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2019年7月25日 (木)

くだんのごとし

 マツコ・デラックスの姿をテレビで始めてみたとき、その牛のような異形な姿に「くだん」を思い浮かべた。

 くだんは「九段」ではなく「件」。人べんに牛。人と牛が合体した化け物である。マツコが化け物というわけではないけど。

 小松左京に「くだんのはは」という怪奇小説がある。名作と言われる。時代は戦争中。家の奥に娘がいて姿を現すことはない。その娘の母親が、広島が大変なことになるとか、もうすぐ戦争が終わるなどと予言する。娘が語ったものらしい。予言は当たる。ラストで、振り袖を着て顔だけが牛の醜い娘の姿が明らかにされる。そういう奇っ怪なストーリーである。

 くだんは小松左京が創作したキャラクターではない。日本各地にくだん伝説があった。半人半牛の妖怪。吉凶について重大な予言をする。戦争中には、くだんがいると空襲を免れるといった噂も流布した。

Photo_20190725105501  内田百閒に「」という短編がある。くだんである。こちらは、顔は牛、からだは人間。野っ原にいて命は三日しかない。そこに予言を聞こうと大勢の人が押し掛けるという話である。

 異形で醜いが人に危害を与えはなしない。危険を知らせ、防災を促すような存在である。世情に不安があるとき、それを祓う巫女といったところか。

 そういえば、マツコ・デラックスは羽衣をまとったような扮装をしている。巫女さんだ。件の如し、か。

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