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2023年1月

2023年1月31日 (火)

グランマ・モーゼス

 わが家の玄関には、グランマ・モーゼスの絵が掛かっている。

 10年以上前に、新宿にあるSOMPO美術館で買った。もちろん模写品。本物は、ゴッホの「ひまわり」のそばに展示されていた。

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 グランマ・モーゼスの名は50年以上前、大学時代に知った。アメリカ文化を紹介するテキストにその名があった。多くに人に愛された画家との紹介であったが、どんな絵を描いたのかはわからなかった。今ならネットでたちまち調べられるだろうが、当時はムリ、それ以上調べることはなかった。名前だけが記憶の奥に残った。

 それがよみがえった。「ひまわり」の横にグランマ・モーゼスの名前があった。ああ、これがモーゼス、こんな絵を描いていたのだと知った。素朴な、いなかの風景。しろうとっぽい絵であるが、なぜか人を惹きつけるものがあった。後日、ふたたび出かけ、模写絵を買った。家人の了解を得て。

 去年だったか、日本でも展覧会が開かれた。評判がどうだったかは知らないが、いくばくかのファンは増えたんじゃないかと思う。

 筆遣いのテクニックがどうのこうのと言う評論家もいるだろうが、そんなことはどうでもよい。眺めていて、飽きない。そこがいい。

 

2023年1月29日 (日)

「イニシェリン島の精霊」

アラン」という戦前のキュメンタリー映画がある。アイルランドの南西にある島の自然と暮らしを描いたもので、記録映画の原点というかひとつの金字塔のような作品と評価されている。多少のやらせ感(演出)があるものの、自然の脅威には圧倒される。

 畑の土も吹き飛ばされるような風の強い島で、風除けの石垣を積み、わずかな土でジャガイモを育てる。海岸で集めた海草を肥料にする。海に出てジンベイザメを捕獲して、その脂を灯りにする。過酷な日常を描いている。よくそんなところで暮らせるものだとかと心配になるが、先祖はそこに追いやられ、強風の中で暮らすしかなかったのだろう。

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イニシェリン島の精霊」をイオンシネマで観てきた。イニシェリン島は架空の島だが、モデルはアラン島。実際、そこで撮影された。

 風が強いシーンが描かれているのかと思ったら、そんなことはなかった。風はなく、雨降るシーンもない。あてが外れた。期待していたわけではないが。穏やかな風景である。

 奇妙というかミステリアスな映画だ。

 パトリックは親友であると思っていた年上のコルムから絶交を告げられる。訳が分からない。理由を訊いても答えない。関係修復を図るが、これ以上近づくと、自分の指を切り落とすとコルムは叫ぶ。指がなければコルムは楽器を弾けなくなる。パトリックは戸惑うばかりである。

 そして、事態は深刻な方向へと転がっていく。

 風は吹いていないが、島は草が生えているだけである。冬の風は厳しく、さぞや寒かろうと想像される。

 時代は1920年代。アイルランド本島では内戦が始まっている。ときおり砲弾の音が聞こえる。島は平穏だが、いつ戦いに巻き込まれるかもしれない。

 結末は言えない。ネタバレを避けるが、結末を見ても納得できる訳ではない。犠牲の交換がなければ事態は収束しない。諍いが続くってことはいいことだ。それに似たようなセリフがあった。

二人の諍いはアイルランド内戦のメタファーと考えればよいとも思うが、それにとどまれば、は判断中止になってしまう。

 不思議でわからない部分があるけれど、深い。おもしろい映画だ。

2023年1月26日 (木)

 パンデミックの終焉となるのか

コロナ三年の患い」と何度か書いてきた。

 コロナウイルスの大流行が始まったころ、この流行、3年は続く、3年経てば治まるだろうと悲観楽観織り交ぜて(専門家の意見や歴史を振り返っての考察)の見解であった。事態は3年過ぎても続くことになった。弱毒化しつつあるものの重症者・死亡者の数は減ってはいない。

  政府は、弱毒化により、コロナを第5類に移行させるよう検討している。4月あたりには普通のインフルエンザと同等の扱いになる。それでいいのか、わたしにはわからない。

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 オミクロン株は抗体の壁をくぐり抜けようとしている。変異はオミクロンの生き残り策であろうが、いまだヒトとの折り合い(超弱毒化なり無毒化)はついていない。

