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2023年3月

2023年3月30日 (木)

 WBC終わる

 WBCを楽しんだ。でも、終わってしまえば一瞬のできごとで、記憶も薄れていく。しっかり映像として残っているのは大谷の最後のスライダー。あれはすごかった。

 ヌートバーも印象に残る。本人もそうだが、お母さんも。明るくておしゃべり。はしゃいでいた。それで思い出したのが、アニマル浜口の奥さん。「きょうこー!」と声を張りあげ応援していたのと重なる。似てるよね。「きょうこー、平常心よー」

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 まもなく4月になる。本格的な春。けやきも若葉をまといはじめた。さわやかな緑である。あと少しで花粉の飛散もおわる。

 大リーグに続いて日本のプロ野球も開幕となる。やはりエンジェルス大谷に目がいく。「ショウヘイ!」と心の中で声援したい。ヌートバーの母親はどんなふうに声援するんだろうか。

 それにひきかえ、大相撲はさえない。横綱休場、大関も途中休場。来場所もどんぐりの背比べ。どんぐり場所か。

2023年3月28日 (火)

「雑魚どもよ、大志を抱け!」

 新宿に出かけた。武蔵野館で足立紳原作・脚本・監督の「雑魚どもよ、大志を抱け!」を観た。

 この映画、新百合ヶ丘のアートセンターで上映されるかもしれないが、わからない。もし上映されなければ、この秋の「しんゆり映画祭」での上映有力候補になる。だからということもあり、早めに観ておくことにした。

 武蔵野館は古くからある新宿のミニシアター。いい映画館なのだが、スクリーンが低い位置にあるのが欠点。前の座席に座高の高い人が座ると後ろのシートでは観にくくなる。前列は空いていた。ところが上映間近になって背の高い、髪の毛をちょんまげ風に結った男が座った。スクリーンが隠れる。さいわい隣の座席が空いていたのでそっちに移った。

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 時代は1988年。飛騨古川が舞台となる。小学5年から6年にかけての小学生たちを描いたものだ。仲のよい4人は放課後、自転車に乗ってでかける。学校ではオオサンショウオにいたずらをしたり、廃線となった線路の先にあるトンネルにでかけたり、じっとしていられない少年たちである。それぞれが家庭でのトラブルを抱えているが、外では自由で抑圧から逃れることができる。

 対立するグループがいる。ときどきトラブルとなるが、大事にはいたっていなかった。しかし、勢力バランスはしだいに崩れていく。

 ざっとこんな設定。自転車を乗り回す光景が印象的である。この映画ほとんどが手持ちカメラでの撮影である。揺れるカメラワークがいい。足立紳は相米慎二監督の助監督をやっていた。この映画でも相米監督の流れを汲むような味わいがある。

「スタンド・バイ・ミー」のような、あるいはつい先ごろ観た「フェイブルマンズ」と重なるような雰囲気ある。

 永瀬正敏がちょい役で出ている。永瀬はあいかわらず永瀬キャラを演じている。ちょっと笑える。役づくりが固定されちゃってる。

 それはともかくとして、飛騨古川には「蓬莱」という日本酒がある。最近はあまり飲んでいないのだが、また呑みたくなった。ここはまた、あの「君の名は。」の舞台にもなった町だ。

 JR高山線を走る列車は、一両編成。一両では列車という表現はおかしいか。それにしても、鉄道は衰退した。本数も減った。わたしが生まれたのは飛騨古川から南の、今だと下呂市になる。高山線にはよく乗った。むかしは蒸気機関車だった。 

2023年3月26日 (日)

「オットーという男」

 まもなくイオンシネマでの上映が終了となる「オットーという男」を観てきた。駆け込みである。トム・ハンクス主演だから観逃すわけにはいかない、というほどではないけれど、これは観ておきたい。

