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2023年4月

2023年4月30日 (日)

三三・左橋 二人会

 毎年、新百合ヶ丘では、ゴールデンウイークを中心に「アルテリッカしんゆり」というイベントが開催される。音楽・演劇・芸能などの芸術祭である。

 昨年は、落語会が三つ開かれた。三連チャンで観た。無駄に金をつかったような気もしないではない。

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 今年は、落語は一つだけ。他に寄席演芸がある。

 柳家三三初音家左橋の二人会に行ってきた。三三はもう若手とはいえない中堅どころの噺家。噺のうまさは折り紙付き。人気もある。左橋は地元が川崎。先代金原亭馬生ゆずりの噺家である。本寸法。三三におとらずうまい。

 今回の演目

 左橋  権助魚

 三三  茶金

 三三  たけのこ

 左橋  文七元結

 三三はマクラで平塚ネタ。平塚はずっと湘南になりたいと思っている。平塚のままでいいではないか、その心根が卑しいと語る。このマクラ、以前、どこかで聞いたことがある。鉄板ネタか。平塚ではやらないだろうが。

「茶金」は「はてなの茶碗」ともいう。茶碗がもれる、それが不思議だと首を傾げる。これが発端となる。丁寧に演じた。後半の「たけのこ」は軽く短い演目である。季節にはぴったり。

「権助魚」は女将さんが亭主の浮気を疑うところから始まる滑稽噺。トリは人情噺の代表格の「文七元結」。長くなる噺だが、わりとあっさりまとめていた。過剰にやらないところがよい。

 気になったというか気がついたのは、三三の出囃子である。むかしと違う。童謡の「鞠と殿様」。いつから変えたのか、それともたまに変えてみたのか。「鞠と殿様」は林家彦いちのおなじみの出囃子だとの頭があるので、出囃しを耳にしたとき、彦いちが飛び入りで出てくるのかと思ってしまった。

ま、この出囃子の話題、マニアックでトリビア、どうでもいいことだけどね。

2023年4月28日 (金)

「トリとロキタ」

 日本は移民や難民には冷たい。カンボジアやクルドの難民には高い壁を設けている。ウクライナからは簡単に難民を受け入れたが、あれは避難民であって難民ではないと行政はこじつけの説明している。軍事独裁政権下にあるカンボジアからの難民はそれと同じ避難民とおもうが、そうではないということか。

 入管では仮放免という仕組みを設けているが、問題がある。第一に就労を禁じていることだ。稼がなければ暮らしてはいけない。その当然のことが禁じられている。仮放免は国連からも是正勧告がなされている。

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 ダルレンヌ兄弟が監督をした「トリとロキタ」を観てきた。移民ものである。

 トリとロキタはアフリカからベルギーに渡る途中で知り合う。弟と姉だと偽ってビザを得ようとするがすんなりとはいかない。ロキタは母親に仕送りをしなければならない。弟たちの学費のためだ。やばい仕事もしなければならない。トリはドラッグの運び屋などをして日銭を稼ぐのだが、うわまえをかすめ取られる。移民斡旋業者も彼らの稼ぎをねらっている。貧困ビジネスというか移民ビジネスで稼いでいる連中である。

 なんとかこの国で暮らせるようロキタは大麻の栽培といったやばい仕事にまで手をださざるをえなくなる。厳しい試練である。トリとロキタはこの環境から抜け出せるのだろうか。あとで知ったのだが、18歳になってビザがないと強制送還されてしまう取り決めがあるのだそうだ。ロキタがあせるのも理解できる。

 切ないストーリーである。単に悲劇的に描いているのではなく、実際の出来事からこの映画はつくられたという。

 切ないけど、希望がないわけではない。そう信じよう。

 

2023年4月26日 (水)

色あせていく

わたしは人種差別主義者と黒人が大嫌いだ」というアメリカンジョークというかギャグがある。

 笑える。平然と語っているところがおかしいのだが、世にはこれに似たダブルスタンダードがまかり通っている。意識的な詭弁もあるし、無意識のうちにダブルスタンダードを設けていることもある。

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 通っているスポーツクラブはキャッシュレスになっている。自販機でコーヒーを買おうとしたら小銭がない。千円札もない。自販機は五千円札一万円札新五百円玉が使えない。フロントで両替を頼むとできないとの返答。ぜんぶキャッシュレスになっているからと。でも、自販機はキャッシュレスになっていませんよねと言うと、ハッと気づいたように、申し訳ありませんと頭をさげた。それだけ。

