パンデミックの終焉となるのか
「コロナ三年の患い」と何度か書いてきた。
コロナウイルスの大流行が始まったころ、この流行、3年は続く、3年経てば治まるだろうと悲観楽観織り交ぜて(専門家の意見や歴史を振り返っての考察)の見解であった。事態は3年過ぎても続くことになった。弱毒化しつつあるものの重症者・死亡者の数は減ってはいない。
政府は、弱毒化により、コロナを第5類に移行させるよう検討している。4月あたりには普通のインフルエンザと同等の扱いになる。それでいいのか、わたしにはわからない。
オミクロン株は抗体の壁をくぐり抜けようとしている。変異はオミクロンの生き残り策であろうが、いまだヒトとの折り合い(超弱毒化なり無毒化)はついていない。
デルタ株がいっとき流行った。いまはどうなっているのか。消滅したのか、あるいはどこかで細々と生き続けているのか。復活するかどうかはわからないけれど、みな忘れちゃっている。デルタ株は記憶のはるかかなたにいってしまったようだ。
知人友人で罹患した人は多い。症状としては発熱とのどの痛みが大半。5日ほどで回復する。後遺症の例もある。味覚障害。味がわからない。1ヶ月ほどつづく。ある人は、ようやくトマトの味がわかってきたそうだ。なぜトマトなのかはわからない。そういうものらしい。リコピンが味蕾を再活性させたと考えてよいのか。
オミクロンは変異し、XBB.1.5に置き換わりつつあるとの情報がある。感染力が強い。毒性についてはわからない。弱毒性であることを祈るばかりだが、オミクロン株だってヒトとの折り合いをつけたいはずだ。
ついでのひとこと
「週刊朝日」が5月に休刊(実質は終刊)するという。わたしは、いっとき定期購読していた。司馬遼太郎の「街道をゆく」とか山崎豊子の小説を読んでいた。いまは立ち読みで春風亭一之輔のエッセイを読むぐらい。
朝日には「アエラ」がある。それへのシフトか。読者層のターゲットを年寄りから若者へということだろう。紙からデジタルへの移行ということもあろう。
紙の週刊誌はデルタ株のようなものか。
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