 昨年は「エルヴィス」に出ていた。エルヴィス・プレスリーのマネージャー役。奇っ怪な演技が印象に残っている。名優はどんな役でもこなせる。

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 今回は、ひとり暮らしの老人・オットーの役。眉間にしわを寄せ、住民のマナー、ゴミの分別とか車の停め方とかにはうるさく文句を言う。小言幸兵衛である。

 妻を亡くし仕事も定年退職となった。もうこの世に未練はない。早く妻の元にいきたいと自殺をはかるが、じゃまが入る。近所にメキシコ人家族が引っ越してきて、なにかと頼みごとをする。煩わしいが、この隣人は人なつっこい。元来世話好きのオットーはなにかと面倒をみることになる。

 亡き妻との映像も流される。初めての出会い、交際が始まったころのシーン。なつかしい、はやく妻の元にいきたいと思うが、そうもいかない。もうひと組のお隣さん、黒人家族がいる。こちらも老人介護などの問題を抱えている。なんとかしなくてはならない。こうした交流によりオットーの頑固な感情はしだいに氷が溶けるように緩んでいく。

 といったストーリー。頑固者の心がほどけていく小説や映画はありふれている。これもそのひとつだが、時代背景をうまく描いているところもみどころ。購入する車がクライスラーからどんどん変わり、セリカ(トヨタ)、フォルクスワーゲンとなっていく。黒人、メキシコからの移民といったマイノリティにかかわる社会現象もさりげなく描いている。

 こころあたたまる。たまにはこういう映画もよい。

2023年3月24日 (金)

眠りと音楽

 夜、よく眠れるかというと、そうでもない。寝つきは早い。すとんと眠りに落ちる。が、二時間か三時間もすると目覚める。トイレに行く。それからが眠れない。ときに、うとうととし、またトイレに行きたくなる。夜明け近くになって眠る。

 中途覚醒、キセル型の眠りである。年をとると、ラジオ深夜便を聴く人が多くなる。わたしも深夜便族の仲間である。ただしラジオではない。ウォークマンで落語を聴いている。落語じゃ覚醒しちゃうんじゃないかと思われるかもしれない。そうでもない。子守歌のような落語もある。

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 先だって、「眠りと音楽」をテーマにしたコンサートがあった。昭和音大でのピアノソロ。てっきり子守歌のような演奏かとおもったら、そうではなかった。

 昭和音大には音楽療法コースがあって、睡眠障害もその対象にしている。ピアノ演奏の間に講演がある。よく眠るためにという内容だが、ありふれた説明で新鮮さはない。

 規則正しい生活、陽に当たる、適度の運動、緊張の緩和(リラックス)、三度きちんと食べる・・・。要するに、睡眠薬は別として特効薬はないってことね。

 セサミン(ゴマに含まれる微量成分)を摂るのもいいらしいが、協賛にサントリーが名を連ねているから、多少割り引いて考えなければならない。

このコンサート、眠るためのコンサートだから、眠ってもよい。したがって、途中での拍手はなしということだった。

それより、夜中に尿意を催さない方法を聞きたかったのだが・・・。

2023年3月22日 (水)

「崖上のスパイ」

 チャン・イーモウ監督作品「崖上のスパイ」をアートセンターで観てきた。さして評判になっていないが、チャン・イーモウなら観ておきたい。

 スパイ・サスペンス。スパイものはわかりにくいものが多い。見方だと思っていたら敵のスパイだったり、密偵が寝返っていたりする。チラシには登場人物の相関図が載っている。たぶんややこしい内容なんだろうなと覚悟する。

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 1934年の冬、ソ連で訓練を受けたスパイチーム4人が「ウートラ計画」を実行するため満州ハルピンに潜入する。秘密施設にいる同胞を国外に脱出させ、日本軍の蛮行を世界に知らしめるという作戦である。しかし、その作戦はライバル組織である特殊警察に関知されていた。敵につきまとわれ、一人は捕捉される。一方で、敵組織に潜り込んでいる仲間に助けられたりもする。ウートラとはロシア語で夜明けのことだそうだ。