 デルタ株がいっとき流行った。いまはどうなっているのか。消滅したのか、あるいはどこかで細々と生き続けているのか。復活するかどうかはわからないけれど、みな忘れちゃっている。デルタ株は記憶のはるかかなたにいってしまったようだ。

 知人友人で罹患した人は多い。症状としては発熱とのどの痛みが大半。5日ほどで回復する。後遺症の例もある。味覚障害。味がわからない。1ヶ月ほどつづく。ある人は、ようやくトマトの味がわかってきたそうだ。なぜトマトなのかはわからない。そういうものらしい。リコピンが味蕾を再活性させたと考えてよいのか。

 オミクロンは変異し、XBB.1.5に置き換わりつつあるとの情報がある。感染力が強い。毒性についてはわからない。弱毒性であることを祈るばかりだが、オミクロン株だってヒトとの折り合いをつけたいはずだ。

 ついでのひとこと

週刊朝日」が5月に休刊(実質は終刊)するという。わたしは、いっとき定期購読していた。司馬遼太郎の「街道をゆく」とか山崎豊子の小説を読んでいた。いまは立ち読みで春風亭一之輔のエッセイを読むぐらい。

  朝日には「アエラ」がある。それへのシフトか。読者層のターゲットを年寄りから若者へということだろう。紙からデジタルへの移行ということもあろう。

  紙の週刊誌はデルタ株のようなものか。

2023年1月24日 (火)

「フラッグ・デイ 父を想う日」

 かつてアメリカ映画は、父親を中心にした強い絆で結ばれた家族を描いてきた。西部劇の多くがそうだった。いつしか父親は弱体化していった。戦後、あるいはベトナム戦争後、強い父親が描かれることはほんどなくなった。変わって、家族の崩壊をテーマにするものが大半を占めるようになった。

 現実もそうなのであろう。宗教団体が家庭の大切さをうったえても、親がそうでありたいと願っても、絆は弱体化していく。絆でもって縛りつけようとするのは所詮あがきであろう。

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フラッグ・デイ 父を想う日」をアートセンターで観てきた。監督・主演はショーン・ペン。エキセントリックな役柄が多かった。この映画では、弱い、ダメ親役である。娘のディラン・ペンも娘役で出演している。娘の視点で描かれているから、娘の方が主役といえる。

 1980年代、4人家族だった家庭は崩壊する。国旗制定記念日である6月4日に生まれたジョン(ショーン・ペン)は、特別に祝福され、人生の成功者になると信じていた。裕福で温かい家庭を夢みていたが、現実はそううまくはいかない。成功者になる才覚などなかった。だらしなさを隠し、虚勢で生きてきた。あげくは家族の崩壊、妻とは別れて暮らすことになる。

 ムリして挽回に努めるようとするが、いきつく先は犯罪。強盗で15年の刑を食らう。娘も父親を思っているが、父親のことは隠して大学に通う。

 で、これ以上はネタバレになるのでやめておくつもりだが、チラシには「父はアメリカ最大級の贋札事件の犯人だった」とある。それって、書かない方がいいんじゃないか。

 実話をベースにした映画だから、アメリカ人ならこの事件を知っている。で、こういうコピーになる。でも、日本人のほとんどは事件のことを知らないのだから、伏せておいた方がよかった。

 ショーン・ペンのダメオヤジぶりが秀逸である。この手の犯罪者は饒舌である。言い訳が得意。父親の責任(レスポンティビリディ)を何度も語るが、むなしい。そのあたりの演技がうまい。おちぶれた感じもわるくない。一方、娘の抑えた演技もよい。父を想う気持ちが伝わってくる。

 弱い父親であることを自然にさらけだしている男性にお勧め。弱くていいんだ。強い父親を目指している人にはさらにお薦め。ムリに虚勢を張ることはない。

 わたしは前者の方だろうな。

 ついでのひとこと

 ショ―ン・ペンの役どころ、ボロボロおやじ。日本なら渋川清彦あたりの役回りだな。

2023年1月22日 (日)

どんど焼き

 麻生区では14カ所でどんど焼きが行われた。

 14カ所というのは全国的にみて多いかどうかはわからない。大都市やその近隣では、まちがいなく多いと思う。岡上(川崎の飛び地)では3ヶ所で実施されている。

 昨年は時間差をつけて同日開催だったので、3ヶ所すべてを回った。当ブログでも書いた。

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 今年は同日ではない。麻生区最後のどんど焼きが、きのう、岡上西町会(和光大学前)の田圃で行われた。それに出かけた。西町会のどんど焼きは小田急線に沿った場所でおこなわれるので、車窓からも見ることができる。たまたま居合わせた乗客はラッキーである。

