「Fukushima50」 緊迫した画面
知人から「Fukushima50」の試写会のお誘いがあった。上映場所はしんゆりのイオンシネマ。近くてよい。一般公開は3月6日になる。
2011年、福島第一原発は大津波により破壊され、電源を失う。それからの数日を描く。このあたりのことは誰もが知っている。はらはらしながら、テレビを見つめていた。
冒頭から緊迫した場面がつづく。手には汗。からだも火照ってくる。
画面を観ながらいくつかのことを思い出す。「想定外」ということばが使われた。後に調査報告書や海外の情報レポートを読んだのだが、想定外ではなかったことがわかる。津波は想定外であっても、外国には全電源停止に備えた原子炉がある。屋上に水槽を設置しておき、いざというとき、電力なしでも冷却水を注入できるようになっている。一週間ぐらいはもつ。
いざというときのベントだが、それにフィルターをつけておけば放射能汚染物質の放出は、正確な数値は忘れたが100分の1にも減ずることができる。ヨーロッパの原発はフィルター設置が必須となっている。現在、日本でもその設備がないと再稼働できないことになっている。やっておけば飯館村の悲劇はなかったのだ。
要するに金がかかるからやらなかった。それを「想定外」ということばで政府も東電も言い訳にしたのである。
映画に戻ると、吉田所長役は渡辺謙、当直長は佐藤浩市、トップ俳優を配してさすがの演技が緊迫感を盛り上げている。
首相や東電幹部が間抜けに見えるのは、演出上致し方ないか。
ラストは夜の森(富岡町)の満開の桜。ありきたりだね。
まもなく常磐線は全線運転再開になる。聖火リレーもJビレッジ(楢葉町)から始まる。
なにごともなく廃炉作業が続くことを願うばかりだ。
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