 と、書いてみたものの、誰が敵で仲間なのかわからない。これは敵組織も同じ。情報が漏れていることを疑う。そもそもスパイチームと特殊警察がライバルになっていることがわからない、

 わからないなりに観ているうちに、画面に引きつけられる。ハラハラする展開、冬のハルピンの町並みの厳しさ、激しいカーチェイス・・・さすが名匠の仕事である。エンディングへの収束もうまい。

 映画館で上映されているのは「黄金狂時代」。チャップリンへのオマージュであろう。

 ひとつ付け加えると、スパイチームの一人・小蘭を援ずる女優さんは可愛い。10年前の石原さとみといったところ。こういう女優、チャン・イーモウの好みなんだよね。

 ついでのひとこと

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 きのう、麻生川沿いの散歩道を歩いた。桜は三分咲き程度。都心と比べると一週間ほど遅い。今週末が満開になる。

 

2023年3月20日 (月)

ブンガチャチャ

 例のペッパー・ミル・パフォーマンス、はじめて見たとき、赤子の手をひねるようなものだよ、といったような意味かと思った。簡単だ、どんどん行こうぜ、である。

 ペッパー・ミルならゴリゴリだろうが、そうでなければ、あのしぐさはキュキュである。

 で、思い出したのが「ブンガチャチャ節」とか「ブンガチャ節」と呼ばれる歌謡曲である。

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 あの子かわいや こっち向いておくれ キュッキュキュ

 後半に、かけ声(囃し)が入る。

 ブンガチャチャ ブンガチャチャ

 軽快で陽気な歌である。

 ネットで調べてみると、北島三郎バージョンが最初に出てくる。これが放送禁止となったとか??? どうやら元の歌に卑猥な歌詞があったかららしい。アホか。

 この歌、戦前から歌われていたのではないかと思う。北島以前、ちまたではずっと歌われていた。

 きのう昼間、TVKの「お茶の間寄席」で昔昔亭桃太郎がこの歌を歌っていた。へー、偶然。演目は「ぜんざい公社」。桃太郎バージョンの「ぜんざい公社」でこの歌を聞くのは初めて(だと思う)。 

調子のよい歌だ。スポーツの応援歌にもふさわしい。高校野球でも使ったらどうか。もちろん、プロ野球でもよい。

2023年3月18日 (土)

認知症 介護の極意

 アルツハイマー病の新薬が開発、発売されるというニュースがあった。認知症治療の特効薬となればすばらしいことだが、詳細を調べてみると、たいして効果はないらしい。多少進行を遅らせることができるが、有効であると判断するほどではない。副作用もある。薬価も異様に高い。

 とはいえ、認知症を患う人や家族にとっては、期待の新薬だろう。たとえワラであってもすがりたい気持ちはよくわかる。

 アタシも関心がある。後期高齢者となり思い出せないことが多くなった。脳をチェックすると年齢相応に萎縮していると医師は言う。「歳相応であって問題はありません」。年齢相応というのをどう評価したらよいか。問題はないと思う人もいるだろうが、年齢どおりボケているということでもある。

 現在のところ、認知症は治らない、そう診断されたらあきらめてつきあっていくしかないと覚悟するのが冷静な判断だろう。

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 久坂部羊は小説家であり、老人医療の専門医である。みずから寝たきりとなった父親の介護をした。

 以前、著作の『老乱』(朝日文庫)を読んだ。老いてぼける不安をもつ老人といずれ介護することになる息子夫婦を描いた小説である。老人の立場と介護をする側を交互に描いている。ああ、こんな風に呆けていくのかと老人の立場がわかる。ちょっと不安になる。もう一方で、息子夫婦の戸惑い、どう対処したらよいか、金銭的なことも含めて、介護が現実となっていく姿も理解できる。切実さが伝わってくる。