 去年のお札や正月飾りを燃やして、今年の息災を祈る。どれほど御利益があるかどうかといったことは別にして、燃える光景は美しい。火事が好きというと語弊があるが、江戸の花と同系の高揚感がある。

 人間は火とともに進化してきた。かつては焚き火は当たり前だったが、いまは当たり前のようにはできない。大気汚染とか火事の問題があるから届け出とか許可がいる。

 どんど焼きは堂々とできるたき火である。年に一度の行事だから多くの住民が集まる。最後に、おき火で餅を焼いて食う。

 風があったが、まずまずの好天で無事に済んだ。

 ついでのなぞ

 ヒトは焚き火が好き。何故なんだろう。

2023年1月20日 (金)

「モリコーネ」

 ヨーロッパ映画音楽の巨匠といえば二人作曲家を思い浮かべる。ニーノ・ロータエンニオ・モリコーネ。映像とともにメロディがよみがえる。

 映画をさほど観ない人でも「ニュー・シネマ・パラダイス」のメロディは知っている。いまでもテレビでしばしば流れる。エンニオ・モリコーネの曲である。

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 そのモリコーネを描いたドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観てきた。モリコーネが亡くなるちょっと前のロングインタビューを軸にして、数々の関係者、監督とか歌手などの短い声を挿入したもので、実際の映画のシーンも流れる。

 モリコーネは最初はトランペット奏者だった。作曲も学び、映画の世界で頭角を現した。

 なんといってもマカロニ・ウエスタンであろう。セルジオ・レオーネ監督から、クロサワの「用心棒」のイメージで作曲してくれと頼まれたのがレオーネ作品にながく関わるきっかけであった。「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」・・・。マカロニ・ウエスタンは一世を風靡した。あの音楽があったから大ヒットとなった。口笛、鞭の響き、雑音も効果的につかった。わたしは、いまでも「続・夕陽のガンマン」のメロディを聴いている。たまに映像も。

「アンタッチャブル」(デ・パルマ監督)も例の階段落ちのシーンが流れる。「ヘイトフル・エイト」ではアカデミー作曲賞を受賞している。監督のタランティーノも登場する。クリント・イーストウッド、ジョゼッペ・トルナトーレ、ベルトリッチ(「1900年」の音楽を担当していたのは知らなかった)なども出てくる。

 ちょっと思い出しても数々の有名人が登場する。カット割が短くて、めまぐるしい。ああ、そうだ、ジョン・ウイリアムズもインタビューに答えている。印象に残ったのはベルトリッチ。映画のクールさとは違って、楽しそうにたかっていた。

 ということで、オールドシネマファンには懐かしく楽しめる映画だ。若い人はどう思うかわからない。そんなことはどうでもよい。

 あのメロディが流れれば、イーストウッドよりもリー・バン・クリフの姿が浮かんでくる。

 締めにひとこと。ニーノ・ロータの生涯を映画化できないものか。

 

2023年1月18日 (水)

 八起寄席

 十二神社に立ち寄った。人影はない。

 初詣期間中には取り外されていた鈴緒(ジャラジャラ鳴らすやつね)も元に戻され、通常の体勢になっていた。

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 寄席の正月興行は中席の楽日20日でおわる。中国は、春節(旧暦の元日)が今年は20日だからまもなくとなる。

八起寄席」に行ってきた。新年は、八起寄席の監事(落語協会、落語芸術協会、円楽一門、立川流、四派の代表)が高座にあがる。

 演者と演目

 瀧川鯉橋  元犬

 立川談修  蜘蛛駕籠

 古今亭文菊 湯屋番

 三遊亭兼好 禁酒番屋

 いずれもおなじみの演目である。

 鯉橋は軽く「元犬」のあと、余興を披露した。百面相というか形態模写。七福神のうち、大黒様と恵比寿様を演じた。羽織、手ぬぐい、扇子、そして座布団を使っての模写。それらしく見えるところが妙というか芸である。

