六日知らず
お寺から便りが届いた。年末の法要の案内である。お布施の振込用紙といっしょに、雑誌(お寺関係のフリーぺーパー)も入っていた。
その裏表紙の写真が目にとまった。寺の玄関口によくある掲示板が写っていた。そこに貼られた標語というか教えである。
ま、そうである。
落語のマクラを思い出した。
古典噺にはよくケチな人物が登場する。そのマクラで、ケチな人物の悪口を言う。ケチは金を払ってまでして笑おうとは思わない。寄席にはケチは来ない。ケチの悪口を言っても文句を言う人はいない。そういう理屈である。招待券(タダ券)で入ってくる人はどうなんだろうと思うが、それは無視。
えー、昔から、ケチな人を、赤螺屋(アカニシヤ)とか、六日知らずと申します。
マクラでこう言う。そんなことばは寄席以外では聞いたことがないけれど、そういうことになっている。
赤螺は貝に一種。なかなか口が開かない。財布の紐が堅いからそう呼ぶ。六日知らずは、ついたち、ふつか、みっかと指を折っていくと、いつか(五日)で指は全部折れて握った状態となる。むいか(六日)は指を開くことになる。ケチな人は握ったものは離したくないから、指を開かない。で、六日知らずという名がついた。なぞかけのようなネーミングである。
標語は、素直にとればそのとおりである。指を開いてあらたな幸運を掴めということか。ケチな人物に向かって、何かを諭すにはいい表現だ。
指を開いて、もっとお布施を。
いや、もっと素直に、「むすんで ひらいて てをうって むすんで・・・」
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