『日本精神史』(上下)を読む
『日本精神史』(長谷川宏)をトロトロと読んできた。上下巻で1000ページになる大著である。
精神史というのがよくわからない。著者は、政治や社会の動きとは異なる人びとの意志、心情、観念といったものをとらえたかった、書き進むうちにそれは、宗教意識、歴史意識、倫理意識、美意識という四つの型に類別されるように思ったと書いているが、ま、深く考えなくてもよいか。文化・思想史と言い換えてもさほど外れてはいない。
テーマ別に38章でできている。「三内丸山遺跡」に始り、以下 「火炎土器と土偶」、「銅鐸」、「古墳」と続き、下巻の最後が「鶴屋南北『東海道四谷怪談』」となる。
思索の材料としたものは、美術、思想、文学であるが、対象となるものはモノが多い。目に見える建造物、造形物、美術品など。後半になると文学作品が多くなるが基本はモノである。
内容は、思っていたほど難しくない。著者は哲学者だし、「精神史」などとあると難解な内容を連想するが、わかりやすい。すらすら読める。すらすら読めるが、読んだ端から記憶の網から漏れていってしまうのはこちらがザルあたまのせいである。それでもいくつかは荒い網に残った。
ひとつ採り上げると「仏教の受容」。仏教が伝来したのは6世紀と知っているが、どのように伝えられたかとなるとさしたる知識はない。僧侶が来たのか、どの程度の教典がもたらされたか、仏像は、曼荼羅は、となると、わからない。どんな思いでそれらを受け入れたのであろうか。
お経ではなく、モノ、仏像、阿弥陀仏の像にわれわれの祖先は引きつけられたようだ。具体的なもの、人間の形をした仏さまの像に感動した。後光の射すような美しい仏像に惹かれた。
もちろん仏教を受け入れる派と拒絶する派に分かれ、政治紛争の材料にされたことは歴史教科書の通りで、結果的には受容派が勝利したわけだが、モノに対する畏怖や感動が日本人の心を揺さぶったことは間違いなかろう。
というようなことをつらつら考えさせてくれる。知的好奇心を満たしてくれると同時に新たな知的好奇心を刺激してくれる。そんな本である。
で、結論。日本人は何に心を動かされてきたのか、それを描いている。
もうひとつ、唐突だが、『伊勢物語』が読みたくなった。
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