 キャッシュレスうんぬんはどうでもいいから、プリペイドカードが使える自販機に切り替えたてもらいたい。

 

 SDなんとかサスティナブルがはやりだ。省エネ、脱炭素、おおいにけっこうだが、叫んでいる人(政治家など)の自宅や事務所が冷房ガンガン暖房ホカホカ照明コウコウだったりする。省エネは自分のところを除いてと考えているようだ。それとも、気がついていないだけなのか。

 コンプライアンスって声高に叫ぶのもウソっぽい。安心・安全と実のない発言を繰り返すのもあやしい。とりたてては、なにもしていませんと語っているようなものだ。

 安心・安全が色あせていく。

 

2023年4月24日 (月)

「ヴィレッジ」

 ひんやりした日が続いている。サクラの頃なら花冷えというのだが、5月も近づいた頃はなんといえばよいのか。つつじ冷えか。

 マフラーを巻くほどではないが、首すじが冷える。しゃれたスカーフは持っていないので、噺家からもらった手ぬぐいを首に巻いて外出している。粋なデザインなんだが、しょせん手ぬぐいである。みすぼらしいと感じさせないほどの工夫をして首に巻いている。

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 藤井道人監督の「ヴィレッジ」を観てきた。藤井監督作品なら安心して観ていられる。しっかりした映画になっているだろう。

 大きなゴミ処分場のあるカモン村。ゴミ処分場とは似つかわしくない薪能の伝統がある。村の衰退を避けるため、処分場を誘致したのだろうと容易に理解できる。誘致にあたっては賛成、反対の声があがったことも想像できる。

 主人公の優(横浜流星)はその処分場で働いている。かつて父親が起こした事件でいじめをうけたり、親の借金の返済にも追われている。絶望的な状況だが、幼なじみの美咲が(黒木華)が東京から帰ってくることによって、明るい日差しも射してくる。が、現実はそう簡単には好転しない。不法投棄が発覚し、捜査の過程で埋められた男の死体が見つかる。

 ヴィレッジというタイトルは、ムラ社会を指している。ムラがムラでいられるうちはよいが、近代化はムラに変革をせまる。ゴミはいやだが、処分場ができれば雇用が増える。ムラには補助金がおりる。処分場の誘致には推進派と反対派が生まれ、ムラを二分化させてきた。

 わかりやすい構造で、こうしたテーマは小説や映画で多くとりあげられてきた。手垢のついたテーマでもあるのだが、この映画のおもしろいさは能を介在させたところだろう。演じられる能の一つが「邯鄲」。邯鄲の枕とか邯鄲の夢といった故事に由来するものだ。

 ムラの変貌を一炊の夢といってよいかどうかはわからないけれど、それと結びつけようとしたとこがおもしろい。

 エンドロールのあとに映像がある。優はどう生きていくのか、余韻を残して。

2023年4月22日 (土)

『ひるは映画館、よるは酒』 つづき

 コミさんは東玉川に35年ほど住んでいた。東玉川はてっきり大田区だとおもっていたら世田谷区だった。私鉄の駅だと田園調布と雪が谷大塚の中間ぐらい。ここからは浅草は便利だ。池上線雪が谷大塚から五反田に出て、都営地下鉄線に乗り換えればよい。

 その後、練馬に引っ越したが、こちらも浅草までの交通の便はよい。池袋まで行って浅草ゆきのバスの乗ればよい。池袋なら文芸坐がある。ここで十分とおもうが、出かける映画館はむかしとかわらない。

 映画がはねたあとは酒となる。コミさんには浅草とか新宿の安い居酒屋が似合う。

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 この本を読むと当時の物価がわかる。雪が谷大塚から五反田までが80円、都営に乗り換えて浅草までが210円と書かれている。1982年のことだ。

 池袋西口の串焼きの店。メニューを並べると、牛レバー刺し・にんにく添え380円、馬刺480円、かつをたたき480円、ほたるいか・さしみ480円、まぐろぶつ380円などなど。1988年である。当時では高級店である。

 織田作之助の小説ではものの値段がよく出てくる。それを思い出す。値段がわかると、当時の様子もしのばれる。とりわけエッセイには値段は書いておいたほうがよい。とおもうのだが、いくらだったかすぐに忘れてしまう。レシートもゴミ箱行きだしな。

