文珍・南光二人会
昼過ぎ、土砂降りになった。カミナリも鳴っている。ちかごろ、麻生区近辺では珍しい。
日本各地では豪雨の情報があるけれど、近隣ではなかった。もっとも夜中には降ったかもしれないけど。
喫茶店にいたので降られることはなかった。15分ぐらいで止んだ。晴れて蒸し暑くなった。梅雨明けのようなといいたいところだが、梅雨はこれからだ。
上方の落語を聴くことはないわけではないけれど、江戸落語に比べれば少ない。東京に軸足を置いているのは、鶴光、雀々はあたりか。上方にもうまい噺家はたくさんいるけれど、東京での活躍の場は限られている。米團治など年に一回の独演会はあるぐらい。もっと東京でやってもらいたい。
文珍・南光二人会に行ってきた。上方を代表する噺家である。この二人なら客は呼べる。市民館の大ホール(1000人収容)は9割方埋まった。
二人会ではあるけれど4人が高座にあがった。演者と演目。
桂文五郎 延陽伯(たらちね)
桂南光 火焔太鼓
桂そうば 代書屋
桂文珍 お血脈
上方の「延陽伯」という噺は、江戸にくると「たらちね」になる(以前、枝雀のCDで延陽伯を聴いたことがある。内容が、たらちねだった)。
延陽伯とは何か、よくわからないが、人の名前らしい。ただし噺には登場しない。「宮戸川」という噺に宮戸川は出てこない。これと同じか。ただし「宮戸川」には続き(下)があって、そこようやく出てくる。タイトルと内容につながりのない演目はいくつもある。
南光の「火焔太鼓」は恐妻ぶりをより強調していた。オチは、おじゃんになるとするのがふつうだが、その直前で終える。オチなし。ああ、こういう組み立てもありなんだ。
そうばの「代書屋」はおもしろかった。若いだけに元気がよい。笑いをたっぷり盛り込んでの熱演だった。
文珍はゆったりしている。わずかな仕草で笑わせる。表現がビジュアルで、意表をつく。さすがというか風格を感じさせる。軽い。その軽さが心地よい。なぜ心地よいかはわからない。それを追究するのは、やぼになる。
上方演芸会の重鎮であるけれど、文珍は重さを感じさせない。文鎮で押さえるようなところはない。
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