ワニの脳 ネズミの脳 ヒトの脳
脳の進化を三つの段階に分ける考えがある。
ワニの脳、ネズミの脳、そしてヒトの脳とへと進化した。
ワニの脳は、生理的な欲求にだけ支配されている。残忍な行動を司っている古い脳である。それを覆っているのがネズミの脳。感情が行動を促す。快感指向で、ずるがしこい面がある。
さらにそのネズミの脳をくるんでいるのがヒトの脳。理性的な判断ができる。創造することができる。言い方は変だが、AI的な機能を持っているといってよいか。人間にはこの三つの脳が同居している。
このたとえというか仮説はわかりやすい。ワニはそれを知ったら怒り狂うかもしれないが・・・。
ワニの脳はヒトの脳の奥深くに古層のように存在している。時によって亀裂が生じ、露わになることがある。理性によって抑え込んでいるが、ワニが顔を覗かせるのだ。
登戸で悲惨な事件が起きた。カリタス学園の児童が被害にあった。昔、中野島(登戸の隣駅)に住んでいたので、カリタス学園については知っている。制服を見ればカリタスの子だとわかる。
つぎに住んだところは、よみうりランド前駅が最寄り駅だった。犯人が住んでいたのが麻生区多摩美と聞いて驚いた。十数年前まで、多摩美の坂を下って通勤していた。このあたりなら土地鑑がある。
犯行の動機を警察もマスコミも追っかけている。それなりの理屈を見つけるだろうが、さて真相となると正確にはわからない。切れやすい性格だったとはいえ、それ以上の残忍さはふつうはコントロールされる。
なんとなく納得のいくような動機を見つけて納得しようとするが、たとえば多数を巻き添えにした自殺とか、深奥にある犯行動機と実際の行動は解明できないだろう。
突然、ワニが顔を出したとしか言いようがない。
はなしはまったく変わる。
大塚で飲み会があった。昭和を彷彿させる居酒屋がいくつもあって、そこで飲もうというのだ。
大塚駅に降りるのは何十年ぶり。友人の実家に行ったきり。角海老のでかい看板があったのを思い出す。いまもあるのか。
看板はなかったが、角海老はあった。いまは、ボクシングジムになっていた。通りから練習風景がよく見える。パンチ音が映画のサウンドのように響いてくる。
ボクシングはワニのような獰猛さを理性でコントロールしながら、ずるがしこく立ち振る舞う競技である。
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