井の中の蛙は何を考えているか
「井の中の蛙 大海を知らず」ということわざがある。
狭く閉じこめられたものは広い世界を知らない、狭い見識にとらわれって広く世界を観ることができないことを指す。
吉田章宏さんはこれに続けて「大海の鯨 井の中を知らず」と書いている。(『大人と子どもの現象學』から。ことわざは一部省略した)
蛙は大海を知らないけれど、広い海にいる鯨だって狭い小さな空間となるとわからないでしょ、ということである。
どっちもどっち。住まう環境によって見える範囲は異なる。立場や環境によってものの見方、世界観は違ってくる。
ここから、多面的なものの見方をしましょうという教訓を引き出すことができる。さらにこれを進めて、もうひとつの視点も考えられる。蛙と鯨を両方を眺める視点である。大空にいる鳥は蛙も鯨も見ることができる。だからといって。それが優れているとは限らない。
「大空の鳥 水底を知らず」ということもある。俯瞰的・総合的に見えたからといって、何かの役に立つわけではないし、客観的な判断を下せるとは限らない。
人間はさまざまな情報を入手できる。蛙や鯨や鳥より圧倒的に広範囲の情報を知っている。ただし、それを的確な判断に結びつけているかとなると怪しい。
世の中にはさまざまな考えがある。立場によって判断が変わってくる。それを知るだけでも、判断に役立つ。
なにが言いたいのか。情報はあふれている。立場の違う見解もあふれている。なのに、つまらぬフェイクニュースを信じてしまう。
もとに戻って、井の中の蛙のことを考えてみる。
蛙は何を思っているのだろうか。問題を抱えているのだろうか。
問えば、大海のことなど関係ねエーと答えるかもしれない。
横浜 中華街
きのう、久しぶりに友人と横浜に出かけた。中華街でランチ。そのあと海岸を歩いた。海は気持ちがよい。写真は氷川丸。風が強かったが、それほど寒さは感じなかった。
大桟橋には飛鳥Ⅱが停泊していた。鯨のように大きい。
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