 ついでのひとこと

 今年は花が咲くのが早い。例年だと、ゴールデンウィークあたりに満開となる花がはやばやと咲き、見ごろを過ぎている。ちょっと前に若葉となっていた木がもう初夏というより盛夏をおもわせるような枝ぶりになっている。

 コミさんは夏は半ズボンだった。ホット・ロング・サマーには半ズボンがよいのだが、ヒト(おとこ)が穿いているのを見ると、穿くのをためらう。避暑地ならともかく、都市で似合う人は少ない。

2023年4月20日 (木)

「コンペティション」

 奇っ怪な映画である。主な登場人物は3人。映画監督と二人の俳優。前振りはとばして、リハーサル、本読みのシーンから始まる。かずかずの賞を受賞しているだけにプライドがある。監督のローラ(ペネロペ・クルス)、人気スターのフェリックス(アントニオ・バンデラス)、一流舞台俳優のイバン(オスカル・マルティネス)。その三人がぶつかり合う。

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 ローラは俳優のせりふになんどもダメ出しをする。それに反発するのがフェリックス。おれはスターだ、賞だっていっぱいもらっていると。イバンも負けてはいない。フェリックスにちょっかいを入れる。ローラはさらに過酷な演出で、緊張感を高める。巨大な岩をクレーンで持ち上げて、その下でリハーサルをする。あとでわかるのだが、岩は張りぼてである。

 奇っ怪なローラの演技は狂気じみているが、それをペネロペは楽しんでやっている(ように見える)。たとえば受賞したトロフィーを持ってこさせ、当人を前にして大型シュレッダーで粉々にしてしまう。役者のプライドをずたずたにするように。俳優たちも負けてはいない。監督に仕返しをする。

 本番の撮影シーンはない。ほとんどリハーサルである。これで本番の撮影はできるんだろうか。

 ペネロペはなにかにとり憑かれた巫女のようである。エキセントリック。彼女は脇毛を剃っていない。スペインでは女性は脇毛を剃らないのだろうか。このシーン、一瞬だから見逃すかもしれない。見逃したところで、どうってこともないけど。

 ということで、映画業界を皮肉ったコメディ映画である。かなりブラックな。こういう映画、好きなんだよね。

2023年4月18日 (火)

『ひるは映画館、よるは酒』

 田中小実昌の文庫本(筑摩文庫)が出た。奥付を見ると2月とある。二ヶ月以上この本を見逃していたことになる。内容はタイトルにあるように映画や酒にまつわるものだが、大半は映画。単行本の掲載されたもののほか、未収録の雑文を詰め込んでいる。オリジナル・アンソロジーとある。

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 コミさんは忘れられた人である。世代的には戦後焼け跡闇市派。20年ちょい前に亡くなっている。知っているのは高齢者だけだろう。

 コミさんは、戦後、進駐軍のバーやテキヤの手伝いなどをして糊口をしのいできた。その後、ミステリーの翻訳をするようになった。小説も書き、直木賞ももらったから、そこそこにはスポットライトも浴びた。映画やテレビにもちょこちょこ出た。ハゲで丸顔だから愛嬌がある。そのキャラを生かした役回りだった。

 さて、『ひるは映画館、よるは酒』。70年代、80年代ぐらいまではあちこちに映画館があったことがわかる。かつては、小田急線でいうと急行停車駅ほどにはあった。今は特別快速停車駅でもないところがある。ちょっと前まで、下北沢にミニシアターができるまでは、新宿から新百合ヶ丘までなかった。

 昭和のころは、荏原中延、久が原、小山台にもあったそうだが、記憶にない。

 さらに入れ替えなしである。いまは座席指定の映画館が多くなった。むかしは途中でも自由に入れた。三本立ての映画館も少なくなかった。

 コミさんは大田区に住んでいたが、遠くまで出かけている。弁当持参で観る。朝っぱらから出かけることもある。夜は歌舞伎町あたりでチンボツだから、いつ原稿を書いていたか気になるところだが、もっぱら、朝。そういう日は、昼から出かける。

 昭和の雰囲気が漂ってくる。コミさんは殿山泰司や植草甚一と重なるところがある。アタシはその生き方にあこがれた。いまも少しだけマネしている。

 書き足りない。この続きはいずれ。

2023年4月16日 (日)