 いちばん笑わせてくれたのは文菊。文菊は、なよなよした若旦那ものが似合う。「湯屋番」は放蕩息子が風呂屋の番台に登るという噺。

 のどの調子がよいのか、声の響きがいつもより大きい。その分、客席の笑いも弾む。文菊を聴いたことのない人はぜひとも一度耳にしてほしい。耳だけでなく姿も。笑えるぞ。うつな気分など吹っ飛ぶ。

 もうすぐ「笑点」の出演者(たぶん二人)が決まる。一押しは文菊か兼好。宮司のキャラもわるくはないが、芸は断然、文菊や兼好の方が上である。

 小痴楽も有力視されているが、さて。  

 

2023年1月16日 (月)

『夢の砦』

 暮れに矢崎泰久さんが亡くなったことについては少しふれた。

 改めて矢崎泰久さんについて書いておこう。当ブログではその著作『人生は喜劇だ』を紹介したことがある(2020/12/18)。昨年の秋、『夢の砦』出版された。和田誠との共著である。「話の特集」が誕生した頃を振り返ったもの。和田誠は創刊号から「話の特殊」のグラフィックデザインを受け持った。無料で。タダだから内容にも口を出した。

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『夢の砦』は創刊間近い頃から最盛期のころを振り返ったもので、対談など大半は再録である。改めて読んでみて、図抜けたおもしろい雑誌だったことがわかる。矢崎編集長は和田誠に操り操られながらすぐれた企画を残した。川端康成の「雪国」のパロディ(文体模写)はつとに有名で、和田誠の才能が凝縮されている。『倫敦巴里』にも採録されているが、それより今回の『夢の砦』の方が多く採られている。雑誌掲載中、これを読んでは大笑いしたりニヤニヤしたりした。誰もがそうだった。

「暮しの手帖」のパロディもおもしろい。リボルバーの拳銃を「暮しの手帖」風に商品テストしたものだ。題して「殺しの手帖」。もちろんイラストもそれらしのだが、単にモノマネではないところが高尚である。

 反権力反権威反体制をユーモアでくるんでいたというが、そうでなければパロディエンターテイメントは成立しない。くるんだのは和田誠。単純にというか純粋におもしろかった。

 あれこれ書き出すときりがないのでやめておく。

 まさに「話の特集」は夢の砦であった。本書は小さな出版社から出ているせいか、大きな本屋しか置いてない。近所の有隣堂や三省堂(最近できた)にはない。取り寄せるかネットで注文するか、ぜひお読みいただきたい。 

 ついでのひとこと

「雪国」の文体模写からひとつ紹介しておく。宇能鴻一郎。ポルノだが、中身はソフト。

「・・・トンネルに汽車が入ると、あたし、いけないことを連想しちゃうんです。ああ、あたしにも逞しい汽車が入ってきて欲しい。なんて思ったりして・・・。」

2023年1月14日 (土)

「非常宣言」

 5回目のワクチン接種をした。前回してから5ヶ月以上たつ。

 いまは第8波のさなかで、オミクロン株が幅を利かせている。オミクロン株は重症化しにくいと言われているが、重症者、死者は前回を上回っている。

  高齢で持病がある人は接種した方がよいとのことである。それを信じて打った。妻はもう打たないと言っている。それも選択肢だろう。

 韓国映画「非常宣言」をイオンシネマで観てきた。飛行機の中でウイルスをまき散らすといストーリー。ジャンルで言うと航空機パニックもの。主演はソン・ガンホであるけれど、元パイロット役のイ・ビョウンホンや副操縦士も主要な役割を果たす群像劇である。

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 旅客機を舞台にした映画はたくさんある。脱出不能な閉鎖空間、墜落の恐怖があってスリリングな劇になりやすい。「非常宣言」は、これに乗客はスマホで地上と交信できるといった要素がつけ加わる。さらに、コロナウイルスによる恐怖にさらされている昨今の情勢があるからバイオテロ(犯人はウイルスをまき散らす)は切実感がある。

 といったことで、恐怖をあおる音響もたっぷりでスリリングな映画になっているのだが、設定に無理があることに途中で気づいた。ソウルからホノルルへの便、途中から引き返すという設定。十数時間、長くても二十時間は超えない。燃料がないからね。地上では、犯人の特定、抗ウイルス薬の確保、その他政府の対応などはとても短時間ではできない。さらに国民の反感などがつけ加わる。時間的に荒唐無稽な設定なんだよね。

