「帰ってきたヒトラー」 現在に甦ったら?
イオンシネマで「帰ってきたヒトラー」を観てきた。夏休みのこの時期、シネコンといえば、アニメかスペクタクル大作と相場は決まっている。それをかいくぐっての小品である。たまにこういう地味な映画も上映される。
ヒトラーが現代によみがえったという内容である。タイムマシンものでも戦争ものでもない。ごく普通にヒトラーが70年たった現在にやってくる。
みんな本物のヒトラーとは思わない、当たり前だが。反応はさまざま、ファック!
と指を立てる者もいれば、複雑な顔をする人もいる。たいていはにやにや笑う。もちろんヒトラー自身も戸惑う。その戸惑いぶりが可笑しい。
テレビ局を干された男が、これは売りものになるとテレビ出演にこぎつける。これが受けた。視聴者はもちろん本物とは思わない。なりきり芸人の登場を拍手と笑いで迎える。当の本人はまじめにドイツ国民を鼓舞する演説をする。いまの日本なら田中角栄か。ま、そのー、とダミ声で列島改造論を語るようなものだ。
七十年もすれば評価は変わる。許せないという人もいれば、喝采を叫ぶ人もいる。怖いもの見たさで関心を寄せる人もいる。
ある事情で、ヒトラーはテレビに出られなくなる。このあたりから事態は急展開する。ラストはちょっと複雑。ドキュメンタリーをつくっているのだが、それがやらせの演出であることを明らかにする。観客はちょっととまどう。「FAKE」を思い出す。今村昌平の「人間蒸発」まで想いは及ぶ。「人間蒸発」といっても若い人はわからないかもしれないけど、ここで説明するのは省く。
映画は、現在の移民反対、難民排斥のデモを映し出す。ヒトラーの民族差別は、現在でも別の形で続いている。かつての時代風潮と相似形である。
好機到来、と民族差別の信奉者は感じているかもしれない。
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