「AIR/エア」  エアージョーダン誕生物語

 ベン・アフレックはアルコール依存症で入退院を繰り返していた。このままでは映画づくりや俳優業はムリはとおもっていたが、なんとか回復したようだ。ベンの最新作「AIR/エア」を観てきた。幼なじみであり親友のマット・デイモンが主役を演じている。

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 ナイキがマイケル・ジョーダンを起用することにより大成功を納めたというストーリーである。時代は1984年。40年ぐらい前のことだ。

 ソニー(マット・デイモン)は、ニューフェイスのジョーダンをなんとしてでも自社の広告塔にしようとするが、立ちはだかるのはライバルのアディダスやコンバース。当時はアディダスが業界第一の企業だった。さらに社内にも反対の声があった。CEOも首を傾げる。CEOを演じているのはベン・アフレックである。ジョーダンひとりに金をかけるのはリスクが大きすぎやしないかというのが大勢だった。

 ソニーは、ジョーダンしかないと社内を説得し、交渉に入る。交渉相手はマイケルの両親、とくに母親。好印象は得たものの、交渉は進まない。結果は史実としてわかっているのだが、社内社外の動向は紆余曲折があり、スピーディーで面白い。

 さようにして「エアージョーダン」は誕生した。その後の爆発的な売り上げはご存じの通りでナイキはスポーツシューズのトップに躍り出た。

 ナイキのPR映画のようなものだが、ま、それは致し方ないか。

 新聞にジョーダンが履いた「エアージョーダン」がオークションでおよそ3億円で落札されたという記事が載っていた。たった一足のバッシューが3億円とは驚くが、マニア垂涎というか宣伝物としてはそのくらいの価値があるということだろう。

 さて、映画のなかのマイケル・ジョーダン。さぞやそっくりの人物が演じているとおもっていたら後ろ姿だけだった。ま、しょうがないか。ふつうのそっくりさんでは観客をがっかりさせるだけ。ぼやかし神格化しておいたほうがよい。むかしの映画、たとえば「ベンハー」など、イエス・キリストをまともに映すことはなかった。足もとと後ろ姿だけだった。あれと同じ。

 ナイキのPR映画ということを割り引いても、おもしろい映画である。

2023年4月14日 (金)

腸に根を張る植物 『植物考』

 動物の腸は植物の根と同じといった考えを目にするようになった。

 動物は、腸壁から栄養を吸い上げ、老廃物を排泄する。植物の根は土壌から水や養分(窒素化合物など)を吸い上げる。機能は同じである。

 藤原辰史の『植物考』もその趣旨は同じである。「もしかすると、人間は、腸に根を張る移動型植物ではないか」と記述している。

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 著者の専門は農業や食の歴史学。いくつかの著作を読んでいる。『給食の歴史』『トラクターの世界史』など、わかりやすく面白い。

 これまでの生物学は、動物重視に偏っており、植物についての研究は遅れている。多くの人が、植物より動物の方が優れていると思っているが、そうではないかもしれない。

 見方を変えれば、植物は動かなくても栄養は摂れる。根を張ってそこにとどまっていれば水や養分を摂取できる。動物はそうはいかない。動き回って餌をさがさなければならない。面倒なことだ。さらに植物は種をまいて別の場所で芽吹かせることもできるから、まったく移動できないわけではない。

 植物は光合成ができる。光合成によって生命体は進化してきたわけだから、動物は植物に感謝してもよい。さらに多くの動物は植物を餌にしている。植物のおかげなのだが、ヒトはさして植物に感謝していない。

 そんなことを考えながら、サラダを口にする。果実を食べる。肉も魚も。いつも根っこに意識が行っているわけではないけれど、ときどき土壌に埋まったダイコンのことを思い浮かべる。

 ということで、根っこに注目。さまざまな思いが浮かんでくる。

 ヴィーガンという菜食主義者がいる。動物由来の食品を食べない。動物を嫌っているのか動物愛護の精神があるのかわからないけど、その根底に動物愛護というより、植物を見下す差別意識があるように思う。

2023年4月12日 (水)

「逆転のトライアングル」

 豪華客船にはリッチなセレブが集う。その一方で、客船で働く人たちの多くはプアーである。清掃、洗濯、船底でのメンテナンス、料理のサーブなどの乗務員は低賃金で働いている。セレブはワーカーを見下し、ワーカーはチップをもらいながらも心の中では敬意をあらわすことはない。クールである。

