フォース・プレイス ぼんやりすることの効用
以前、サード・プレイスについて書いた。家庭、職場に継ぐ第三の場所。インフォーマルな集いの場がサード・プレイスである。サード・プレイスがあるなら、その延長で、第四の場所、フォース・プレイスもある。
独りで自由にいられる、孤独になれる場所。そんな空間が人生には必要だと思っている。ぼんやりできる、引きこもっていられる空間である。
バーの片隅でひとり飲んでいる。通勤電車の中(スマホや読書をしているときは除く)でただ車窓を眺めている。喫茶店でぼんやり音楽を聞いている。ひとによってはトイレの中でもの思いにひたっている。ぼんやりタバコを吸っている。
言ってみれば、心を放った状態。放心ね。当ブログのタイトル、放心流は、そんなところからきている。
生産的ではないが、これがけっこう有用なのだ。リフレッシュできる。ぼんやりするのは、発酵の場所、時間といってもよい。引きこもりの効用ですね。
ヒトは無意識のうちにそんな空間、フォース・プレイスを作っている。
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