『明月記』の世界
藤原定家の『明月記』を読む人はほとんどいない。あれは読むものではなく引用するものだとの説を聞いたことがある。まあ、そうだろうな。
堀田善衛の『定家明月記私抄』を途中まで読んだことがある。半ばで読み続けるのをやめてしまった。いつかは読破しようと思っているのだが・・・。
岩波新書で「藤原定家『明月記』の世界」(村井康彦著)が出た。新書なら一気に読めるだろうと手にした。実際はそうでもなかったが。
定家は平安から鎌倉時代にかけての歌人である。だれもがその和歌の一首ぐらいは知っている。たとえば「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」。
「新古今和歌集」あるいは『小倉百人一首』などの編者としても知られている。
本書では和歌についてはほとんど触れられていない。定家の日常や家族のことを中心に取りあげている。堀田善衛の『私抄』では和歌のことや後鳥羽院のことなどが取りあげられていた。若き後鳥羽天皇の暴れん坊将軍(将軍ではなく天皇だが)のような振る舞いを記した部分が印象に残っている。
定家は任官(昇進)には一喜一憂した。著者は定家のことを「自己中」の人と書いている。歌からのイメージとは違う。俗物といってよい。ま、そんなものだろう。
息子についてのえこひいきには驚かされる。極私日記だからそのあたりはあけすけである。後妻の子・為家を偏愛し、親馬鹿ぶりを発揮した。先妻の子で長男の光家を冷遇した。
ゴシップも記している。
驚くのは源雅行という人物。雅行は人格に問題があったようだ。晩年、息子と娘の近親相姦を知って激怒し、二人を殺害して道路に晒すという事件を起こしている。はあ、すげえ。
読み終えてひとこと。
堀田善衛の『私抄』をもういちど読まなくっちゃと思った。さて、いつになるやら。
写真は、祖師ヶ谷大蔵駅前の広場のウルトラマン像。広場の改修がおわり、正面から眺めることができるようになった。定家は『明月記』の中でスペシウム光線らしきものに触れている、なんてことはない。
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