だるまとウクライナ情勢
麻生不動だるま市に行ってきた。
けっこう盛大に行われる。露店も多く並ぶ。昨年はコロナ感染により中止となったが、ことしは開催となった。ただし露店は間引きして、密をさけるようにしている。ちょっと歯抜け状態。
ふつうのお祭りのような焼きそばや飴菓子などのほか、植木や農具を売る露店もある。今は花屋や農具を売る店はいくらでもあるが、むかしはこうした市で買うのが普通だった。その名残だろう。
話はおおきく変わって国際問題。
友人から、ウクライナ情勢をどう思うかと唐突に問われた。
いきなり言われても困るのだが、数年前に読んだ論考(だれが書いたか忘れたが)を思い出した。趣旨は、ロシアは国境に緩衝地帯をほしがる国だ、そうでないと不安でしょうがない、といったものだった。
なるほどと思った。国境のすぐ向こうに敵の戦車がいては困る。夜も眠れず、たえず緊張を強いられる。そこは非武装地帯、できれば友好国であってもらいたい。ロシア(プーチン)は顕在的にも潜在的にもそう考えている。フィンランドのような国が望ましい。
フィンランドはかつてロシア(ソ連)から幾度も攻められ、ひどい目にあわされてきた。なんとかそれを回避したい。国を存続させるためにはロシアとうまくやるしかない。西側と友好的につきあうが、NATOには加盟せず、ロシアからは睨まれないようにしてきた。それがフィンランドの生きる道であった。
ロシアから見れば、フィンランドは理想的な隣国になっている。ウクライナもそうなってもらいたい。だから、ウクライナが西側に近づいては困る、NATO加盟などとんでもない。その兆候があれば武力でもって阻止する。クリミアのようにしてやるというのがロシアの気持ちだろう。ジョージアも同じであり、ロシアはちょっかいを出している。
国境の向こうに緩衝地帯を設けたいというのは日本人にはよくわからない。日本は海という自然の緩衝地帯があるから、そこまでの考えに及ばない。ロシアが北方四島の返還に応じない理由につながる。返還してそこに軍事基地が置かれるかもしれないと思うと、返還などとてもとてもとなる。
ここで私の考えは飛ぶ。そもそも国家って何よ? 国境って必要なの? といった議論に及ぶ。
アフリカや中近東には国という考えはなかった。部族中心に動いていた。部族国家という言い方があるが、部族集合と言ったほうがよいだろう。国境があっても、だれもがそこを自由に行き来していた。植民地化以降、そこに厳格な国境を引いた。部族にいる人たちにとっては戸惑うばかりだ。国より部族が優先するという意識がある。
国としてまとまることはない。それにあきれ果ててしまったのがアラビアのロレンスである。
国境を明確にするのがほんとうに望ましいことか、国境という線引きをしても自由に往来できるようにできないものかと考えるのだが、犯罪組織のグローバル化を考えると、そうもいかないかという思いもある。
アフリカや西アジアの歴史を読み込むと、西欧的というか近代的な論考(国家観)に限界があることに気づく。が、ちょっと疲れた。また改めて考えたい。
ということで、友人には明快な返答をしていないのだが、ウクライナが戦場にならないことを願うばかりだ。傷つくのは兵士だけでない。ふつうの人たちだからね。
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