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2023年5月

2023年5月31日 (水)

「波紋」

 荻上直子監督作品に登場する人物は、世の中からちょっとずれている。風変わりでゆるい。前作の「川っぺりのムコリッタ」もそんな人物が多く登場した。ひとの家にかってに入り込んでご飯を旨そうに食べる男とか。ムロツヨシの役。それがなんだか心地よいのだ。

 荻上監督の「波紋」をイオンシネマで観てきた。前作とは色合いが異なるが、ずれとか、ゆったりしているのは荻上カラーである。

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 主人公は依子(筒井真理子)。夫は家を出て、行方知れず。夫の父親を介護し、看取る。息子は就職して九州にいる。独り暮らしである。スーパーでパートをしている。緑命会という宗教にはまり、集会に参加している。家には緑命水とかいうペットボトルが山積みとなっている。

 そこに、夫の修(光石研)が帰ってくる。ガンだという。金を無心する。依子の心は乱れる。せっかく平穏な独り暮らしをしていたのに。

 ここから波瀾万丈の展開となるかというと、そうはならない。荻上ワールドはゆるい。これまでの作品よりは多少波乱を感じさせるが・・・。

 いくつもの出来事は依子の心を乱れさせる。更年期障害もある。夫の歯ブラシで排水溝を掃除したりして悪意をのぞかせる。差別意識もある。普通の人間だもの。

信仰が心の支えになる。振興宗教というと金儲け主義だったりして社会的には嫌われているが、緑命会はそれを感じさせない。人生相談的存在である。祈りの踊りは笑えるが・・・。このあたりのことは言わないでおく。言うとこれから観る人の興をそぐ。

 ラストシーン。これを披露するとネタバレなどと言われるかもしれないがこの映画に限ってはネタバレにはならないと思う。

 依子は晴れているのに雨が振る中、喪服姿でフラメンコを舞う。

 バックグラウンドミュージックがあるのはこのシーンだけ。音楽なし。手拍子がときどき入る。ああこれは、フラメンコの手拍子だとわかる。

 映画のチラシに「痛快爽快! 絶望エンタテイメントの誕生」とあったが、違うよね。痛快爽快ではない。絶望エンタテイメントでもない。不思議ワールドである。

 それにしても、光石研の役回りは、ダメ男ばかりである。

2023年5月29日 (月)

国語辞典から消えたことば

 三省堂国語辞典(三国)の編纂者であった見坊豪紀さんとおしゃべりの折り、「今度、アレを入れることにしました」と笑い顔で言われたのを覚えている。ずいぶん前のことである。

 アレとはABCD。三国の改訂で新語として載せるというのだ。女子学生の隠語、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックス、Dは妊娠の意味である。どれほどはやっているかわからないけど、新語に許容的な三国はこれを載せた。ちょっと話題になったが、それほど騒がれることもなかった。次の改訂で削られた。消えたことばとなった。

 国語辞典は改訂されるたびに新しいことばが載る。時代に合わせて新語や新たな意味が生まれる。それを載せる。一方で、削られることばもある。ページを大幅に増やすことはできないから削る。泣く泣く削るものもあれば、まったく使われなくなっているから載せる必要はないとあっさり捨てるものもある。その判断基準は、編纂者に委ねられる。だから同じ小型の国語辞典でも採録する語や語釈は違ってくる。たとえば三国は新語や新たな語釈を積極的に採り入れる。おなじ三省堂の『新明解国語辞典』は独自の語釈に力を入れてきた。

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三省堂国語辞典から消えたことば辞典』は、三国から削られたことばをリストアップしたものである。

 削る基準は、ほとんど使用されることがなくなったとか、制度や法律が変わったとか、もともと掲載に値しないことばだったとかさまざまだが、背景には、時代の変化、言語生活の多様化といったものがある。

 本書を眺めれば、何年か前の世相が浮かび上がってくる。とりわけ昭和を映すことばがなくなっているのに気づく。こんなことばを載せていたのかと驚くものもあれば、まったく知らなかったことばもある。

