恣意的だが意図的でない
障害者雇用の水増し問題で、第三者の検証委員会が調査報告をした。
委員長は、恣意的であったが意図的とは言えないと説明していた。
恣意的だが意図的ではないとはどういうことか。よくわからない。恣意的(その場でのおもいつきの判断)と意図的(なんらかの目的をもっての判断)の間には明確な意味の違いがあるような言い方であるが、そういう使い方はしないのがふつうだ。恣意的な部分の中には意図的な意味合いも含んでいることが多い。
恣意的に数合わせをしたということは、なんらかの意図、数値目標を達成しようという気持ちがあったわけで、意図が含まれているとみるのが一般的であろう。
こうした逃げとも思われる見解は、法律専門家や役人が得意とするところである。
かつては勤めていた頃を思い出す。身障者雇用の報告には身障者手帳のコピーを添付していた。そういうものだと思っていたが、官庁ではコピー添付が必須としてなかったことが今回の水増しであきらかになった。
官庁、ずるい。
もうひとつ。
サウジアラビアの大使館でジャーナリストが殺された事件。
サウジの見解を要約すると、あれは偶発的なもの(つまり恣意的)であって、目的をもって(つまり意図的に)殺したのではない。
なんか似ている。
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