 今月、あらたに『老父よ、帰れ』が文庫(朝日文庫)となった。こちらは施設に預けた認知症の父親を引き取って自宅で介護する物語である。

 認知症患者が望むような介護、介護する側の妥当な対処法、その極意ではないけれどヒントとなるようなことが書かれている。

理想の介護とは、認知症の患者がなにを望んでいるかを知ることから始まる。ただ延命させればよいというものでもない。

 

2023年3月16日 (木)

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

 ことしのアカデミー作品賞は長いタイトルの「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」がとった。

 コインランドリーを経営するフツーのおばさんが活躍するアクション・エンターテイメントで、全米で大ヒットした。さぞや面白いだろうと観に行ったのだが、さほどでもなかった。目まぐるしい展開について行けなかった。寝不足もあった。

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 中国系の主人公エヴリンはコインランドリーの納税手続きに手を焼きながら父親の介護をしている。夫は頼りにならないし、娘は反抗的。悩みは多い。そんな折、夫に宇宙から指令がくる。エヴリンに宇宙の悪を倒せという指令である。そこからハチャメチャ、マルチバース(多元宇宙)ものである。

 訳のわからないことが起き、エヴリンはカンフーで闘うことになる。めまぐるしいアクションが続く。かつての香港カンフーもの、ジャッキー・チェーンが登場するような展開である。

 めまぐるしいが、締めくくりは家族愛である。母親中心に家族の絆が強まるといった形で収束する。こういうの、最近のハリウッドものではありがちなんだよね。

 家族の絆が社会的に取りざたされることが多くなった。統一協会は家庭第一を強調している。エホバの証人は子供に対する厳しいしつけである。絆は、梗塞のひもであり、首かせである。子を拘束する。愛情といううちはよいが、過ぎれば虐待となる。

 理想的な家庭像といったものはもはや存在しない。それに気づかないと、子に親は身勝手な理想を押しつけることになる。子にとっては迷惑なことで煩わしい。

 映画は大ヒットし、アカデミー賞までもとった。お気楽娯楽砂作であり、スカットする。アメリカの人たちは、それだけではなく、映画の奥に流れる家庭愛といったものに惹かれたのかもしれない。わたしは感じなかったのだが・・・。ねむたい。

 ついでのひとこと

 マスクをするのは個人の判断となった。着用する人は激減するかとおもったが。そうでもない。

茨木のり子の詩を思い出した。それをパロって。

 わたしが一番きれいだったとき

 わたしはマスクをしていた。

2023年3月14日 (火)

「小さき麦の花」

 現代中国の農村を描いたドキュメンタリーをときどきテレビで見かける。

 村落を集約するといったものが多い。農民を別の場所に移転させ、残された農地は放置させるか工業団地にするといったもので、国の農業政策の大きな柱になっている。これまで営々と土とともに暮らしてきた農民にとっては、戸惑いであるが、貧しさから抜け出すチャンスと感じる人もいる。農地をもがれ、さらに貧しくなる人もいる。

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 アートセンターで「小さき麦の穂」を観てきた。そうした農村改革の一断片を描いている。

 10年ほど前の中国西北部の農村。貧乏な家庭同士の二人が見合い結婚をする。夫は畑を耕す。からだが自由とはいえぬ妻はそれを手伝う。ロバも大切な仲間である。畑作業の合間をみて、泥をこね、型にはめて天日干しにする。レンガづくりである。それを積み上げて新居を造る。

 農村改革の一環として、廃屋を取り壊すと補助金がでる。それを目当てに移転する人もいる。夫の兄もそうであり、羽振りはよい。

 それには目もくれず、夫婦は小麦やトウモロコシを育てる。収穫し、それを出荷するまでも手間暇はかかる。そんな二人を淡々と描いている。

 チラチラと見えるのが近代化の波である。潅漑用水は整備され、自家用車も農地の脇を走る。その一方での農耕生活、わかりやすい構図である。そうだから、二人の暮らしはより貧乏くさく感じる。こうやって農民は取り残されていく。家を取り壊せばツバメは帰って来られない。だから、家を取り壊すのはばかられるのだが・・・。