 ただし、使われなくなったかといって、国語辞典から消していいかどうかという疑問も浮かんでくる。使われなくなったからといって消してしまうと、のちに辞書を引いた人が不便になることもある。

 たとえば、ユーゴスラビア。第7版で消えた。ユーゴスラビア連邦は崩壊し、6つ(あるいは7つ)の国に分裂した。現在は、旧ユーゴスラビア(旧ユーゴ)という言い方で残っており、しばしば新聞などで見かける。

 あっさり辞典から消し去っていいとは思わない。辞書編纂者は悩むところだろう。

 ついでのひとこと

 逆に、もともと載せなくてもよかったのではないかという項目もある。薮井竹庵

 落語の、たとえば紺屋高尾などに登場するヤブ医者である。落語以外で使われることはない。へー。こんなのも載せていたのかと驚く。

2023年5月27日 (土)

「最後まで行く」

 藤井道人監督は精力的に映画制作に励んでいる。

最後まで行く」を観てきた。先月「ヴィレッジ」を観たばかりである。

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 いきなりのフルスロットル。雨の中、疾走する車。母親が亡くなり病院に向かう途中、飛び出してきた男をはねとばしてしまう。飲酒運転。工藤刑事(岡田准一)は死体をトランクに隠すが、飲酒運転の検問に引っかかる。絶体絶命の危機を偶然現れた監察官(綾野剛)のおかげで検問をくぐりぬけ、病院に駆けつける。遺体を隠すのだが、オマエが人を殺したのは知っているという発信者不明のメールが入る。工藤は慌てふためく。これが発端である。

 この映画、韓国映画のリメイクだそうだ。なるほどコリアン・サスペンスの色彩がする。韓国映画に多いパターンだ。

 警察組織の腐敗、暴力団の介入など、ま、おさだまりの展開となるのだが、脚本が優れている。スリリングで予想外の展開、伏線の回収などうまくできている。一級の娯楽映画になっている。

 岡田准一はこういう役が多い。運転中の必死な形相は、なぜかゼレンスキーに似ている。似てないと言われるかもしれないが、映画の中では重なって見える。

 韓国のオリジナル版を観てみたい。どう変えているのか、確かめてみたい。

 

2023年5月25日 (木)

「パリタクシー」

 今日も映画、あさっても映画という日常になっている。散歩のついでにコーヒーショップに立ち寄るといった感覚である。アートセンターで「パリタクシー」を観てきた。

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 一人暮らしの92才のおばあさんを老人施設までタクシーで乗せていく、ただそれだけのストーリー。しかし、語られる内容は波乱万丈の人生で引き込まれてしまう。

 タクシー運転手と乗客、ハンドルを握る人と後部座席に座る人、二人を主人公にした映画をいくつか思い浮かべる。「ドライビング・ミス・デイジー」「グリーンブック」。友情とか信頼の絆といったことがテーマになる。

 タクシーに乗ったマドレーヌ(リーヌ・ルノー)は運転手のシャルル(ダニー・ブーン)に、思い出の場所に立ち寄ってほしいと言う。シャルルは乗り気ではなかったが拒む理由はない。そこから、マドレーヌの想い出の人生につき合わされることになる。

 終戦直後の米兵との恋。三ヶ月で米兵は帰国してしまうが、彼女は妊娠していた。そして私生児を連れて結婚するのだが、夫は暴力を振るうようになり、耐えきれず、夫を殺そうと思い立つ。女性蔑視が続く時代だった。彼女は過酷な境遇に追い込まれることになる。

 波乱にとんだマドレーヌの過去が断片的に明らかにされる。シャルルは次第に彼女の人生に引かれていき、共感を抱いていく。

 深刻だが、それをあまり感じさせないのはマドレーヌのユーモア、機知に富んだおしゃべりである。たとえば、「寝てないわ。寝たら、このままあの世に逝っちゃうかもしれない」などと明るく答える。

心地よい映画である。後味はよい。

映画館はほぼ8割がた埋まっていた。先週はチケット売り切れの日もあったそうだ。わかりやすいし、とりわけ年寄りには受ける映画である。この分だと、数ヶ月後にはアンコール上映になるかもしれない。

2023年5月23日 (火)