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逆転のトライアングル」をアートセンターで観てきた。皮肉っぽい雰囲気がただよう映画である。前半は豪華客船でのシーン。セレブの鼻持ちならない態度などを淡々と描いている。でも、ちょっと滑稽。

 客船は嵐に遭遇し揺れる。酒に酔ったのか船酔いのせいか、客は気分が悪くなり、吐き気を催す。ゲロを吐く。これが豪快と表現すべきか、ドバっと、噴水、マーライオンのように吐く。これほどゲロをする映画を観たことがない。「モンティ・パイソン」よりすごい。観客は気分がわるくなりそうなものだが、それほどでもない。笑える。爽快感すら感じる。ゲロなのに。

 このゲロを契機に主客転倒する。船は海賊にも襲われ、難破する。何人かが無人島にたどり着く。ここからが後半。島でのサバイバルとなる。ここでトップをとるのはトイレの清掃をする中年女性。船長でもセレブでもない。さかなを捕まえたり食料を確保できる者が主導権を握る。みな彼女に従わざるをえない。逆転である。

 カメラは、俗物たちの人間模様を映し出す。クックッと笑える。でも、自分がそうした立場にたたされたら、どんな行動をとるのだろうかと思うと、素直に笑ってもいられなくなる。

 ラストで、ひとひねりある。

 ついでのひとこと

 サル騒動が続いている。小西議員のサル発言である。小西議員は党の参院憲法審査会の会長を辞任することとなった。わたしに言わせれば、小西議員もそれを追及する側も間違っている。サルに謝らなければならない。サルを侮辱している。サルはバカじゃないからね。

2023年4月10日 (月)

毒吐き二人会

 一之輔が「笑点」メンバーになってからテレビは二度ほどしか見ていない。日曜の夕方は外出していることが多いし、大相撲があればそっちを見ている。

 その限りの感想だが、いつものスタイルを守っている。他のメンバーに媚びていない。これがよい。

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 春風亭一之輔桃月庵白酒の二人会に行ってきた。場所は鶴川のポプリホール。最前列、右脇に近い席だった。このあたりの席は悪くない。正面よりよい。

「笑点」メンバーはマクラで「笑点」の裏話をすることが多い。そこそこ受けるから、易きに流れて笑点ネタを多用することになる。これが堕落につながる。芸人が精進を怠っては進歩はない。今回の一之輔、「笑点」にはいっさい触れなかった。これでよい。

 マクラは立ち食いそばの話。小腹がすくとついつい立ち寄ってしまう。今日も、そう。箱根そば(小田急線沿線の立ち食いそば屋)。それほど旨くはないけど、富士そばよりはいい。といった、ま、どうでもいいようなマクラだった。

 今回の演目

 一之輔  堀之内

 白酒   ずっこけ

 白酒   代書屋

 一之輔  百川

堀之内」はそそっかしい粗忽者の噺。もともとハチャメチャな噺だが、さらにハチャメチャにしている。これが一之輔風。志ん朝などと比べると(たまにCDを聴いている)、さらに暴力的、爆発的に演じている。

 お題目を唱えるところで「南無妙法蓮華経」を「南無妙法蓮芸協」とやっていた。芸協か。これは笑える。

 白酒は悪口が冴える。毒吐きなら白酒か伯山。先輩の悪口を平気で言う。

「ずっこけ」は始めから終わりまで酔っぱらっている男の噺。ずっと奇声を発し続ける。体力がいる。疲れるだろう。そのせいか、後半の「代書屋」はちょっと短縮バージョンとなった。

 マクラでチャットGPTの話題。なにをやったらよいか演目に迷うことがある。共演メンバーをあげて、どの演目をやったらよいか、チャットGPTに訊いてみたという。返答は「漫才をやったらどうか」。ちょっと違うと思うんだけど、ま、こんなものか。笑える。

 落語協会は来春誕生100年を迎える。さまざまな企画を考えているという。楽しみだ。

2023年4月 8日 (土)

『排除の現象学』 イエスの方舟

 有隣堂の新刊平台に『排除の現象学』(赤坂憲雄著)が並べられていた。

 奥付あたりを開くと、4回目の出版だと書かれている。1986年に刊行され、文庫としては二度目である。40年近く前の社会評論集。ちと古くさい感じがしないでもないが、その古さに耐えうるだけの現代性があるということだろう。

