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2017年1月 9日 (月)

浅草寺の摂社

 

 浅草に行ってきた。元旦から一週間以上たったが浅草寺は初詣客で賑わっていた。

浅草寺にはいくつもの摂社がある。浅草神社もそのひとつ。ここ は摂社にしては大きい。巫女舞にはたくさんの見物客もいた。猿回しもやっていた。写真がそれ。

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 御朱印所には長い行列ができていた。御朱印をもらうのが最近のブームになっているが、その証の行列である。

御朱印をもらう料金は今年から500円に値上げしたと掲示がしてあった。今までは300円。かなりの値上げ率だ。

 繁忙期はあらかじめ御朱印の紙を用意しておく神社があるが、ここはそんなことはしない。すべて御朱印帳にその場で押印、記名する。それで長い行列ができることになる。

近ごろは、御朱印をネット販売する不届きな輩もいるそうで、その対策としてご朱印帳以外の紙の押印はお断りしているのだそうだ。

私はスタンプラリーだの御朱印をもらうという趣味はないので、ネットで売買するという気持ちはさっぱりわからないし、並んでまでして御朱印をいただくという気持ちも理解できない。

 

浅草神社の後ろには小さな稲荷がある。被官稲荷社。小さい祠なので目立たない。お参りする人も少ない。

 この稲荷、新門辰五郎が勧請したものである。辰五郎は江戸末期の町火消の頭、鳶の頭、侠客でもあった。あまり知られていないが、辰五郎の娘は十五代将軍慶喜の妾であった。鳥羽伏見の戦いの折りには慶喜の同行している。

 辰五郎は勝海舟の子分のような存在でもあった。勝と西郷の江戸開城をめぐっての会談の折りには、もし交渉が決裂したなら、勝は、江戸に火を放ち、徹底抗戦する腹構えだった。江戸市中に油の樽を用意していざとなったらこれに火をつけることを、勝は辰五郎に命じていた。無血開城となったので、この計画は実行されずに済んだ。

 ということで、浅草を訪れた際には、浅草寺だけでなく被官稲荷社にも詣でたらいかがか。

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