 映像も古くささを強調している。古き時代への郷愁を誘う。しかし、現実となれば、そんな時代には戻りたくない。純朴だけれど、切ない。

2023年3月12日 (日)

マスクとWBC

 あすからマスクの着用は個人の判断にまかされる。

 新型コロナによるパンデミックも最終盤となった。まだまだ油断はできないという慎重論もあるけれど、ま、終わりなんだろう。

 だだ、マスクははずせない。花粉症である。歳とともに症状は軽くなったが、ことしは違う。夜中に、鼻が詰まり、クシャミがとまらなくなることがある。あわててマスクをして眠る。煩わしいが、いくぶん症状は治まる。

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 ところで、WBCって、そんなにおもしろいですか。

新聞はオープン戦などそっちのけで紙面を割いている。テレビも大イベントのように報じている。マスコミに踊らされている。

 サッカーのワールドカップと比べると貧弱な大会で、中国やチェコはWBC本戦に出場するほどの実力はない。選手のキャリアから見ても幕下級である。そこに勝ったからといって大はしゃぎするのはどうかと思う。

 じゃあ、テレビを見なかったかというとそんなことはない。大谷やダルビッシュの活躍は見たい。ただ、降板した後は、大谷のDHを除いてはどうでもよい。バカ騒ぎ、から騒ぎにつきあうのはここまで。5回あたりでテレビを消す。

 それにしても岸田さんの始球式、あとでニュースで見たのだが、ひどい投げ方だった。アタシより若い。すこしはカラダを鍛えておけと言いたい。

 写真は散歩中に見つけたシャケナゲ。つぼみも膨らんできた。マスクや花粉症、野球とも関係ないけど、サクラが咲き、散るころとなればシャクナゲは咲き始める。花粉の飛散も収まる。

2023年3月10日 (金)

「すべてうまくいきますように」

 アートセンターでソフィー・マルソー主演の「すべてうまくいきますように」を観てきた。このところ週二ぐらいのペースで映画館に行っている。昨年もそのぐらいだったから、普通のペースだ、ということはともかく、ソフィー・マルソーは若い人は知らないかもしれないが、スーパーアイドルだった。可愛らしかった。56歳になるという。

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 安楽死を扱った映画である。まもなく85歳になるアンドレは脳梗塞で倒れる。命はとりとめたものの思うようには動けなくなる。死にたい、はやく人生を終わらせたいと言う。娘のエマニュエル(ソフィー・マルソー)は父の意向に戸惑うが、安楽死について調べる。フランスでは尊厳死というか安楽死は御法度、スイスなら可能だと父に伝える。

 ジャンリュック・ゴダールはスイスで安楽死を選択したことを思い浮かべる。スイスでは自ら命を絶つことが認められている。自分の手で毒薬を飲む。幇助を受けてはならない。そういうハードルの高い安楽死である。安楽死というより尊厳死と呼んだ方がよいのかもしれない。

 アンドレは寝たきり状態だったが、しだいに元気を取り戻していく。が、スイス行きは撤回しない。エマニュエルと妹は父の意向に翻弄させられることになる。

スイスでの安楽死は、寝たきりで意識がもうろうとしていたり、当人の意志が明確になっていないと認められない。さらに、家族が付き添うのもダメ。自殺幇助とみなされるかもしれないからだ。けっこう厄介。本人の意志が明確であり、みずから毒薬を飲まなければならない。だれの介助も受けてはならない。ゴダールもそうやって毒薬を飲んだのだろう。

 映画に戻って、アンドレの別居中の妻役はシャーロット・ランプリング。こちらもなつかしい女優だ。出番は少ないけど存在感がある。もうすっかりおばあちゃんだ。

 切実なストーリーだが、目を背けたくなるような深刻さはない。アンドレは頑固だが、ユーモアもある。題名に、すべてうまくいきますようにとある。「生きることと運命はちがう」というセリフが出てくる。すべてうまくいくわけではないが、ま、人生はこんなものだろう。セ・ラ・ヴィ。