 何編か読んだ。たしかに古くさいが、それはとばして「イエスの方舟」を扱った章が興味深かった。昨今の宗教騒動(統一協会とかエホバの証人)と重ねることができる。

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「イエスの方舟」といっても若い人は知らないかも知らないかもしれない。千石イエスを代表とする教団が若い女性を引き込んだということで大騒動となった。マスコミは邪教、人さらいのような団体だと追及した。娘を返せというキャンペーンを張った。しかし、調べてみると実体はそれほど邪悪なグループではなかった。

 イエスの方舟は、家族を抑圧装置と見なす。統一協会やエホバの証人は家族の絆を大切にする、子供の躾こそ家庭安定の基本とする。真反対である。

 もしイエスの方舟のような家族の拘束を否定する組織があれば、宗教二世が飛び込む駆け込み寺というかアジール(避難所)になったかもしれないなどと想像してしまう。

先週だったか、トー横で少女たちが何人も補導されるというニュースがあった。彼女たちは家庭が息苦しくて逃げ出した。家庭が諸悪の根元なっているかもしれな。説得して家族の元に返しても解決にならないかもしれない。

 そんなことを考えながら本編を読んだ。一部大衆は正義を気どって弱者を排除しようとする。マスコミも排除を煽る。衆愚である。

 本書のタイトルに現象学とあるが、哲学的な意味合いはない。現象学は出来事研究ぐらいの意味と考えてよい。

読んだのは半分ぐらい。続きの所感はあらためて。

2023年4月 6日 (木)

  島原の揚屋 角屋

 三日目は京都に行った。ありきたりの観光地には行きたくない。保津川下りも遠慮したい。

 丹波口にある島原の揚屋・角屋(スミヤ)。かつて花街の揚屋(料亭)だった建物である。いまは「角屋もてなしの文化美術館」となっている。

 知られていないから観光客は少ない。夫婦二人、ガイド付きで案内してもらった。ガイドさんは、ここは遊女のいる遊郭ではない、料亭であることを強調する。ちょっと笑える。いわゆる島原遊郭の内、どこが遊女のいる遊郭で、どこが置屋(芸妓を派遣する)で揚屋(宴会場)なのかはわからないけど、ここは揚屋ということだ。

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 この場所を知ったのは井上章一の『京都ぎらい 官能編』である。屋敷のつくりは桂離宮と同じということだ。ただし、宮内庁(桂離宮の管理者)は遊郭ふぜいと同列とされては困るとしているから、角屋の記述には神経をつかううんぬんとある。これも笑える。いわゆる女郎屋を見くだしているのだ。

 ここでは、幕末、多くの勤王の志士や新撰組も宴会を開いた。にぎやかだったと思われる。新選組の一人がよっぱらって刀を振り回した刀痕が玄関わきにある。芹沢鴨はここでの会食が最後の晩餐となった。壬生の屯所に帰ったところを斬り殺された。

 美術品が展示されているが、それより、この建物自体の造りがすばらしい。桂離宮だと声をひそめて語ってもよい。さらに、幕末の雰囲気も伝わってくる。写真は角屋の外観と屋敷内の天井。

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 旅行中はけっこう歩いた。スマホの万歩計を見ると、三日間とも二万歩前後だった。二万歩を超すなんて最近はなかった。

三日目になると、さすがにくたびれた。哲学の道の途中で足があがらなくなった。歩き続けるのを断念した。後期高齢者にとってはきつい。

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 写真は、哲学の道。サクラはほとんど散っている。映っている和服姿の連中は全員外国人である。

 ついでのひとこと

 前日に戻って、東梅田のお初天神に行った。ガイドブックで知った。お初徳兵衛のお初。近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」の主人公である。純愛に憧れる恋人たちが訪れるという。

 わたしは道行きの名場面のくだりを空で言える。

 あれ、数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて 、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり

 ま、どうでもいい教養だけどね。

2023年4月 5日 (水)

 なんば界隈

 京都・大阪に行ってきた。

 コロナ前、京都には毎年行っていたが、大阪となると十年以上行っていない。じゃあ、しばらくぶりにとなった。この季節、大阪の方がホテルがとりやすいこともある。

 なんば界隈、ミナミをじっくり歩いたことはない。たいていはキタで、歩くといっても飲食中心だった。観光地図を眺めると、戎橋、法善寺横町(水掛不動)、なんばグランド花月(よしもと)など簡単に歩けることがわかる。ぶらぶら歩いてみた。