 「最高の花婿 ファイナル」

 ドクダミが満開となった。アジサイが咲き始めた。もうすぐ梅雨だ。でも、きょうは寒い。

 G7サミットがぶじ終わった。成果はともかく、主要国が集まり、話し合っただけでも意味はある。

 ウクレレ芸人・ピロキは「明るく陽気にいきましょう」と歌っている。その歌詞のような映画「最高の花婿 ファイナル」をアートセンターで観てきた。

 ファイナルとあるのは三部作の最後になるから。でも、1も2も観ていない。

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 設定がおもしろい。結婚40周年となるマリーとクロード夫妻には4人の娘がいる。その夫はみな移民で、アラブ人、ユダヤ人、中国人、コートジボワール人。

 娘たちは結婚記念日に夫の親族も集めてサプライズパーティを企画する。これがとんでもないというか常識無視のハチャメチャ連中で大混乱になるというストーリー。宗教的立場の違い。食文化の対立(肉食とか菜食)、隣人同士(婿同士)での諍い・・・大トラブルとなるが、それはそれで、たちまち収まる。ピロキの決めゼリフは「なにか問題ありますか」。それと同様、とくに問題なく収まる。

 それぞれエピソードは笑えるのだが、全体を通ずるとちょっとダレる。日本なら三谷幸喜が描く世界に似ているが、三谷の方が深みがあるような気がする。

 ということで、お気楽に観るにはうってつけだけど、その背景にある人種、民族、宗教はいかほどのものではないというインターナショナルな思想は見逃せない。

 

2023年5月21日 (日)

空に星があるように

 若い人は荒木一郎を知らない。何人かに訊いたが知らない。中年も知らない人がいる。高齢者は知っている。荒木一郎が活躍したのは50年以上も前だから当然か。昭和は遠くなった。

  俳優であり歌手。作詞作曲し、自ら歌った「空に星があるように」「今夜は踊ろう」そして「いとしのマックス」などは大ヒットした。テレビドラマや映画にも出た。大島渚の「日本春歌考」では主役を演じた。昭和43年(1968年)の芸能界は荒木一色だった。

  トラブルやスキャンダルで騒がれることもあったが、それも芸のうちぐらいの意気込みで乗り越えてきた。

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 その荒木一郎の自伝小説『空に星があるように 小説荒木一郎』を読んだ。500ページを超す大著である。

 青学高校時代は、ほとんど勉強せず、ジャズ喫茶に入り浸り、遊んだ。母親が俳優だったこともあり、テレビにも出た。ひょうきんな役やちょっと世をすねたような役が多かった。個性的なキャラはドラマには必要だったようで、高校卒業後も俳優としてドラマへのオファーが続いた。

 多才であり、カードマジックが得意だった。将棋や麻雀も強かった。才能がほとばしっていた。

 当然、女にもてた。榊ひろみと結婚した。が、家庭におさまることはなかった。

 小説にはそのあたりのことが書かれている。小説だから虚実織り交ぜてということだろうが、どこまでが事実かどうかはわからない。かっこいい姿が描かれるわけだから、読者は気分よく読める。

 荒木一郎はわたしより三つ上。まもなく80になる。どんな爺さんになっているか。かっこつけたダンディな姿を想像する。

 わたしがよく知っている人が登場する。結構活躍する。ああ、そうだったのかと驚く。誰だかは言わないでおく。友人には、立ち読みでもよいから読めと伝えた。

 

2023年5月19日 (金)

「TAR/ター」

 ケイト・ブランシェットとケイト・ウィンスレットをよく間違える。どっちだったかわからなくときがある。名前だけでなく風貌も似ている。芸風、役どころは少し違うのだけれど、間違えてしまう。

 ブランシェット主演の「TAR/ター」を観てきた。

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 ベルリンフィルの主席指揮者となった才能豊かな女性、リディア・ター(ケイト・ブランシェット)が主人公である。レスビアンで女性パートナーと養女の三人で暮らしている。養女にはパパと呼ばせている。

