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2023年7月

2023年7月30日 (日)

「鶴川落語」10周年

 鶴川落語に行ってきた。10周年だそうだ。だからどうってこともないけれど、続いていることに意義がある。一流の噺家が出演しているからだろう。たいていチケットは完売となる。今回も完売とあったが、私の隣の座席は空いていた。ひとつ前も。忘れたのか急な用事ができたのか。チケットを無駄にした。もったいない。

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 今回は4人の噺家が登場。もうひとりは三味線の桂小すみ

 演者と演目

 柳家小はぜ  牛ほめ

 三笑亭夢丸  悋気の火の玉

 柳亭市馬    猫忠

 三遊亭小遊三 提灯屋

 小はぜはきちんとした噺をする。端正というか本寸法。夢丸はにぎやか。宮治と同系列。にある。小遊三はゆるやかでばかばかしいキャラがよい。

 こう並べてみて、つくづく思うのは、市馬はものが違う、ってことだ。うまいことはまちがいないが、もうひとつ高いところにいるように感じる。王道というか、レッドカーペツトを歩いている。

 今回の「猫忠(ネコタダ)は演じられることは少ない。小遊三がマクラで「猫忠」は珍しい、園生で聴いただけだと語っていた。じつは、この噺、テレビの落語研究会で聴いたことがある。猫が男にばけて稽古どころに習いにくるという噺。なぜやってきたのか、三味線の皮になった母親を訪ねてきたという母恋子猫の物語である。

「提灯屋」は、今月、小痴楽を聴いたばかり。あまり演じられない演目を続けて聴くことはたまにある。丁の目が続いて出るように。

小痴楽はこってり演じたが、小遊三はすっきりした感じでまとめていた。どちらがいいかは好みによる。

2023年7月29日 (土)

「汚辱の世界史」

 わたしは博識だと言われる。正しくない。知識は広いが、たいしたことはない。わきあがる好奇心を満たすように、新書本の一冊か二冊読めば好奇心は満たされ、その先まではいかない。その程度である。薄っぺらい。だから「薄識」だと自覚している。博識なら、いまごろ研究室に閉じこもっているはずだ。

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 で、その「薄識」のひとつ。南米の作家ボルヘスの『汚辱の世界史』を読んだ。なぜボルヘスかは自分でもわからない。短編集である。『悪党列伝』というタイトルだったものが岩波で文庫本とする際にこのタイトルとなった。

 そのなかに「吉良上野之介」がある。なぜボルヘスが忠臣蔵の世界にたどりついたかはわからない。悪党というのも理解できないが、忠臣蔵の世界がボルヘスを刺激したことは間違いない。

 その中に薩摩武士が登場する。祇園で飲んだくれうつけを演じていた大石良雄は茶屋の店先で反吐にまみれていた。通りかかった薩摩武士は、大石を見て武士の風上にも置けぬ者と唾を吐きかけた。

 のちに仇討ちを果たし切腹した大石の墓の前で、薩摩武士は唾を吐いたことをわびた。そして切腹して果てた。というエピソードが紹介されている。

 わたしは歌舞伎の忠臣蔵を通しで観てはいない。義士外伝も講談や落語でとびとびに知っている程度である。この薩摩の武士のエピソードは知らない。

 忠臣蔵のサイドストーリーとしておもしろい。そのエピソードが、遠い南米のボルヘスまでどのように届いたのか。好奇心をくすぐるのだが、どう調べたらよいかわからない。どなたかご教授願えないかと思っている。

2023年7月27日 (木)

「ミッション・インポッシブル」

 イオンシネマで「ミッション・インポッシブル」を観てきた。「君たちはどう生きるか」にしようかと迷ったが、こっちにした。予告編にあるオートバイをとばすアクションがどうなっているか、それが観たかった。

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 AIによってデジタル器機を攪乱あるいは制御して世界征服をたくらむ組織の陰謀を断つのがイーサン(トム・クルーズ)らに下されたミッション。大筋はそうなんだけど、展開はめまぐるしい。誰が敵なのかわからない。マスクをして変装する場面もあるけれど、これは禁じ手、観客を戸惑わせるだけだ。

  さらに相関関係が複雑というかわかりづらい。人相も似ている。ジイチャンは混乱し、ついていけなくなる。適当にうなづくような気分でいると、大音響の中、隣にすわった中年男はいびきをかいている。わけがわからんからね。

