどうなっているのか、わからない。さぞや、と思うだけである。
国は国民の生命・財産を守るために存在する。当然、そうあるべきなのだが・・・。
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