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2017年5月 9日 (火)

「千早ふる」のオチ

 孫が幼稚園で百人一首を学んでいるという。学ぶと言うより遊びだろうが、教育勅語の暗唱よりよほどよい。

 まだ「千早ふる神代をきかず竜田川・・・」は学んでいないらしいが、そのうち学ぶ。そしたら、その意味を教えてやろう。竜田川ってのは相撲取りでねぇ・・・。

 以前、「千早ふる」のオチについて書いたことがある。

「千早ふる」は、知ったかぶりのご隠居さんがいい加減な和歌の解釈をする噺である。最後の七文字、水くくるとはの「とは」は、なにかと問われ、答えに窮して「とはは、千早の本名だ」とするのが本来のオチである。ばかばかしい。だから笑いを誘うのだが、オチとしての出来はいまひとつだ。で、ちょっと変えてみる型もある。

「とはは、次に上がる師匠に訊いてくれ」とやる。振られた次の師匠はあわてるが、そこはそれで、即妙に答えるのが噺家の才覚である。うまくやれば見事なリレー落語となる。

 文蔵から振られた生志は「私は、ドハーっと落ちたからとやってます」と答えていた。

 

 あらためて、そのオチを考えてみた。

「とはは、これが永久(トワ)の別れとなったから」というのはどうだろうか。前例があるかどうか知らないが、わるくない。

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