 それに気がつくと、ややしらける。ま、そんなことは考えずにスクリーンを見つめればよいのだけれど、気になれば、リアル感は薄れる。

 ネタバレになるから、つっこまないけど(観てない人にはわからない)、たぶん人道的な見地から違う意思決定がなされるはずだ。日本向けならエンディングの部分を変えてもよい。アメリカバージョンも考えられる。要するに、国によって結末を変えてもいいということ。ご都合主義と批判されても、無視すればよい。

 ワクチン接種にもどると、腕が痛い。わずかな副反応がある。第6回目の接種がないようにと祈っている。

 

2023年1月12日 (木)

生田寄席 五明楼玉の輔

 ことし最初の落語は「生田寄席」。五明楼玉の輔独演会である。

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 開口一番は、ご当地噺家である二つ目の柳亭市若。まだ、玉の輔師匠が到着していないので、それまでつなぎますとマクラに入った。時間が決まっていないとやりにくいが、これも修業のうち。

 夜中にチャーハンが無性に食べたくなる。市若は体重百キロを超す越す巨漢。ま、腹は減るだろう。セブン-イレブンに行ってチャーハンおにぎりを買う。これがうまいんだと語る。終演後、私はセブンに行ってみたのだが、チャーハンおにぎりはなかった。終売か取り扱いがないのか。それにしてもおにぎりのメニューは多い。定番の鶏五目おにぎりがずらっと並んでいた。

 長いマクラのあと、師匠の到着がわかると本題に入った。演目は「時そば」。オーソドックスに演じた。それにしても早口。もっとゆくりしゃべればいいのに。

 五明楼玉の輔の演目はつぎのとおり。三席だった。

 つる(改)

 厩火事

 芝浜

 おなじみの演目だが。「つる」は新作に近い。

 つ~~る、というのが元々の形なのだが、それをやらない。つるは英語ではクレーン、あの重機をクレーンというのはつるの姿に似ているから。で、つるは、吊るから。と、まあ、こんなぐあい。元ネタよりおもしろい。

 歯切れがよい。熟練の技である。終演後、玉の輔っていくつぐらいと尋ねられた。60ぐらいかなと答えて、スマホで調べてみると57歳。もっと上のようにもみえる。小朝の弟子。離婚歴ありというどうでもいい情報も載っていた。

 次回の生田寄席は、滝川鯉昇。これは楽しみだ。

2023年1月11日 (水)

 シネマ歌舞伎

 都心に出かけた。用事は早く済ますことができた。このまま帰宅するのはもったいない。しばらく出かけていない浅草にでもと思ったが、ネットで確認すると、お目当ての店は休みだった。またにする。

  東劇でシネマ歌舞伎という手もある。確認すると、上映時間もよい。こっちにした。

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 演目は「二人藤娘」と「日本振袖始」。玉三郎勘九郎七之助が出演している。役者はわるくない。

「日本振袖始」がどんな内容か知らない。ま、役者の姿を見て声を聞いていればそれでよい。

始まればヤマタノオロチ(八岐大蛇)の話だとわかった。ストーリーは単純で複雑な人間関係もないからわかりやすい。振袖というタイトルは、生け贄となる稲田姫も、そしてオロチも振袖姿で登場するところからきているようだ。

観客は艶姿を眺めていればよい。姿も仕草も美しい。

 ヤマタノオロチは途中から8人になる。それが連なってオロチを表現する。迫力がある。なるほど、こういうふうに演じるのかと感心した。

 ついでのひとこと

 東劇のエレベーターに「黙乗」という張り紙がしてあった。意味はわかる。エレベーター内での会話は禁止、感染防止である。

 いつも通っているジムの風呂には「黙浴」の表示がある。

 カラオケボックスに「黙唱」との張り紙あった。これはウソ。 

2023年1月 9日 (月)

「あちらにいる鬼」

 樹木希林ブームがあった。その生き方や人生を説いた本はベストセラーになった。その立ち位置を引き継いだのが瀬戸内寂聴だった。生き方も説法も、とりわけ女性には人気を博した。

 寂聴さんは出家する前の奔放な生き方を正直に語った。恋なんて理屈ではない、突然カミナリに打たれるようなものよと語って平然としていた。なにか、文句ある? と問われたら、アリマセンとこたえるしかない。

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あちらにいる鬼」をアートセンターで観てきた。瀬戸内寂聴(晴美)と井上光晴をモデルにした小説(井上光晴の娘、井上荒野の著作)を映画化したものである。寺島しのぶ豊川悦司がそれぞれを演じている。