 飛ぶ鳥を落とす勢いのさなか、パワハラの告発があったり、周りに自殺者が出たりしてネット炎上の世界に巻きこまれていく。

 みどころは、マーラーのシンフォニー5番のライブ録音風景である。カメラアングルもサウンドもすばらしい。もうすこし聴いていたい気分になる。チェロ協奏曲の練習風景もよい。

 彼女は窮地に追いつめられていくわけだが、断片的にしか経緯はあきらかにされない。でも、わからないわけではない。

 トップに立つ女性の転落であるけれど、再生(再生の兆し)も描かれている。

2023年5月17日 (水)

八起寄席

 寒空はだかというピン芸人がいる。いくつかの替え歌を歌い、最後に、東京タワー、東京タワーと歌う。ただそれだけ。ゲッツ坂野の芸風と同じ。これで食えるのかと思うが、芸人として生き延びてきた。

 その寒空はだかが今回の「八起寄席」に出演する。演者と演目は次の通り。

 春風亭かけ橋 かぼちゃ屋 

 三遊亭兼好  厩火事

 寒空はだか  漫談

 立川志の春  不動坊

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 落語はどれもおなじみの古典噺である。「厩火事」は、女房が、亭主がほんとに愛情をもっているかどうか試すという噺である。女房のひょうきんな態度をにぎやかに演じる。これが可笑しい。兼好の芸風がひかる。

不動坊」はわたしの好きな古典噺である。CDを含め何人もの「不動坊」を聴いている。オマエ、やってみろと言われればできないことはない。と言いたいところだが、それはムリ。ゆうれい役のせりふならできる。「四十九日も過ぎぬのに嫁入りするとはうらやましい」。

 志の春はオーソドックスに演じた。でも、オチだけは変えていた。

 帰り道、わたしは、東京タワー東京タワーと無意識のうちに口ずさんでいた。

2023年5月15日 (月)

麻生区は平均寿命トップ

 麻生区の平均寿命が全国の市町村区のなかでトップになった 麻生区に住む者にとっては喜ばしいことだが、実感はない。理由となると、さらによくわからない。

 識者は訳知り顔で、緑が多いとか、住民の健康意識が高いとか言うのだろうが。

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 住みやすい街だとは思う。商業や行政施設は新百合ヶ丘周辺に集中しており、なにかと便利である。駅前はにぎわっているが繁華街といえるようなエリアは広くない。すぐに住宅街となり、10分も歩けば、野山、田畑の風景となる。東京23区に隣接する街では緑が多い地域といえる。当ブログでしばしば採り上げている岡上は、ほとんど田舎である。コンビニエンスストアーは一軒もない。

 医療施設も多い。ほかと比べたわけではないから断定はできないが、気軽に病院に行けることは確かである。

 さらに所得水準も比較的高いような気もする。大金持ちはいないが(いるかもしれないが)、ビンボー人もいない。 と、並べてみたものの、平均寿命の高さの理由とはならない。

 川崎市の中でも高齢化率の高いのは麻生区である。老人ホームも多い。よそから施設に移り住んでくる人もいる。これもが高齢化率を引き上げている。 

 駅前のスーパーに行けば、年寄りばかりが買い物をしている。わたしもそのひとり。高齢化社会を実感する。

 この風景、過疎が進む地方の町村と似ている。

 ついでのひとこと

先日書いたシン500円硬貨2個は、飲み会の支払い(割勘だから現金払い)で使った。ババは居酒屋に移った。

2023年5月13日 (土)

500円硬貨

 支払いはほとんどキャッシュレスである。クレジットカードかプリペイドカード。

 現金しか使えないところもある。一部の病院とか自販機。自販機で面倒なのは新500円硬貨である。これが使えない。自販機が対応できていないのだ。新500円玉は使えませんという張り紙がしてあるところもある。で、新500円硬貨は嫌われることになる。ババである。

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 先日、500円硬貨を自販機に入れたところ、戻ってきた。しかたなく、千円札を入れてお釣りをもらった。お釣りは800円。100円玉3個と500円玉だった。それはよいのだが、500円硬貨を確かめると令和五年。新500円硬貨である。

