久しぶりに渋谷に出かけた。ル・シネマで映画を観て以来である。東急デパートが取り壊しとなり、ル・シネマもなくなった。
東急の道路を渡り、ちょいと入ったところにラブホテル街がある。一度も利用したことはない。今後も死ぬまで利用することはない。死んでからもない。くどい!
ホテル街の前にユーロスペースがある。シネマヴェーラと同じ建物。そこで「ぼくたちの哲学教室」を観てきた。
北アイルランドのベルファストにあるカソリック系の男子小学校を舞台にしたドキュメンタリーである。ここでは哲学の授業がある。哲学といってもプラトンとかカントを学ぶのではない。人生に対する心構えというか、生きていくための的確な判断力を養うための授業である。
校長先生が教える。授業というより、ファシリテーターとなって、なぜ学ぶのか、不安を感じるのはなぜ、どうしてケンカをするかなどを話し合う。質問し、答えを聞き、コンセプトボードに書きだす。そして、そう思うのはなぜかを問うていく。ざっとこんな調子。
子どもたちは、いろいろな意見があることを知る。そして、みずから判断する能力を身につけていくが、十分ではない。ケンカやいじめもある。授業外で、なぜケンカを繰り返すのかを当事者である子供に問う。この背景にはアイルランド紛争がある。
アイルランド紛争はカソロック系とプロテスタント系住民の合意により収まっているが、再発の火種は残っている。親の世代は紛争の当事者である。心の中には、やられたらやり返せという対決意識が染み着いている。それが子どもにも影響を与えている。
シリアスであるけれど、校長先生のユーモアがそれを救っている。校長先生はプレスリーの大ファンである。部屋にはプレスリーのフィギュアがある。電話の着信メロディは「監獄ロック」。授業中にこれが鳴る。
で、ふりかえって我が国。この小学校のような授業はあるのだろうか。授業の実態を知らないから何か言える立場にはないけれど、聞こえてくるのは、教師は忙しすぎて、過労死直前、それどころじゃないという声ばかりである。
ゆとり教育をバカにしたが、ゆとりをもった哲学カリキュラムも必要ではないか。さらに、当然のことながら、教師の育成も。
映画「ベルファスト」はアイルランド紛争の始まりの頃を描いていた。あれの登場するおじいちゃんやおばあちゃんは、哲学の素養を身につけていた。
ついでのひとこと
怒りについて話し合う場面がある。怒りを鎮める方を児童に問う。それらがセネカの考えと重なるかを説明する。なるほど。子どもらは賢い。
セネカの著作は読んだことがない。機会があれば「怒りについて」を呼んでみよう。