 時代は半世紀以上前、1966年。妻子のいる作家は若いパートナーがいる女流作家に近づいて関係をもつ。あとは恋の道行きとなるが、修羅場となるようなことはない。

 ふたりが新宿の映画館から出てくるシーンがある。上映中の映画は「日本春歌考」。なつかしい。監督は大島渚。映画の主要な春歌である「討匪行」の替え歌をふたりは歌う。雨のしょぼしょぼ降る晩に・・・朝鮮人娼婦の歌である。若い人は知らないだろうな。年寄りでも知らない人は多い。原作にこのシーンがあるかどうかは知らないけど、脚本は荒井晴彦。私と同い歳だから、この時代の雰囲気は詳しい。

 有名人が不倫をすると大スキャンダルになるが、かつてはそれほどでもなかった。そういうものだと世間は理解していた。いまはそうはいかないドートク的な風潮が支配的になっている。 

 出家すると頭を丸めるかどうかは宗派によって異なる。女もするかどうか違う。寂聴さんは髪を落とした。映画では剃髪のシーンをしっかり撮っている。

 ついでのひとこと

「討匪行」について補足しておくと、もともとは軍歌。どこまで続くぬかるみぞ 三日二夜は食もなく 雨降りしぶく鉄かぶと・・・。軍歌にしては勇ましくない。ラジオなどは放送されなかったそうだ。これの替え歌が、雨のしょぼしょぼ降るつ晩にガラスの窓からのぞいてる・・である。朝鮮人娼婦のなまりで歌う。濁音のバビブベボが半濁音のパピプペポになる。侮蔑的であるがそれが実態だった。映画では、すこし歌詞が変えてある。「日本春歌考」では吉田日出子が歌っていたと記憶している。

 それにしてもトリビアな話題である。ネットで「満鉄小唄」で引くと歌詞にたどり着くことができる。

2023年1月 7日 (土)

七草粥

 きょうは七草。麻生市民館前の広場では、毎年、七草粥が振る舞われる。ことしも出かけてみた。

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 昨年はどんなことをブログに書いたのか、調べてみた。牛乳粥についてふれている。前年末、生乳処理ができない、廃棄せざるをえないといったニュースがあった、その対策として牛乳粥にしたらどうかといった内容だった。もうひとつ理由があった。七草粥が旨くなかったからだ。

 口が肥えちまった身としては、七草粥のようなシンプルな味を受け付けなくなっている。わざわざ食べるような料理ではない。ちょっと工夫がほしい。缶詰のシャケとかサバをぶち込む。それだけで旨くなるだろう。

 それを思い出したので、今年は食べなかった。会場の雰囲気をながめ、何枚か写真を撮っただけ。来年、缶詰を持って行ってシャケ粥にしたら・・・イヤミになるか。

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 粥とは関係ないけど、シャケの中骨缶を好んで食べるようにしている。骨が舌の上でほろほろ崩れる感じがなんともいえず心地よいのだ。

2023年1月 5日 (木)

「あのこと」

 アメリカ連邦最高裁は、人工妊娠中絶を禁止するとの判断を下した。昨年のことである。たちまち反対運動が巻き起こった。

 中絶を禁止する国と許容する国がどれぐらいあるかわからない。許容する国が増えていると思っていたのだが、そうでもなさそうである。

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  アートセンターで「あのこと」を観てきた。妊娠中絶をめぐる映画である。原作はアニー・エルノーの小説。自身の体験をベースにしたとのことである。

 時代は、明確にされていないが1962年ぐらいのこと。そのころフランスでは妊娠中絶は禁止されていた。主人公アンヌは大学生。予期せぬ妊娠をしてしまう。このままでは大学にいることはできない。彼女には産むという選択肢はない。中絶の方策をさぐるのだが・・・。

 ストーリーは直線的だが、その枝葉が克明に描かれる。観客はとまどいつつ画面に引き込まれる。

 後味は、心地よくない。映画は声高に妊娠中絶禁止の法を批判しているわけではない。しかし中絶は禁止しない方がよいと思わせるようになっている。

 ヴェネチア映画祭でパルムドールをとっている、でも、あまり観たくない映画と思う人が多いんじゃないか。私は汗をかいた。

 ついでのひとこと

 妊娠を望まないなら避妊は心がけるべき。近頃は性交渉後72時間以内の避妊薬がある(日本では販売されていない)。中絶するぐらいならこれを使うのも手なんだけど。

2023年1月 3日 (火)