 新硬貨はつかえないが、お釣りはオッケーということか。その自販機には、500円硬貨は100円硬貨に両替しますと貼り紙があった。親切だけど、新硬貨は溜まるので、それをお釣りにしているわけだ。ババなのだ。新硬貨を早く使ってしまいたい気持ちはよくわかる。

  新デザインに切り替わったのは令和3年。2年ぐらい続いている。新500円硬貨が使える自販機に切り替わるまでは、新500円硬貨のババ抜きは続く。

 いま、ポケットには新500円硬貨が2個ある。早くババを使ってしまいたい。

 変わってアメリカの話。

 アメリカでは、連邦政府の債務の上限をめぐって議会での協議が難航している。国債発行残高を引き上げないとデフォルトになってしまう。政府としてはなんとしてでも回避しなければならないが、共和党は引き上げに反対している。議会内での駆け引きが続いているが、共和党にしても大混乱は避けたいところだろうからなんらかの形で決着するだろう。

 債務問題を政治利用している面はあるとしても、日本に比べて健全のような気がする。日本国の債務問題はアメリカ以上に深刻なのに、与党も野党もゆるゆる状態にある。

2023年5月11日 (木)

『映画は子どもをどう描いてきたか』

 佐藤忠男さんは「しんゆり映画祭」の常連ゲストだった。トークというか映画の解説をしていただいた。解説というより、映画にたいする愛情を感じさせるトークだった。

 その佐藤さんは昨年の春先91歳で亡くなられた。声を聞くことができなくなったのは残念だが、佐藤忠男枠として「佐藤忠男が愛した映画」を上映し、映画祭らしくオマージュを捧げている。

 本書は亡くなられた後に出版されたが、生前にまとめられていた。子どもにスポットを当てた映画評である。

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 冒頭、「仔鹿物語」について触れている。1946年のアメリカ映画である。少年は親を亡くした仔鹿を育てていたが、近所の畑を荒らすようになるなど手に負えなくなる。父親は少年に鹿を殺すよう命じる。そんなことはできないと抵抗するのだが・・・といったストーリーである。アメリカには子どもを早くから大人扱いをする伝統があった。

  日本映画なら、そうはしない。子供がダダをこねて泣きじゃくるとか、父親がこっそり鹿を殺すといった話になるだろう。そう、日本映画では子どもがダダをこねるシーンが多い。ダダを許容する文化があり、大人も子どももその甘えの範囲を了解していた。日米文化比較であるが、かつての映画はそうだった。

 アジアやイスラム圏の映画の紹介、公開支援などの活動にも尽力されてきた。本書でもそのあたりのことにも多くのページを割いている。

 で、結論めいたことをつぶやかれている。「世界で子どもがいちばん子どもっぽいのは日本ではないかと思う」。

 本書で採りあげられている映画は新しいものでも10年ほど前のものである。最新の映画はない。それ以降、時代はかなり変貌した。たとえば強い父親が描かれることは少なくなっている。日本映画でも、たとえば是枝監督のものは、甘えを感じさせない。

 しんゆり映画祭のジュニアワークショップにも言及しているが、それらはあらためて。

 

2023年5月 9日 (火)

「銀河鉄道の父」

銀河鉄道の父」をイオンシネマで観てきた。

 門井慶喜の原作は読んでいる。当ブログにも確か書いたはず。調べてみたら2018年2月25日に載せている。5年前か。

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 賢治の父・政次郎(役所広司)の視点で賢治(菅田将暉)や家族を描いている。宮沢家は質屋と古着屋を営む。素封家である。政次郎は父親つまり賢治の祖父(田中泯)に厳しく育てられた。質屋に学問はいらないと中学進学を断念させられた過去がある。賢治も中学進学を望む。自分がそうであったように断念させたい思いがあったが、進学を認めた。さらに高等農林学校にも行かせた。賢治の気持ちを尊重し、金も与え、気ままにさせた。家を継がせたかったが、断念する。寛大だった。

