にんじん品評会→鶴川落語→映画祭忘年会
きのうの天皇誕生日、忙しかった。
午前中は恒例の「万福寺にんじん品評会&試食会」。私は裏方のお手伝いをしているが、今年はスタッフの人手が足りないということで、進行(司会)の役が回ってきた。
万福寺にんじんは、赤く、ゴボウのように長いのが特長。正式には万福寺鮮紅大長人参という。育てるのが難しいが、今年は天候不順にもかかわらず出来のいいにんじんが出品された。いちばん長いもので68センチ。数年前と比べるとちょっと短いが、ま、こんなものだろう。写真は品評会の風景。
そのあと、にんじんづくしの料理で昼食。最後は「万福寺にんじんの歌」の合唱で、めでたく終了となった。
夕方からは鶴川に出かけて落語。「正蔵・喬太郎二人会」である。毎年10月ぐらいに開催されているが、今年は年末になった。たぶん喬太郎の海外公演のせいでこの時期になったのであろう。
今回は演目のひとつが発表されており、「文七元結」のリレー落語。といってもどっちが先にやるかは不明。
演目はつぎのとおりだった。
春風一刀 のめる
柳家喬太郎 夫婦に乾杯
林家正蔵 蜆売り
林家正蔵 文七元結(上)
柳家喬太郎 文七元結(下)
春風はハルカゼと読む。春風亭一朝の弟子。一朝の弟子で、亭がつかないのはこの人だけ、のはずだ。一朝師匠はマクラで、「一朝だけに、イッチョウ懸命やります」と言うのが恒例になっている。そのつながりで、一刀は「一刀なので真剣にやります」と述べていた。
「のめる」は別名「二人ぐせ」とも言う。「いっぱいのめる」が口癖の男と、「つまらん」が口癖の男がカケをする古典噺である。
喬太郎は、マクラで欧州公演の話。このまえ聴いたエピソードばかりだが、さらに面白くなっている。このあたりはさすがである。まくらだけで終わるかと思っていたら、最後に、夫婦の会話の噺。これは初めて聴いた。隣の席のおばちゃんは喬太郎の表情に大笑いをしていた。
正蔵は子供のでてくる人情噺がうまい。前日の「うわさの真相」で正蔵が激ヤセしている、元気がないなどの発言が飛び出したが、そんなことはない。ふつうだった。
さて「文七元結」。二人そろって高座にあがり、じゃんけんをした。勝った喬太郎が後半をやるということになった。この噺、ごぞんじだろうが、左官の長兵衛が娘のお久をかたに50両を借りたのに、吾妻橋で橋から飛び込もうとした男・文七にその金をくれてやるストーリーである。
正蔵は語り始めたが、どうも調子が出ないようでことばが詰まる。で、やり直しますと言って舞台を降りた。あらためて出囃子から登場した。正蔵にとって鶴川落語は鬼門かもしれない。三年前だったか、得意の「松山鏡」をしくじって、しょんぼり肩を落として楽屋に帰ってく姿を思い出す。
正蔵は吉原の佐野槌の場面で終えた。吾妻橋の場面の途中あたりで交代するかと思っていたがちょっと早い。全体の4割ぐらいのところか。
で、喬太郎は、そこからのリレー。正蔵はうまくなったと思っていたが、喬太郎がやるとまた雰囲気が違う。一枚上手だな。
文七は長平衛からもらった50両を手にして働く鼈甲問屋に帰る。掏られたと思っていた50両が得意先から届いていた。忘れたのだった。で、誰から50両をもらったとなる。吉原のなんという店かうろ覚えでわからない。このあたりいくつかのバリエーションがあって面白いのだが、喬太郎バージョンでは、店の主人も番頭もあっさり佐野槌だろうと推察する。この部分の工夫がうまい。
50両をすんなり貸すのは佐野槌の女将に違いないとの判断である。佐野鎚の女将の心意気が強調される。さすがの手腕である。
ということで、みごとなリレー落語になっていた。
さて、落語ははねたが、ここでおわりではない。
ボランティアをしている「しんゆり映画祭」の忘年会がある。すでにはじまっている。小一時間ほど遅れて駆けつけた。割り勘負けしないように、ぐぃと、いつもよりピッチをあげてビールを飲んだ。のども乾いていたしね。
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