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2022年10月 1日 (土)

ネガティブ・リテラシー

 佐藤卓己さん(京都大学大学院教授)の講演を聴いた。メディアの歴史、とりわけ戦時下での報道についての内容で、最後に「ネガティブ・リテラシー」ということばで説明した。ああ、そうかと納得した。なにを言いたいのかがわかった。

 このことば、箒木蓬生の「ネガティブ・ケイパビリティ」もじりである。これについては当ブログでも以前紹介した(8/9)。性急に結論を求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力のこと。そう書いても理解は難しいが、安易な結論を出さないことと考えてよい。

 例を挙げる。北海道にべてるの家という統合失調症の患者などが共同生活をする施設がある。近くには精神科の病院がある。ここでは患者に最低限の薬を与えることはあっても、過剰な治療はしない。宿泊病棟もない。医師もケースワーカーも患者の訴えやことばを聴くことが中心になる。それで患者の気持ちは落ち着く。ふつうに仕事をしている人もいる。

 この病気は完治が困難である。過度な治療はかえって病状を悪化させることもある。ならば、治らなくてもよいから平穏でいられればよいと考える。医師も治さなくてもよいとして患者と向き合えばよい。この病の症状に耐える。これがネガティブ・ケイパビリティである。べてるの家については、みすずから出ている『治りませんように』をお読みいただきたい。いい本ですよ。

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 本題に戻って、ネガティブリテラシー。マスコミはさまざまな情報を発信している。過剰で偽情報も混じっている。とりわけ戦時下となるとマスコミは正しい報道をしない、あるいはできなくなる。現在のロシアを見ればわかる。多くのロシア人は偽情報に囲まれていると判断するのは第三国の人々である。と言い切ってよいかはわからないが、ロシアの人よりましだろう。

 情報リテラシーの重要性についてはずっと語られてきた。しかしその能力をどう向上させるかについてはあまり語られることはない。せいぜいいくつもの新聞(朝日と読売とか)を読む程度であるが、大したことではない。両方とも怪しいかもしれない。SNSはもっと怪しい。真実の声といったものもあるだろうが、たいていは流言飛語に近い。それも、より分けるのは難しい。あいまいな情報には、まず眉に唾してみることだ。

 佐藤さんは言う。あいまいな情報をすぐに理解しようとする誘惑に耐える力、それがネガティブ・リテラシーってこと。この耐える力が、真偽を見分けることがほとんど不可能なあいまい情報への正しい向き合い方を可能にする。

 鵜吞みにしない。ホントかねと疑ってみる。そういう視点が大切なのだ。

 写真は本稿とは関係ない。しんゆり映画祭のポスター看板を今日、駅前のぺデストリアンデッキに設置した。映画祭は10月末から開催される。

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