 映画は、このあたりまではあっさり淡々と描いている。高まりを見せるのは、賢治の妹・トシが結核を病むあたりから。賢治のトシへの献身的な介護はよく知られている。

 このあたりから演出が高ぶりをみせる。感動的というか感情的というか、やりすぎの感がある。

 病床に伏す賢治を前に政次郎が「雨ニモマケズ」を声高に叫ぶシーンがある。これはいらない。感動的なのが好きな人がいるのは承知しているけれど、ここはぐっと抑えた演出であるべきだと思う。大きな声はいらない。泣き声もいらない。それで十分。やたら過剰だと引いてしまうのだ。

「雨ニモマケズ」は、つぶやくぐらいがよい。

2023年5月 7日 (日)

「The Son/息子」

 フロリアン・ゼレール監督の「The Sun/息子」をアートセンターで観てきた。

 この監督の前作「ファーザー」はおもしろかった。認知症がすすんでいく老人を描いたもので、脳内の様子にまで踏み込んでいた。アンソニー・ホプキンスの演技が印象に残っている。

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 弁護士のピーター(ヒュー・ジャックマン)は再婚した妻と生まれたばかりの子の三人で暮らしている。そこに息子のニコラス(17歳。前妻との間の子)がやってくる。息子は学校になじめず不登校の状態にあり、母親ともうまくいっていない。前妻とも話し合い、息子を引き取り、同居することにする。ピーターは新たな高校に通い始める。

 映画はここまでで数分しかたっていない。おおよそのことがわかる。30分ぐらい経っても何がなんだかわからない映画があるが、それらと比べりゃ、この映画はわかりやすい。脚本の上手さが光る。

 ピーターは有能な弁護士であるが、家庭のこと、子育てについてはおろそかにしてきた。息子に理解ある態度を示しつつもしっかりやれと言うばかりだった。ナイーブなニコラスは、表面ではにこやかにしていたが、心の傷を癒せないでいた。母親との関係もぎこちなく、うっぷんをはらせないでいた。

 うまくいっているようであってもうわべだけということもある。多くは時が解決する。そうでないこともある。父親としてどう対処したらよいか、難しい問題である。父親なりの理想的な子育て像があるが、それが息子に届くとは限らない。

 後半で、ピーターの父親がワンシーンだけ登場する。アンソニー・ホプキンスがその役を演じている。父親は成功者であり、自信をもってピーターを育てた。それを倣うようにピーターは息子に接したのであろうと想像される。

 さて、これ以上はストーリーに踏み込まない。ピーターの苦悩と反省が描かれるとだけ書いておく。

 こういうストーリーなら道化役が登場してもよい。多少ともやわらぎを与えてくれる。それがいない。道化がいない分、重苦しい映画になっている。

2023年5月 5日 (金)

「せかいのおきく」

 大型連休。高速道路の渋滞や新幹線の混雑ぶりをテレビは映しだしている。こちらはずっと連休、隠居の身。わざわざこの時期に出かける予定はない。出かけても近場。新宿に行ってきた。

 お目当ては映画。テアトル新宿で阪本順治監督の「せかいのおきく」をやっている。上映まで少し時間があったので、花園神社に行ってみた。人出は少ない。赤テントが張られ、芝居の準備をしている。唐十郎作の「透明人間」がかかる。赤テント劇場はまだ続いている。

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 で、映画。ひとことでいうと、おわい、しもごえ映画である。時代は安政、江戸の武家屋敷や長屋で出た糞尿を農村である葛西に運ぶ汚穢屋の二人が軸になる。これに長屋住まいの元武家の娘おきくがからむ。おきくは後半、のどを切られ、声を失う。といったストーリーで、おわいは添え物ぐらいに思っていたのだが、そうではなかった。全編、おわいだらけ。映像はほとんどモノクロになっているからそれほどリアルでないところが救いだった。これがカラーだったら・・・。でも、まあ、むかしは、人糞は大切な肥料だったから嫌ってばかりもいられない。

 新宿御苑に行ってみた。無料開放デーだった。人出は多いが、花見の季節ほどではない。さわやかな五月晴れ。気分はよいが、日差しがつよい。まぶしい。

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 落語にしばしば出てくる小咄を思い出した。殿様が三太夫に訊く。

