リンゴは何にもいわないけれど
香港の「リンゴ日報」が廃刊となった。自由への抑圧である。
リンゴという名は創業者であり発行人の黎智英が名付けた。黎智英は「もしアダムとイブがリンゴを口にしなかったら、世界に善悪はなくニュースも存在しなかっただろう」と命名の理由を述べている。これだけではよくわからないが、リンゴを口にしたことで、人間らしくなった、世の中がおもしろくなった、とも受け取れる。
バクーニンの見解(『神と国家』)を思い出した。
神にひれ伏していたアダムとイブは、サタン、つまり永遠の反逆者であり、自由思想家によって解放された。サタンはリンゴを食べさせることによって、人間は神の呪縛から解き放たれ、自由と人間性を獲得することになった。
ここでは細かなことは述べないが、リンゴが自由の象徴として使われている。リンゴが自由を象徴する類似例はいくつもある。ビートルズのアップルというレーベルは既存の音楽を打ち破るようなエネルギーを感じさせる。IT企業のアップルはニュートンのりんごの木からの連想だろうが、かじりかけのデザインにすることで、解き放たれたイメージを抱かせる。
唐突だが、リンゴつながりで天皇を思い浮かべた。
宮内庁の西村長官の発言が話題になった。今上天皇が、オリンピック開催が感染拡大につながらないか、懸念されていると拝察していると述べたという。拝察である。
天皇は政治的発言は許されないというか、しないことになっている。オリンピック云々が政治的発言になるかどうかわからないけど、それを拝察と表現しなければならないのは窮屈なことである。
表現の自由とか不自由とか言うけど、天皇こそ、不自由のもどかしさを感じられているのではないか。何も言えない。
終戦直後、「リンゴの唄」が大流行した。サトー八チロー作詞である。これを昭和天皇の気持ちを読み込んだとする街の声があった。
リンゴは何にもいわないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる・・・
ま、考えすぎだろうが・・・
オリンピックでは天皇が開催の宣言をする。
東京オリンピアード大会の開会を宣す、とやるのだろうか。
ついでのひとこと
写真はヤマユリ。麻生区の花である。百合ヶ丘という地名は、かつてこの花がたくさん自生していたことからきている。
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