原寿雄さん逝去 『デスク日記』から
原寿雄さんが亡くなった。93歳というから大往生だ。
原寿雄といっても、だれ? ってことになるが、小和田次郎といえばわかる人がいるかもしれない。もっとも小和田次郎でもわからない人がほとんどだろう。
数年前、当ブログでも書いているので、その一部を再掲しておく。掲載日は1913年6月3日と翌日。
小和田次郎の『デスク日記』が再刊された。いまから50年ほど前、共同通信の社会部デスクだった原寿雄が匿名(小和田次郎)で書いたマスコミ時評である。雑誌「みすず」に連載され、のちにみすず書房から単行本として刊行された。マスコミの内幕をさらりメモ風に書いたものだが、新聞には載らない裏話なども紹介されており、話題を呼んだ。小和田次郎という名にご記憶の方もいらっしゃると思う。
今回の『原寿雄自撰 デスク日記 1963~68』(弓立社)はその抄録である。いまさら50年も前のメモ風のデスク日記を出す意味があるか、色褪せているのではないかと思いつつ読んだのだが、とんでもない。おもしろかった。政治家や大広告主からの記事差し止めの圧力、記者人事へ介入、記事扱いの自主規制・・・・今の状況と変わっていない、つながっている部分もあって、身を乗り出すようにして読んだ。
1963~68とは、ベトナム戦争、文化大革命、ビートルズの時代。国内では佐藤栄作が総理大臣だった。後半で、チェコ動乱があり、全共闘運動が始まった。
幾つかを紹介しておく。文末のかっこはメモの日付である。*印は私の注釈。
・社内ではオーナー正力法王の独裁の前にその非を諌め得る者もいない。(中略)「読売は俺のモノ」と豪語してはばからない正力の強引さについては読売ランドにフィッシング・センターを造ったとき「池」と書かずに「湖」と書けと命じて、社会部長を弱らせたようなエピソードが数限りなくあるようだ。(1964/10/26)
*読売のワンマン体質はナベツネにも引き継がれている。
・新年の連載企画。トップの東条勝子。三回もインタビューをやり直してやっと完成。「A級戦犯未亡人の生活と意見」的な色彩強まる。日本で処刑された戦犯A級七人、BC級六一人だけがいまだに靖国神社に合祇されずにいること、戦犯関係の白菊遺族会の代表が数年前天皇に会った時、東京支部長の勝子が厚生省から遠慮させられたこと、八・一五戦没者追悼式に昨年もことしも出席を予定されながら結局外されたことなど・・・初めて知るニュースも多い。(1964/12/08)
*A級戦犯の合祇は1978年(翌年新聞発表)。A級戦犯の遺族はずっと合祇を訴えてきた。厚生省は合祇には及び腰だったことがわかる。
・厚生省はアンプル入りカゼ薬を全面的に回収するよう日本製薬団体連合会など八団体に正式要請。日薬連の首脳会議では一部メーカーから「厚生省が許可したものを、補償もなく製品回収させるとはもってのほかだ」との意見もでたが、「薬の信用回復のためやむを得ないということで受諾決定。(1965/03/02)
*アンプル入りカゼ薬とはパブロンのこと。副作用で死亡者がでた。業界の反応は今とは大違いである。ただし、厚生官僚と業界の結びつきの強さは今も変わらない。当時、「東大は武田、京大は田辺、順天堂は塩野義」という大学のメーカーの系列関係を指す言葉があったそうだ。
・日韓交渉ついに一四年ぶりに正式調印。竹島問題はタナ上げのまま。(1965/06/22)
*竹島問題が発生したのは1952年、「李承晩ライン」が引かれた時。それ以降、ずっとぐずついた問題となっている。
・夜、三笠宮がブレーキを踏み遅れ、青山の交差点でハイヤーに追突、三重追突のきっかけとなる。敬語の使い方が問題。最初に記事で「三笠宮がタクシーに追突された」と書かれたため、被害者が三笠宮と思ったと大笑い。(1965/10/11)
*動詞の活用が、敬語と受身ではおなじとなる場合が多い。「された」が受身か敬語か、前後関係をみないとわからない。「追突なされた」なら間違えなかったかもしれないけれど、それでも変だな。
・ワシントン・ポストのシモンズ記者によれば、B52爆撃機墜落時の水爆一個が、北カロライナ州の地中に五年前から埋まっているのをはじめ、爆撃機が墜落しそうになったとき、重量を軽くするためにしばしば海中に捨てられた原爆の数は「極秘」という。(1966/03/02)
*起爆装置を作動させなければ爆発はしないだろうけど、物騒な話である。60年代には、日本に駐留する米軍機の墜落事故がいくつも起きている。今、起きたら、大問題になるだろう。
・衆院決算委を舞台に、「国会で追及するゾ」と脅しては利権をつかみ、やがてモミ消し側に回るという田中のやり口は、放火と消防の一人二役を兼ねるマッチポンプとして話題になっていた。きょうの逮捕の直接の容疑は、虎ノ門の国有地払い下げをめぐって国際興業社主小佐野賢治から一億円を脅し取った件と、埼玉県の住宅公団深谷工業団地を買って大映永田雅一社長に不正転売し一億円をだまし取った件その他となっているが、他にも関連事件は多い。(1968/08/05)
*田中とは田中彰治衆議院議員。爆弾男として勇名をとどろかせたが、要はヤクザの手口。このあと、ある検察幹部の声を紹介している。「これで戦後の三悪人のうちMとTはすんだが、あと一人Kは近頃大分おとなしくしているようだ」。Mは森脇将光(吹原事件)、Kは児玉誉士男のこと。まだロッキード事件は発覚していない。
・慶応病院でデビ夫人が女児を出産、AP、UPIなどは至急報で大国際事件並みに東京から打電していた。「日本の子供は世界一数字ができる」と「数学の学習成果に関する国際的研究」がシカゴで発表された。(1967/03/07)
*デビ夫人の出産はイギリス王室並みの扱いだったということか。現在、デビ夫人はお笑いタレントだけど・・・。後半の数学こともそうだが、隔世の感がある。
・アメリカの最高裁は「白人と黒人の結婚を禁止したバージニア州法は憲法違反」の画期的判決を下した。こういう判決歴史的なものとして注目されなければならないアメリカの恐るべき後進性。米国南部には似たような州法規定が一五州もあるという。(1967/06/13)
*この判決が画期的という部分に注目。リンカーンが南北戦争終結後に出した奴隷解放が1865年である。公民権法が制定されたのは1964年。百年後である。
・黒人解放運動のM・L・キング牧師が、メンフィス市で白人に射殺された。ジョンソンはハワイ行きを急いで中止した。ベトナム対策首脳会議を開くより、重大な緊急事態。(1968/04/05)
*予想通り、このあと全米で黒人暴動の火の手があがった。
というようなメモというか日記である。
さて、当時の原さんの視点はきわめて公正でバランス感覚のとれたものだった。晩年は政府批判が多くなった。それだけ日本が右傾化したということか。
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