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2018年7月 8日 (日)

 人文社会系学部で学ぶとは

  数年前、文科省が全国の国立大に、人文社会系学部の廃止・見直しを要請した。大学側から文系軽視だとの批判の声がたくさんあがったが、その後、どうなったのだろうか。

 反論側の文系軽視だという声はわかったが、その理由となると曖昧であった。弱いと感じた。このままでは文科省、その背後にある産業界に押し切られてしまうのではないかとの危惧を抱いた。

 なぜ文系の学問が必要か、理系にとっても文系的素養は大切だ、そのあたりの突っ込みや整然とした説明がいる。

 ひとつの例をあげる。

 I went fishing   (私は釣りに行った)

 このfishing は、何という品詞か。動詞に ingがつくのは、現在分詞動名詞である。高校時代を思い出していただきたい。学校文法では、この場合、fishingは現在分詞と習う。それで正解である。

 ではfishingの前に,前置詞 onがついたらどうだろうか。

 I went on fishing

  意味は変わらない。前置詞や冠詞がつけば、ingの形は動名詞である。現在分詞に、on aはつかない。

 古い時代の英語の詩を読むと、このonやaがついたフレーズを見かけることがある。昔はこう表記した。

 歴史的にみると、かつてはonがつき、その後、aに代わり、それが現在ではとれてしまったという経過がある。( on → a → 無し

 I went fishingという構文に、歴史というフィルターをかけると、fishingには動名詞がうっすら浮かび上がってくる。学校文法では現在分詞と教えるが、歴史的に見ると動名詞と言っても間違いではない。

 こうしたことを大学の教養時代に学んだ。

 アナタはそんなの習わなかった? それでもいいけど。

 歴史的に見ると、あるいは歴史というフィルターをかけると違ったものが見えてくることがある。ちょっと角度を変えるとか、通時的に見るとかすると、別の見解が浮かんでくる。文系の学問にはこうしたものが多い。絶対的な解はない。多面的な、通時的な考えを養成するのが文系の学問である。

 これはほんの一例。理系の学問だって深く考えたりするけど、ややもすると直線的になりやすい。

 オウム真理教の松本死刑囚らの刑が執行された。理系の優秀な学生がなぜ邪教といってよいオウムに惹かれていったか、といったことが議論されてきた。

 理由のひとつをあげれば、人文社会系の学問をしっかり学ばなかったからではないか。正解は一つではない。違う角度からすると別の解が浮かんでくる。立場が変わると見解も異なる。一方的に偏らないこと、多面的なものの見方をすること、そうした素養を身につけることが大切なのだ。

 ちらっと、そんなことを考えてみた。

 もちろん人文社会系の学徒であっても、きちんと考え、学ばなければ、バカと一緒だからね

 

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