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2020年2月 5日 (水)

 自動運転に組み込まれる偏見 

  いま話題の、ユヴァル・ノア・ハラリの『21Lessons』を少しずつ立ち止まりながら読んでいる。まだ3分の1程度。この手のものは一気には読めない。

 書かれていることの趣旨はおよそわかる。途中なので早計な判断になるが、底流にあるものは「AIとバイオテクノロジーの等比級数的な発展は人類に想像もつかない未来をもたらす」ということだろう。

 等比級数的がキーである。今その等比級数的な技術進歩で車の自動運転が間近になっている。本書でちょっと触れていたことをヒントに次のようなことを考えてみた。

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 自動運転の車が時速60キロほどのスピードで走っていたとき、急にヒトが飛び出してきた。急ブレーキを掛けるが衝突は避けられない。車は左にハンドルを切るか右に切るか、左だとガードレールにぶつかり、さらにそこから飛び出して崖下に転落する惧れがある。右だと反対車線を走る車と正面衝突する可能性がある。車のAI頭脳は被害を最小にくい止めるようアルゴリズム(複雑な計算式の集積)を駆使してハンドルやブレーキ操作に指示を出す。

 この程度のことは考えられるが、この場合の被害とは何を指しているのだろうか。飛び出したヒトの命か、車に乗っているヒトの命か。対向車のことも考えなければならない。

 さらに、飛び出したヒトが白人か黒人か、異教徒かどうかなんてことも、運転者(クルマの運転席に座っている人)の偏見(嗜好でもある)に沿ってアルゴリズムに取り込まれていくかもしれない。まさかそんなところまでやらないだろうが、やろうと思えばできると考えるとそら恐ろしくなる。等比級数とはそういうものだ。

 で、ここからは落語的世界。妄想は広がる。

 飛び出したのがシカだったらどうするのか。ブレーキは掛けず、はね飛ばす。倒れたシカの腹をかっさばいて熊の胆をゲットする。

 シカから熊の胆? 粗忽長屋かよ。

 

 

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