ときどきブラームスが流れてくる。

2023年3月 8日 (水)

「フェイブルマンズ」

 スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」を観てきた。自伝的映画という。スピルバーグが6歳のとき観たのは「地上最大のショー」だった。

 年齢はわたしよりひとつ上。ほぼ同い歳だが、6歳ころ、どんな映画を観たかの記憶はない。小学校高学年になって東映のチャンバラものや日活アクションを観た。洋ものではディズニー。映像の美しさにみとれた。

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 さて「フェイブルマンズ」。主人公サムは「地上最大のショー」によって映画に目覚める。映画には列車が激突、転覆するシーンがあるが、それを模型電車で再現しようとする。親から借りた8ミリカメラで激突シーンを撮影する。それが家族に受けた。以後、家族の記録のほか劇映画も撮る。西部劇や戦争もの。サイレントである。銃撃シーンを撮るが、いまひとつ迫力がない。閃光がないからだ。フィルムに小さい穴をあけることを思いつく。あたかも銃弾が発射されたようにである。なるほど、うまいことを考えついたものだ。栴檀は双葉より芳しである。

 父親はコンピュータ技術者、母親はピアニスト。仲のよい家族であったが、父の友人と母がつきあっていることを知ってしまう。が、家族関係は崩れることはない。

 父親の転職で北カリフォルニアに移住する。高校に通うが、いじめに遭う。ユダヤ系だと差別される。いじめっ子に追いかけられる。このあたり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を連想させる。体格のいいいじめっ子はビフのようである(ビフって、わかりますよね)。

 映画は20歳ぐらいまでを描いている。スピルバーグがどのように映画に関わるようになったかがわかる。もちろんフィクションも混じっているだろうが・・・。

 スピルバーグにしては遊びが足りないようにも感じた。落語の人情噺でも、途中でちょっとくすぐりを入れて笑いをとるような間である。それが少ないような・・・、最後にそれがあった。ジョン・フォード監督が登場する。地平線の映像アングルをどうするかといった問いを発する。大げさにやる。このシーンが笑える。

 ジョン・フォードが実際にどう言ったかは不明だが、なるほどと思う。これを簡単に説明するのは難しい。知りたければ映画を観てほしい。

 

2023年3月 6日 (月)

『ひそかに胸にやどる悔いあり』

 麻生区役所と市民館のあいだに庭がある。改修のため閉鎖されていたが、リニューアルなって記念のお花見会が開かれた。満開の桜は玉縄桜である。となりにある河津桜は葉桜になりつつある。

  長く咲く。ひと月ほど咲いている。桜(ソメイヨシノ)はパッと咲いてパッと散るところがよいなどという見解があるが、バカかと思う。強がりにすぎない。長く咲き、散るころ、ソメイヨシノにバトンタッチするのがよい。

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 上原隆の『ひそかに胸にやどる悔いあり』を読んだ。上原隆の作風をひとことで言うと「しみじみ」である。

 これにつけ加えるとしたら、とぼとぼ、くよくよ、こつこつ、といった副詞が浮かぶ。そうした装飾語にふさわしい無名の人たちを描いてきた。ノンフィクション・コラムというかスケッチである。せんだって、NHKの「ドキュメント72時間」で名古屋大須のラーメン屋を採りあげていた。あの雰囲気と似ている。

 20編ほどの短編。一気に読み通すのはもったいない。一編読んで本を閉じ、登場人物のことなど振り返ってみる。そういう読み方がふさわしい。

 表題の、ひそかに胸にやどる・・・は石川啄木の短歌にあったような気がする。表紙をめくるとエピグラムに、その啄木の短歌が掲げてある。

 この日頃 ひそかに胸にやどりたる悔あり われを笑はしめざり

 著者は啄木ファンなのだ。「友がみな我よりえらく見える日よ」というタイトルの著作もある。

 新聞配達一筋に生きてきた人、街のサンドウィッチマンをずっとやっている人、川柳の投稿を唯一の生きがいとしている人・・・他人は人生の落伍者と見るかもしれないが、当人は懸命に生きている。無名人として世の片隅で生きている。

