「新解釈・三國志」
三國志は二つある。「三國志」と「三國志演義」。三國志が正史で演義の方は小説(フィクション)とされているが、いや、そんなことはないとの説もある。見方によって歴史解釈は違ってくる。演義の方が正しい部分もある。勝者が都合よく書き換えてしまうことはままある。というよりそれが当たり前なのかもしれない。
映画「新解釈・三國志」はその解釈をさらに悪乗りして娯楽物語に仕立てあげたものである。といっても史実をはずしたものではない。
桃園の誓い(例の義兄弟となる有名なエピソード)から始まる。ふつうである。が、しゃべりが当節若者ことばになっている。いいんじゃねえ、ヤバイっすよ、といった調子。これがずっと続く。ジイチャンには疲れる。
性格付けが大胆というかデタラメ。柳備(大泉洋)は口は達者だが、実は気弱い男で、戦ぎらい。曹操(小栗旬)は軽く載せられやすいタイプ。孔明(ムロツヨシ)は妻の言いなり。中身はない。いずれも、高潔とか勇猛、大胆不敵とかいった英雄の姿はない。ただの俗物。ただのヤンキー。これが「新解釈」である。
ストーリーは意外にまとも。赤壁の戦いも史書どおり。疫病による曹操軍の撤退あたりは、今のコロナ禍を思わせるような演出になっている。
といったことだが、要は、この映画、客席に笑いをというコンセプトに貫かれている。笑ってよ、笑えよ、マスクをしながら、である。
観客は予想以上(私の判断だが)の入りだった。「鬼滅」を抜くか。
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