妖怪 はぢっかき
便座のふたが閉まっていると、ちょっと緊張する。開けるとなにかが飛び出てくるのではないかと恐れるのだ。
ばからしいと思われるだろう。自分でもばからしいと思うが、一瞬、身構える。ふたが開いていて水が見えていると安心する。
ヒトは自然現象を恐れてきた。暗闇も恐れた。大人は子供に恐怖心を憶えさせるようにした。それは危険ゾーンに行ってはならないという教えであったが、子供は恐怖の感情を抱き、そして成長した。
妖怪というものの多くはその恐怖心を具体的な形にしたものである。古代から妖怪はヒトのまわりに出没した。とりたてて危害を加えたりはしない。わざわざ驚かすこともない。そっと柱の陰から覗いていたり、暗闇を歩き回ったりした。妖怪は生き続け、その数を増した。そして水木しげるになって最盛期を迎えた。
私のそばにも妖怪がいる。ザワワと名付けている。サトウキビを揺らす風のように、ザワワと音を立てて耳元をすり抜けていく。ときに胸を突き抜けていくこともある。背筋を撫でるときもある。音だけの姿かたちのない妖怪である。
「はぢっかき」という妖怪がいる。むかしからいた。絵のとおり、太っていてユーモラス。頭に手をやっているのは頭を掻いているのか、からかいや非難を避けようとしているのか。
恥をさらして、恥ずかしいという感情がこのような妖怪になったのか。愛嬌があるところがよい。恥も中和されるようである。
「ねずみ男」という妖怪がいる。いまは「平成のねずみ男」がやり玉にあげられている。恥をさらしている。マスコミに乗じてとやかく言うつもりはない。身から出た錆ではあるけれど、こう四面楚歌となれば気の毒な気もする。
はぢっかきのワッペンを胸につけ、えへへと笑えば、いくぶん追及の手を緩めてくれるかもしれない。舛さん! 参考まで。
ついでのひとこと
舛添さんの集中審議で、美術品を政治団体の資産として計上していなかったことが問われた。資料代として計上したとのことだ。これはあきらかに不適切。美術品は償却資産かそうでないかは金額によって異なるが、資産であることには変わりはない。資産の評価額は適切に変更することができる。その資産があるかぎり、価値ゼロと評価しても、備忘価格(たとえば十円)を計上するのが会計の原則で、経理に携わった人、会計士、税理士なら常識である。公私混同と判断されても致し方ない。
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