回収 仮説の論証
先だって「伏線の回収」についてちょっと触れた。映画「キャラクター」の中に出てくるセリフである。
回収とは、ごみの回収、アンケートの回収、貸し金の回収、不良品の回収、投資の回収といった使われ方をする。回収されるのはモノとかカネである。
伏線はモノではない。あらかじめほのめかしておいたコトガラ。後になって、なるほどと納得させる設定である。結論につながる証拠をそれとなく示しておく。いい加減な伏線では読者や観客は納得しない。なるほど、そうだったかと思わせるのがうまい回収になる。
それにしても、この業界(映画やテレビ)ではふつうにつかわれているのだろうか。
実は、評論などでも「回収」をよく見かけるようになっていた。哲学的な堅い評論、哲学っぽいエッセイに出てくる。最初、見たときはゴミの回収を思い浮かべた。
もちろんゴミではない。なんというか、序論で展開した推論をまとめの結論で集約するとでもいうか、仮説の論証のような意味合いで使われる。ちらばした仮説をなるほどと思わせるように結論づけるのが回収である。
もうひとつ伏線の回収を見つけた。
読売新聞に立川談慶の本の紹介があった)。
いっときシナリオ作家を目指した談慶は「伏線と回収という発想が形として把握できるようになったのは、シナリオのおかげ」と語っている。
ここでも小説とか脚本の展開、終結に使われている。
国語辞典の次回の改訂に、伏線の回収といった用例が掲載されるかもしれない。
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