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2019年8月 4日 (日)

圓朝の生涯

 先月、NHK「英雄たちの選択」は三遊亭圓朝を採り上げていた。

 落語では圓朝の演目をいくつも聴いているが、その生涯となると知らないことが多い。幕末から明治にかけて怪談噺で人気を博し、名人と讃えられた程度の知識しかない。

 Dsc_0956-1 奥山景布子の『圓朝』を読んだ。その人生を描いた小説である。フィクションだけど骨格は事実といってよい。

 圓朝は若くして人気を博した。師匠圓生もうらやんだ。圓生は圓朝が予定していた演目を先に中トリでやってしまう。意地悪である。道具噺(大道具小道具を用意して演じる落語)だから何をやるかは道具を見ればわかる。そりゃないだろうとなるが、師匠に盾突くわけにはいかない。

 急遽、圓朝はまだ形になっていない物語をアドリブ的に演じることになる。完成度は低いが手応えがあった。客も喜んだ。のちの「真景累ケ淵」につながる噺であった。そして新作に目覚めていく。

 弟子の失跡、裏切り、師匠や兄との死別などが描かれる。興味深いのは圓朝噺がどのように創られていったか、創作過程を描いていることである。「牡丹灯籠」とか「乳房榎」など。

 初めは道具噺だったが、圓朝は扇子と手ぬぐいだけで演じる素噺に変えていった。などというのは落語に関心がない人にはどうでもいいことだろうけど、記しておく。

 NHKの番組では圓朝が明治という時代をどう乗り越えていったかを中心に据えていた。

 明治は窮屈な時代だった。徳川時代、落語や芝居は放っておかれた。枠を守ればとやかく言われることはなかったが、明治になると政府は干渉した。精神面まで首をつっこみ、文明開化に反する非合理なものを禁じた。幽霊、妖怪、もののけ,あるいは迷信といったものも排除しようとした。ついでに加持祈祷も禁じた。

 圓朝も噺を変えざるを得なくなった。幽霊を枯れ尾花、神経症の迷いごととした。心ならずも道徳的な噺もこさえた。「塩原多助一代記」がその代表。多助のお人好し加減や無抵抗ぶりにはイライラしてしまうが、政府はそれを教科書に載せた。NHKの番組では特にそのあたりを強調していた。

 それはともかくとして、今でも語られる圓朝噺はたくさんある。夏になると「豊志賀の死」(真景累ケ淵)、「お札はがし」(牡丹灯籠)が演じられる。冬は「鰍沢」。「芝浜」もそうだ。

 私のいちばん好きなのは「真景累ケ淵」だな。発端とラストがいい。

 

 

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