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2019年1月28日 (月)

『不意撃ち』 

 

 辻原登の短編集である。辻原作品はけっこう読んできた。通俗的な内容のものでも人生の奥行きというか深みを感じる。難解なものもあるが、ペダンティックと思われるものであっても私にはほどよく感じられる。

 五つの短編のうち冒頭に掲載されているのは「渡鹿野」。デリヘルで働く女性と彼女らを送迎するドライバーの話である。二年ほど前「彼女の人生は間違いじゃない」という映画があった。それを思い出した。設定が似ている。あれこれあって、えっと驚くような結末を迎える。オレの読み方、違っていたのではないかという気分にさせられる。肩すかし。もういちど読み返してみよう。

 次の「仮面」。神戸から宮城の被災地にいちはやく駆けつけたボランティアグループの話である。唐突に終わる。オーラスで満貫に放縦してトップを逃したような気分。それが作者の意図か。

 ここで本のタイトル「不意撃ち」の意味がわかったような気がしてくる。読者を不意撃ちにする。あとの三作品も、サドンデス(突然死)のようなストーリーになっているのだろう。たぶん。

 三つ目は「いかなる因果にて」。昔の恨みを晴らすという男の事件を糸口に、著者自身の中学生時代の友人ことを思い出すというストーリーである。舞台はお馴染みの和歌山である。この短編は、不意撃ちというテーマからははずれるかもしれない。

 全く関係はないが、晩年の鳥居耀蔵のもとに高野長英の友人が訪ねていったらどうなるかなどという想いが浮かんだ。どうでもいいことだけど。

 4つ目の「Delusion」は、宇宙飛行士が幻覚を精神科医に語る。これも、不意打ちのように突然終わる。

 そして「月も隈なきは」は定年退職した男の話である。新百合ヶ丘に自宅があるが、独り暮らしを思い立ち、相模大野のワンルームで住み始める。

 新百合ヶ丘とか相模大野とか私の住環境と重なる。定年後という設定も似ている。身近に感じるストーリーである。ほんわかとしたラストがよい。

運命の悪意による不意撃ち」という表現が出てくる。ああ、これが不意撃ちというタイトル(アンブレラ・タイトル)になるのかと納得した。

辻原登ってのは、読者に不意打ちを喰らわせるくせ者だな。

 新百合ヶ丘のTSUTAYAが出てくる。細かなことだが、ここは二年前に閉店している。新百合ヶ丘も変貌している。

 

 

 麻生だるま市

 きょう、1月28日は、麻生不動でだるま市がある。

 我が家から行くにはちょっと不便。歩くと小一時間かかる。バスだと本数が少ない。小田急線柿生駅から歩くと20分ぐらい。柿生駅から歩いて行った。

 縁起物のだるまを売る。家内安全商売繁昌であるが、もともとは火伏のお不動さんである。けっこうな賑わいとなる。だるまを売るのは境内周辺だが、たこ焼きや焼きそばなどお祭りの定番もある。植木や乾物の露店も目立つ。

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