 人が多い。外国人観光客が目立つ。水掛不動は人が少ない。いつだったか、ちょっと前、お不動さんの顔の部分の水苔がはがされるという事件があった。いまは元通りとなっている。

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 夕食は鶴橋のコリアン料理にした。知人の在日2世の人の多くは鶴橋出身だった。むかしの地名は猪飼野。マルセ太郎は舞台劇「猪飼野物語」を制作・出演していた。

 済州島出身者が多いのは済州島と大阪の間に定期便ができたからである。さらに、戦後、済州島では4.3事件が起きた。韓国軍や警察に弾圧された人たちが今でいう難民となって日本に渡った。

 路地に朝鮮料理の食材の店が多く並んでいる。キムチだけを多品種並べた店もある。壮観である。しかも安い。朝鮮料理の店も多い。そこで夕食をとった。味は、新大久保あたりの店と変わらない。

 翌日は、黒門市場に出かけた。ここもすごい人出だった。多くは、というよりほとんどが外国人観光客だった。牛肉や魚の串焼き、魚介の刺身などが味わえるのだが、これがバカ高い。中くらいのエビでも千円以上する。食べる気にならないが、外国人観光客は群がっている。ま、円安だしね。日本人にはこんな黒門市場はいらない。

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天王寺にも行ってみた。通天閣近辺は串かつ、たこ焼きなどの店が多い。こちらは安価なのだが、店頭を観ているだけで食傷する。軽いフレンチかイタリアンが食べたくなる。

 写真はわかりづらいが、通天閣の下から天井を眺めたもの。通天閣といえば日立のマークが映る遠景しか見ることがないけれど、真下はこうなっている。

2023年4月 1日 (土)

「生きる LIVING」

 黒澤明の「生きる」がイギリスでリメイクされたと知ったとき、ちょっとわくわくした。脚本がカズオ・イシグロ。どんなふうに仕上げているのか、早く観たいと思った。

 黒澤監督の「生きる」は通夜のシーンで始まる。映画の全体像がわかるような仕掛けとなっている。観客をぐっと引きつける。巧みな脚本である。今回のリメイク版ではどうなっているのか。

 もうひとつ、興味がわくのは、ラストのブランコに乗りながら歌うのは何か。まさか「ゴンドラの唄」ってことはあるまい。

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 イオンシネマで観てきた。冒頭は通勤シーンである。通夜ではない。市民課に配属された若者は役所に初出勤する。そこで主人公のウイリアムズ課長(ビル・ナイ)に出会う。ウイリアムズは小役人らしく大過なく過ごしてきた。公園を作ってほしいという陳情の女性たちがいつものように押しかける。それをたらい回しにする。

 時代設定は1953年。黒澤版とほぼ同時期であるが、黒沢版は戦後の混乱状態を色濃く映しているのに比し、リメイク版は落ち着いた古風なつくりとなっている。戦後を感じさせない。

  課長は早退して病院にいく。ガンで余命は半年、長くもって9ヶ月と告げられる。息子夫婦にそれを伝えるべきだが、言い出せない。

 レストランで出会った若い男と酒場に行く。黒澤版では胡散臭い男(伊藤雄之助)だったが、リメイク版の若者は健全な感じがする。がんであることを伝えると、半年もあれば、人生の始末はつけられるし、楽しむことができるとウイリアムズを励ます。

 そして何ヶ月後、ウイリアムズの葬儀となる。葬儀の後のお茶の場と帰りの列車の中で、彼の仕事ぶり、公園づくりにまい進したことが明らかにされる。同僚はウイリアムズの功績をたたえる。黒澤版の通夜のシーンがここで再現されるわけだ。

 ラストで歌われるのはスコットランド民謡の「ナナカマドの木」。この歌、映画の真ん中あたりでも出てくる。ウイリアムズは元気よく歌う。

 と、ここまで書いても、ネタバレなどと文句をつける人はいないだろう。名作のリメイクなんだし、その雰囲気の違いは伝えることはできないから。

 最期に十分な仕事をなした。小さな満足感にひたる。それで幸せなんだ。無名人の気持ちをよく表している。

 もちろん、お役所仕事への皮肉も描いている。

 落ち着いた雰囲気がただよういい映画になっている。高齢者向きだが、若い人にも観てもらいたい。

 

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