 殿様:本日の菜であるが、先日食した菜の方が美味であったように思われるが、どうじゃ。

 三太夫:恐れながら申し上げます。先日のものは三河島の菜。しもごえなどを用いておりますので育ちもよく、味もいっそうよろしくなっております。本日の菜は当屋敷で採ったもので、下肥は使っておらず、味はいささか劣るかと存じます。

 殿様:左様か。菜はしもごえをかけると美味になるのじゃな。ならば、これに少々かけてまいれ。 

2023年5月 3日 (水)

うらやましい あやかりたい

 スポーツジムのロッカー。80を過ぎたとおもわれる老人二人がおしゃべりをしている。風呂あがりである。

「このごろ、運動すると疲れを感じるようになった。歳だね。もう走れん」

 そりゃそうだろうと聞き耳をたてていると、ふたりとも88歳だとわかった。アタシより一回りも上。疲れて当然。ふつうならジムとは無縁となり、杖か車いすの世話になっていてもおかしくない歳である。ひとりは炊事洗濯掃除でけっこう忙しいという。

 お元気でなにより。アタシなどその年齢まで生きられるかあやしい。生きていたとしても寝たきりかボケているかもしれない。

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 岡上(川崎の飛び地)でつきあいのあるお年寄りも元気な人が何人もいる。90過ぎても元気。頭もしっかりしている。年齢を感じさせるのは耳が遠くなったぐらいか。そのせいもあり、声が大きいというかハリがある。

 雑誌「波」(新潮社)に筒井康隆の不定期連載のエッセイがある。先月号までは「老耄美食日記」だったものが5月号からは「老耄倹約日記」にタイトルが変わっている。

  出かけては豪華ディナーの日々。一度に何万もつかう。流行作家なら金は余りあるだろうから散財できる。うらやましい。散財よりも驚くのは食欲である。年齢はスポーツジムでのご老人と同じ88歳。美食健啖にあきれる。

  でも、出費が度を過ぎているとちょっぴり反省。倹約することにしたという。タイトルは「倹約」にした。でも、さして倹約になっていないところが、ちょっと笑える。

 同じ「波」に阿川佐和子の連載エッセイがある。タイトルは「やっぱり残るは食欲」。残るは食欲か。食えなくなったらおしまいだ。

  元気の素は食欲なんだろうね。ジムのじいさんも。

2023年5月 1日 (月)

お好み寄席 浪曲 講談 紙切り・・・

アルテリッカしんゆり」の寄席演芸を観てきた。「演芸座 異演共演 お好み寄席」とある。

 講談、紙切り、浪曲、活動写真弁士、そして落語。バラエティーである。お目当ては、浪曲の玉川大福。この人の新作浪曲がおもしろい。日常のなにげない出来事をすくい取って、大仰な、ばかばかしい浪曲にする。これが笑える。

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 開口一番のあと、登場した。曲師(三味線)は玉川祐子。おん歳百歳。百歳で現役曲師というのはすごい。内容は、玉川祐子が4年前スマホに機種変したときのエピソード。先だっての「笑点」で数分間披露したというから、見た人も多いとおもう。今回はそのフルバージョン。といっても15分ぐらいだが。

 浪曲はうなる演者と三味線曲師のデュオである。ジャズと同様、即興のコラボであって、ジャズほどの決めごとはない。それがぴったりあう。

 曲師では沢村豊子姐さんが最高齢とおもっていたが、それより上がいるとは驚く。祐子姐さんは高座から下がるとき、小走りだった。健脚だ。

 神田蘭の講談をはさんで林家花の紙切り。今年の干支はなんですかと会場に問うと誰も答えない。で、うさぎと声をあげたら、オスメスどちらがいいですかと訊かれたので、ただちにメスと返答した。

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 その紙切りをいただいた。写真がそれ。メスオスはわからない。

 カツベン(坂本頼光)のあと、トリは桂米多朗の落語。演目は「幇間腹」。若旦那のにわか仕込み鍼で幇間が腹を刺され血だらけになるというおなじみの噺である。これも大仰な仕草でおもしろかった。

 さて、持ちかえったウサギ、どうするか。飾るには季節はずれ。月見の季節までとっておいて玄関に飾ろう。忘れなければであるが。

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