「しんゆり寄席」 短命のわけ
春風亭一蔵の「短命」を聴きながら、ギャグをひとつ思いついた。
伊勢屋の婿さんが次々と早死にをする。これが解せないと植木職人がご隠居さん宅にその理由を訊きにくるという噺である。
ご隠居さんは遠回しで「ふるいつきたくなるようなおかみさんだろ。手と手が触れるんだろ。そりゃ短命だ」と理由を言うのだが、察しの悪い職人はわからない。
手と手が触れ、そうか、指の先から毒が回って・・・と、まだわからない。
そこを「そうか、手と手が触れて、コロナウイルスに感染して」とやれば、時事的な生きのいいギャグになる。受けるだろうな。
ということで久しぶりの「しんゆり寄席」。いつもは月一、土曜の午後にやる。私の遊びのスケジュールとバッティングすることが多い。今回は木曜。聴くことができた。
演者と演目
金原亭乃ゝ香 牛ほめ
春風亭一蔵 短命
隅田川馬石 王子の狐
初音家左橋 夢金
開口一番は乃ゝ香。目鼻立ちがくっきりした美人噺家。まもなく二つ目。マスコミは美人には甘い。以前、美人過ぎる落語家として紹介されたことがあるけれど、過ぎるという表現はどうなんだろうかな。話芸で勝負だ。
一蔵の「短命」は元気がいい。ハイテンション。とりわけ職人のかみさん。最後にちょっとしか登場しないが、強烈。ドスが利いた声でご飯を盛り渡す。暴力おやじのよう。「おらぁ、長生きだ」とオチはなるのだが、こんなモンスターかみさんでは、亭主の命は短くなってしまうのではないか。この噺のオチは、おれは長生き(長命)だとなるのだが、これを「おれも、短命だ」とやってもよいのではないか。
お目当ては、馬石。以前にも書いたが、丁寧である。きちんと細部まで気を配って演じる。師匠・五街道雲助の芸風をきちんと受け継いでいる。
トリの左橋も丁寧な話芸である。先代馬生の弟子であり、雲助も馬生の弟子。「夢金」もきちんと丁寧に演じた。
これも以前書いたことがあるが、左橋は大師匠にあたる志ん生としゃべり方が似ている。粘っこい。志ん生は自由奔放だったが、こちらは本寸法である
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