「裁かれるのは善人のみ」
アルテリオ映像館で「裁かれるのは善人のみ」を観てきた。
監督はロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ。「父、帰る」などで高い評価を受けている。
シリアスだけどおもしろいというべきか、おもしろいけどシリアスすぎるというべきか、重い映画だった。
ヨブ記を連想させる。神は無慈悲にも善良なヨブに死以外の業苦を与えた。主人公コーリャはヨブである。
海岸に面した寒村。コーリャは自動車修理工、妻と息子とつましく暮らしている。市長が彼の住む土地を安く手に入れようとする。裁判沙汰となり、彼はモスクワにいる友人の弁護士に依頼しするが、判決は思わしくない結果となった。弁護士は市長の悪事をあばき、市長に手を引くよう迫る。これはそこそこうまくいく。
ところが、友人の弁護士はコーリャの妻リリアと関係を結んでしまった。これが知れることになり、コーリャと弁護士は殴り合いとなる。あれこれあるが、苦悩する妻は死を選んでしまう。自殺であったが、コーリャは妻を殺した容疑で逮捕されてしまう。
こういった物語である。市長室の壁にはプーチンの肖像写真が掲げられているから現在のロシアを描いている。
この海岸の村にはにぎわいがない。海には廃船が浮かび、鯨の骨も放置されている。住民はビールのようにウオッカを飲んでいる。酔っぱらい運転もあたりまえ。市長以下役人は権力構造に巻き込まれている。ロシア正教の教会も同様である。
アナタは結末を知りたいでしょ。言うわけにはいかないけれど、タイトルにあるように「裁かれるのは善人のみ」でご想像いただきたい。
コーリャは惨めな状況におかれるのは先述したようにヨブを思わせる。実際、映画でもヨブの話題がでてくる。
ロシア正教の司祭は、真実は神とともにあると教えを説く。
彼は妻を殺してはいない。事実を観客は知っている。だからこの司祭の説教はしらじらしい。そのしらじらさを明らかにすることで、ロシアの現状を暗に批判している。
ということで、ポップコーンを食べながら観るような映画ではない。海辺の荒涼とした情景が印象に残る。
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