登戸研究所 「雑書綴」の展示
登戸研究所に行ってきた。
ご存じだろうが、ここでは戦前、毒物・化学兵器の研究、風船爆弾の開発、偽札製造などが秘密裏に行われてきた。終戦によりその資料は消却・破壊されたので(桜を見る会の名簿をシュレッダーにかけるようにと形容してもよいのだが)、活動資料はほとんど残されていない。
ところが、30年ほど前、そこで働いていた女性(和文タイピスト)がタイプ資料を持ち出していたことがわかった。極秘の文書ではなく、日常の、たとえば依頼文書などを「雑書綴」としてまとめて保管していた。登戸研究所の闇の部分(ほとんどが闇の中だったが)を明らかにする貴重な資料となった。
登戸研究所資料館は、小田急線生田駅から徒歩で15分ほど、坂道を登ったところ、明治大学生田キャンパスの敷地内にある。
話はちょっと飛ぶ。数年前、ここで働いていた高齢女性の話を伺ったことがある。麻生区岡上に住むその女性は、挺身隊として登戸研究所で働くことになった。ひたすらミシンを踏む作業。職場の雰囲気はよかったが、ここで働いていることを人に話してはいけない、家に調査が来て、どこで働いているかと問われても、知らない、わからないと答えるようにと釘を刺されたそうだ。また、自分の職場以外の建物に立ち入ってはならないと、きつく言われたが、給料はほかで働くよりもよかったそうだ。
「雑書綴」の女性もそんな雰囲気の中で働いていたのだろう。
この資料については、いずれ図録や研究書籍として発表されることになるとのことである。
ついでのひとこと
ここでは風船爆弾の模型(1/10程度)も展示されている。むかしその仕組みを調べたことがある。あれは、単純にして精巧なからくりである。もちろん電動ではない。
風船は紙でできている。何枚もの和紙をこんにゃく糊で貼り合わせたもの。触ると丈夫な布のようである。
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