 単行本を文庫にしたもの。以前の表題は『こころ傷んでたえがたき日に』だった。ちょっと暗い。文庫の、ひそかにやどる悔い・・の方が断然よい。

2023年3月 4日 (土)

「エンパイア・オブ・ライト」

 どんな映画かわからないけど、サム・メンデス監督作品なら、出来は間違いなかろう。「エンパイア・オブ・ライト」を観てきた。タイトルをバンパイア・オブ・ライトと、バンパイアものだと勘違いしていた。

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 1980年、イギリス南部の海岸にあるエンパイア劇場(映画館)が舞台。豪華な劇場を思わせるつくりの映画館である。マネージャーをしている中年のヒラリー(オリヴィア・コールマン)は、精神的に不安定なところがあって病院通いをしている。彼女を悩ませる原因のひとつに支配人によるセクハラがある。支配人を除けば同僚はいい人たちである。

 大学を目指している黒人のスティーブンが新規に雇われる。カリブ海のトリニーダ出身の移民二世である。スティーブンは穏やかで、動物に対しても優しい。ヒラリーはしだいに惹かれていく。ストーリーの軸はヒラリーとスティーブンの恋である。

 時代はサッチャー改革が始まったころ、リストラにより多くの失業者が増えていた。仕事をなくした連中は俺たちの職を奪ったと怒りの矛先を移民労働者に向ける。黒人を差別したり、集団で暴力をふるった。1980年ごろはそんな時代だった。

 上映される映画は当時の話題作である。「レイジング・ブル」「ブルース・ブラザース」「9時から5時まで」「チャンス」・・・。「炎のランナー」は市長を招いてプレミアム上映される。

 80年代を知っている高齢の映画ファンは題名を聞いただけでうれしくなる。映写室には大きなフィルム映写機が備えられている。映写技師がスティーブンに作業を説明するあたりは「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出させる。

 紆余曲折はあるものの物語は穏やかに収束する。仕事仲間や病院の看護師も温かい。

 お勧めです。イオンシネマでの上映は、普段のラインナップを考えると似つかわしくないけれど、歓迎。こういう映画をミニシアターに押し込めておくのはもったいない。

2023年3月 2日 (木)

 生田寄席 瀧川鯉昇

 生田寄席、瀧川鯉昇独演会に行ってきた。

 満席。チケットは早々に売り切れになったそうだ。さすが人気噺家である。

 先月70歳になった。50代のときより60代のときの方が、年齢を増すごとに人気が出てきた。鯉の滝昇りである。

 円熟味が増したというべきか、ゆるやかな脱力感がオーラを発している。チーズは熟成が増すほど旨くなるが、あれと同じ。当たり前だが、フレッシュ感はない。

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 開口一番は、地元在住の立川うぃん。演目は、転失気だった。

 鯉昇は三席。

 素人鰻

 質屋蔵

 ねずみ

 いずれも古典噺。ねずみはポピュラーな演目、質屋蔵はそれほど聴かない。

コロナ前の鯉昇さんはモンゴル人を登場させるとか、改作やオチを工夫した噺が多かったが、今回はオーソドックスであった。もちろん鯉昇流のくすぐりはあって、区役所の近くに住んでいるせいか、生活保護の窓口にやってくる人たちの仲間のように思われている節があるとマクラで笑わせていた。

 遠赤外線のようなほんわかした温もりがある。長屋に住む人のいい隠居さんといった雰囲気だが、もちろん、計算尽くされた芸である。並の噺家ではまねできない。

 さて、花粉が舞っている。花粉症患者にはうっとうしい季節である。洟水が垂れ、目がかゆくなるのだが、いい落語を聴いていれば、しばしイライラは治まる。 

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