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2016年10月25日 (火)

『唐牛伝』  佐野眞一 久しぶりのノンフィクション

 

 先々週の朝日新聞の書評欄に『唐牛伝』が載っていた。そうか、久しぶりの佐野眞一だ。

 佐野眞一は筆禍で休筆を余儀なくされた。三年ほど前か。本書の冒頭で、筆禍は自分に傲慢さがあったからだと、反省を記している。

 で、本書。若い人は唐牛健太郎を知らないだろう。私だって若くはないけど名前ぐらいしか知らない。60年安保のときの全学連委員長である。意外に活動期間は少ない。その名は、国会前で亡くなった樺美智子ほどには知られていない。安保後、右翼の大立者である田中清玄から活動資金をもらっていたことが明らかになって、物議をかもした。そしてマスコミから消えた。

 本書のサブタイトルに「敗者の戦後漂流」にあるように、その後の唐牛の足跡をたどったものだ。

 例によって(佐野の人物評の書き方)はそのルーツを探るところから始めるが、ここでは省く。北大時代、請われて全学連のトップに引き出される。人を引きつける人間性とリーダーシップを見込まれての抜擢だった。

 安保のあと、大学を中退し、ヨットスクールの経営、居酒屋の店主などの職に就く。その後、与論島に行ったり、北海道に帰り、漁師になったりする。さらには沖縄の離島まで生活拠点を移していく。まさに漂流である。そして、ガンにより47歳で亡くなる。短い人生だった。

 著者は唐牛にかかわった人たちを丁寧に取材する。唐牛の交友関係にあった人たちは驚くべきほど多い。蜘蛛の巣のようにという表現があるが、そのつながりは複雑系のニューロンのようでもある。ま、新宿ゴールデン街の常連なら交友の範囲は広くなるだろうと想像する。

 まったく関係のないような徳田虎雄の選挙を手伝っている。日本精工の今里広記(当時、日本精工社長)も唐牛の理解者で資金援助もしている。取材は吉行和子などにも及んでいる。

著者の取材のパワーには圧倒させられるが、筆禍への反省、初心への回帰とも読める。

  

 ついでに言うと、60年安保当時、全学連(ブント)は、党派性は希薄で(後の学園紛争でのノンセクトとつながる)、反共産党、反自民党の立場にあった。だから、右から好意を寄せられるという側面があった。もちろん唐牛の人柄がなければ田中などから支援を引きだすことはできなかったと思われる。

 唐牛が留岡幸助のような仕事がしたいと語っていたという下りがある。 富岡は私立の感化院「家庭学校」をつくった人物である。富岡については思い出があるが、書くと長くなるのでやめておく。

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