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2019年4月25日 (木)

昭和から平成、そして

 まもなく平成がおわる。
 昭和から平成、あのころどうだったか、振り返ってみた。
 遅く家に帰ると、テレビでは天皇の容態を伝えていた。放映時間を過ぎても臨時ニュースのように、ただし静かに伝えていた。下血ということばを初めて知った。
 ラジオも同様だった。この放送時間の延長が「ラジオ深夜便」として引き継がれた。いまも深夜便は続いている。眠れぬ老人の子守歌のようになっている。
 平成が始まった年の秋、ベルリンの壁崩壊があった。私の頭の中ではこの二つが結びついていない。年表を見て、そうだったのかと驚く。もうひとつ、天安門事件もこの年だが、これも結びつかない。
 ソ連がアフガニスタンから撤退したのもこの年だ。アフガンで多額の軍事費を費消したためソ連の経済は疲弊した。ソ連の戦闘機はことごとく最新鋭の地対空ミサイル(アメリカから提供されていた)に撃ち落とされた。そして2年後、ソ連は崩壊した。
 世界が変わりつつあった。日本は、まだバブルの中にいた。浮かれていた。ジュリアナで踊っていた。
 そして、失われた十年とか二十年とかのちに呼ばれる時代が忍び寄っていた。
 下血は、日本国の容態でもあった。

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