『やっと訪れた春に』

 前立腺肥大で薬の世話になっている。手術しなければならないほどではないけれど、尿に勢いはない。歳をとれば致し方ないか。70過ぎれば多くが前立腺肥大症になる。成人の二人に一人がガンになると言われるが、それより確率は高い。もちろん男だけのことだが。

 尿漏れも聞く。おもらし。トイレに駆け込む前に漏らしてしまう。そこまでには至っていないが、我慢できる限度が下がっているのを感じる。いずれは尿漏れパンツのお世話になるかもしれない。

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 橋倉藩藩主の近習目付である長沢圭史は、城の堀に落ちる。我慢できずにお漏らしをしてしまったのを隠すためだった。67歳だった。圭史は致仕至願いを出す。

 青山文平の小説『やっと訪れた春に』の冒頭である。もう一人の近習目付の団藤匠とともに藩を支えてきた。藩には二つの門閥があった。対立を避けるため、藩主を襷掛けにするようにしてきた。これまでなにごともなく続いてきた。うまくいってきた。

 圭史は肩の荷を降ろした。息子二人は早逝し、妻も亡くし、一人暮らしだった。庭の木になる梅で梅干しをつくるという暮らしになった。「やっと訪れた春」を楽しむ鶯のようだった。

 藩の重鎮が殺されるという事件が起きる。引退後のゆったりとした生活を迎えるはずだった。そうはならないのが、この手の小説の常套である。

 いるかいないかわからないもう一人の存在が浮上し、圭史は謎を追うことになる。圭史は行動的ではない。思弁的というか、たえず思索する。その思考が本書の多くを占めている。

 作者はわたしとほぼ同い歳。前立腺肥大を抱え、一方で尿漏れを懸念していると勝手に想像する。

 致仕した理由の尿漏れであるが、さしあたって心配することはない。袴なら小用に手間取る。着流しならすぐにチン君を取り出すことができる。しばらくは、ウグイスのように啼ける。

 小説の本筋とは離れた独書感想になってしまった。

 ついでのひとこと

 暮れに矢崎泰久さんが亡くなった。雑誌「話の特集」の名編集長であった。1970年代80年代、わたしは大変お世話になった。これほど優れた雑誌にはそれ以降出会ったことはない。ピカピカの月刊誌だった。このことについては以前にも書いた(『人生は喜劇だ』を紹介 2020/12/18)ので、ここでは繰り返さない。ああいう雑誌にもう一度お目にかかりたい。

2023年1月 1日 (日)

 初詣のあとは「すずめ」

  あけましておめでとうございます。

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 新百合ヶ丘近辺の氏神さまである十二神社に初詣に出かけた。

 感染防止のため鈴緒はとりはずされている。おみくじもなし。ちょっと味気ないけど仕方がない。

 お賽銭は百円玉。ご縁がありますようにと五円玉を投げ入れるという見解があるけれど、あれは神社にとっては迷惑なことである。小銭は整理に手間がかかるし、たいした収入にはならない。ちかごろは入金手数料をとる銀行もある。

 友人に神主がいる。けっこう大きな神社だが、賽銭は一年で数十万円にしかならない。手間を考えれば小銭はいらないとはいわないけれど、ありがた迷惑でもある。

 それを聞いて、以降、賽銭は最低でも百円玉にすることにした。

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「すずめの戸締まり」 

 午後からは、小学生の孫娘と映画館にでかけた。観たのは「すずめの戸締まり」。封切りから一ヶ月以上たっているけど、まだまだ観客は多い。ごらんになった方も多いと思う。

 地震を防ぐために地中から出てきた巨大ミミズの穴を塞ぐといった内容になっている。ミミズはむかしならナマズである。高校生の鈴芽(すずめ)が主人公。閉じ師(穴を塞ぐ)である大学生の草太は三本脚の椅子になってしまっている。すずめは椅子とともに震災を防ぐよう旅にでる。

 ストーリーはわかりづらい。孫は原作本を読んでいるので内容は理解できたという。えらい!

 これが東日本大震災へと収束していくのだが、よけいなことは言わないでおこう。わかりづらいといいながらも「君の名は。」「天気の子」よりおもしろかった。

 すずめの叔母(母親の姉)を描いた小冊子を入口でもらった。これを読めば理解は進むか。

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