正義と皇帝ペンギン
数年前、いや、もっと前か、サンデル教授の「白熱教室」が話題になった。その著作『これからの「正義」の話をしよう』もこの手の哲学的な本にしてはベストセラーになった。わたしも読んだ。
おもしろかったけど、ちょっと違和感もあった。その議論にではなく、正義という用語についてである。
正義はJusticeの訳である。訳語として間違ってはいないが、正義といえば、私などは「正義の味方、月光仮面」を連想してしまう。正義によいイメージはない。振りかざしたりして権威的である。独善的にして偽善的、さらに不寛容。正義とはイヤなものというイメージながつきまとう。
Justiceは、公正、公平性と訳することができる。サンデルの著作の正義は、公正さと訳したほうが妥当だし、日本人にはわかりやすい
知らなかったのだが、法哲学の分野では、正義は当然の用語として使われている。「正義論」とはちゃんとした学問分野なのだそうだ。でもなあ、Justiceは公平性と訳した方が日本人にはわかりやすいと思う。
話は突然変わる。皇帝ペンギンは極寒の中で抱卵する。卵を股ぐらに抱いて温める。外気に触れればたちまち氷り、卵は死んでしまう。その対策として、たくさん寄り集まって外気に触れさせないようにしている。この光景を写真やテレビでご覧になったことがあるだろう。何百頭(鳥だから何百羽か)もがかたまりあって寒さをしのいでいる。あの集団の中心部の温度は外温と20度以上も違うそうだ。真ん中は温かいから抱卵には適している。
では、いちばん外側にいるペンギンは不利になるのではないか、真ん中に行こうとして争いが起きるのではないかという疑問が持ちあがる。実際は何も起きない。
あれはじっとしているのではない。ゆっくり歩いている。歩きながら渦巻き状に真ん中に移動しているのだそうだ。上から見ると対流状に動いている。真ん中に行くと今度は外に向かって歩く。だれが決めたわけでもなく、リーダーもなく、この動きを続ける。騒動は起きない。こうすれば全部の卵がふ化する可能性が高い。ペンギンたちは本能的にそう理解しているのだ。
公平、公正である。皇帝ペンギンの英知である。利己的でも利他的でもない。
これぞJustice、公正である。
正義論も皇帝ペンギンの例で説明してもらうとわかりやすい。サンデルさん、あるいは法哲学のセンセイ、いかがでしょうか。
ついでのひとこと
宝塚歌劇団の出待ちを見たことがある。宝塚ファンが出てくるスターを待つ際、何列にも並ぶ。最前列のファンはリーダーの指図で最後列に移動する。整然としてこの行動が繰り返される。見事なものである。公平である。皇帝ペンギンのようである。
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