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2021年4月21日 (水)

高輪に残る鉄道遺跡

 汽笛一声新橋を はやわが汽車は離れたり・・・

 日本最初の鉄道は、新橋(汐留)横浜間で開業した。明治5年のことだった。

 高輪ゲートウェイ駅の新設など高輪地区の開発で、開業当時の線路跡が見つかった。高輪築堤という。海の上に作られた鉄路跡である。

 東海道線の田町から品川あたりが海の上にあったのを知ったのは今から20年ほど前のことである。田町に職場があり、この界隈を出歩いていた。でも、飲み屋以外はほとんど知らなかった。

 落語の「芝浜」はフィクションだが、このあたりが舞台となっている。田町駅の北に小さな公園(芝の浜)があり、近くには江戸時代、日本橋ほど大きな規模ではないけれど魚河岸があった。棒手振りの勝五郎がこの浜で42両(演者によって金額は違う)が入った財布を拾うという噺である。

 芝の浜は東海道線や山手線の内側にある。ここが海岸なら鉄道は海の上だった。ちょいと調べてみればわかる。汽車は海の上を走った。

 なぜ海の上に鉄道はつくられたかというと、海岸沿いでは国防のじゃまになると兵部省(陸軍)が反対した。東海道沿いの旅館や人力車の車夫たちも反対した。汽車の火の粉で火災を心配する人もいた。

 ならば海の上となった。電力も重機もない時代にどうやって堤を築いたかというと、引き潮の時、竹かごに入れた岩や石をころがしていって積み上げた。長い島をつくり、それに橋をかけて鉄路を通した。

Dsc_2032-1

 写真は明治40年の地図である。矢印あたりが現在の田町駅。品川あたりまでが海の上である。内側は池のように見える。

 50年ぐらい前、京浜東北線が水の上を走っていたのを記憶している。一部は水路となり、浜まで船で行けるようになっていた。芝の浜の公園も、現在でも鉄道にはアンダーパスがあり、人や自転車は往来できる。埋め立てられてしまったので風景は一変しているが、あれはむかしの船着き場の跡である。

Dsc_1988

 写真は高輪ゲートウェイ駅からの眺め。写真ではわかりづらいが築堤跡が見える。その向こうの建物の後ろは京浜国道(旧東海道)である。ちょいとその先に泉岳寺がある。

「鉄道唱歌」の2番。

 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ・・・

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