賢者の限界
けさの「折々のことば」(朝日新聞)はオルテガ・イ・ガゼットだった。
「賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを胆に銘じている。」
人間の理性とか知性というものには限界がある、それを知っているのが賢者である。その賢者ですらときに暴走して愚者になりさがってしまうことがある。だから人間は、英知を積み重ねて、さまざまな仕組みを考えてきた。
三権分立といった政治の仕組みがそうである。民主主義の基本である。人間にはエゴイズムがある。ゆがんだ欲望がある。それが過度に走らないようなセイフティーネットである。
まどろこしい部分もあるが、ま、賢明な仕組みである。
ところが、ほうっておくとそれを忘れてしまうこともある。オレは賢いからまどろこしい仕組みなどいらないと考えるようになる権力者もいる。そして、その周辺には、きまって媚びたり同調したりする者がいる。こうなると制度はないがしろになり、権力者はあらぬ方向に暴走することになる。
いまや「忖度」ということばは拡大解釈され広がっているが・・・、オマエは習さんのことを言っているの、それとも安倍ちゃんのことなどとツッコミを入れられそうだが、そっちの方向に論理を展開するのはやめておく。
もう十年以上前になるが、養老孟司さんの『バカの壁』が大ベストセラーになった。内容、おぼえています? あの本の趣旨は、人間の理性には限界がある、それを知っておこう、ということだろう。論旨がよくわからない部分もあって厄介なのだが、ま、そういうことと理解した。
人間はパーフェクトではない。過つことがある。だからたえず間違っていないか確かめてみなければならない。賢者だって間違うかもしれない。
オルテガのことばと重ね合わせてみた。
ことわざにいわく。
膀胱も筆のあやまり。じゃなくて、弘法か。
ついでのひとこと
きょうは雪が降った。薄手で外出したので凍えるように寒かった。サーティワンの前を通った。一人も客はいなかった。
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