  べネチア市内でのカーチェイス、オリエント急行での立ち回りは迫力がある。ぶっこわすだけがハリウッドのやり方かよとツッコミを入れたくなるが、それがハリウッドだ、文句あっか、と返されるだけだろう。

 デジタルの世界と言いながら、ミッションのテープはあいかわらずカセット。ICレコーダーじゃない。古くさい。ストーリーの鍵となる二本の鍵はまさにアナログ。このあたりちょっと笑ってしまうのが、そう笑ってもいられない。画面の切り替えが速い。ジェットコースターに乗っているかのようである。

 70をたっぷり過ぎた年寄りはついていけない。来年これの続編が公開されるという。観るか観ないか。どうでもいいけれど、そのときなって考えてみよう。

 あとで、新聞の映画評を読むと「危険に煽られて親密さが増す男女関係の描き方の巧みさ」(日経)とある。えっ! どこが巧みなんだ。といった反論はてきとうに笑って胸の内で流す。

 ついでのひとこと

『ハリウッド映画の終焉』という新書が出ている。読んでいないがおよその見当はつく。 破壊的なカーチェイスの先に何があるのか。走る列車の屋根でのアクションは続けられるのか。ハリウッド技法は覚せい剤中毒の暴走と映る。デドックスできるのか。

2023年7月25日 (火)

「山女」 戦慄せしめよ

 渋谷に出かけた。ユーロスペースで福永荘志監督の「山女」を観る。

 上映まで時間があったので近くの松濤公園に行ってみた。ここには変わったデザインの公衆トイレがある。木の板を組み合わせただけのもの。この写真を見れば、ああ、隈研吾がデザインしたものだと想像がつく。渡辺謙主演の「パーフェクトデイズ」にも登場するそうだ。

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 遠目から見ると斬新に見えるが、近づけば、板はただの木材。カンナもかかってないしニスも塗っていない。こんなものでも工夫すれば立派な素材になる。

 映画は柳田國男の「遠野物語」から着想を得たものだそうだ。江戸時代、冷害による食料不足に襲われた村が舞台。ひとりの少女・凛が主人公。祖父が火事を起こし農地を取り上げられ、村でも最も貧しい家。飢えが日常になっている。父親が盗みを働いてしまう。父親をかばう凜は身代わりとなり、村から出る。立ち入ってはならないとされる山神の祠を越えて山奥に入る。そこには、もののけのような山男が住んでいた。といったストーリー。

 映像は暗く、自然の美しさといったものは描かれない。監督の意図かもしれないが、観客としてはあまりおもしろくない。

 人里と山奥を区別する思考がある。境界にあるのが山里、あるいは里山である。こっちと向こう。そのあたりを書き出すと長くなるのでやめておく。山男は、向こうに住む天狗であったり赤鬼であったりする。

 映画は、凜の自立、成長を描く。そこまではっきり描いているわけではないけど。そこは観客の判断に任せている。

 ラストの凜の姿に戦慄したのは、村人たちであった。

2023年7月23日 (日)

 「幾春かけて老いゆかん」

 歌人の馬場あき子さんは隣の駅の柿生(麻生区)に長く住まわれている。ご近所の著名人である。

 その馬場あき子さんの日常を描いたドキュメンタリー映画「幾春かけて老いゆかん」がアートセンターで上映されている。それほど入っていないと思っていたが、そうではなかった。観客は多かった。地元だからということか。

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 馬場さんは現在95歳。撮影されたのはここ数年前、コロナ真っ盛りの頃である。この歳になっても元気そのもの。とくに声に張りがある。

 朝日新聞の「歌壇」の選者を長く務められている。その選考のシーンが映し出される。めちゃくちゃ速い。はがきの枚数を勘定するかのようにめくっていく。2000枚ものはがきから最終的には10枚に絞り込むのだからじっくりというわけにはいかない。選び落としはないのかと心配になる。

 まず下句に目をやる。ここで引っかからなければボツ。安易で凡庸ないいまわしのは選ばれない。次に上句に目をやり、ここでなるほどと思われるものが、二次選考に進み、さらに絞り込んで最終候補作となる。20首ぐらいか。そして最後に新聞に掲載される10首が選ばれる。

 馬場さんが短歌とともに情熱を傾けてきたものに能がある。能楽の造詣は深いし、自ら80歳ぐらいまでは能を舞っていた。

 タイトルの「幾春こえて」は若い頃の作品から採られている。

 さくら花幾春こえて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

 もうひとつ印象に残った歌。

 心なし愛なし子なし人でなしなしといふこといへばさはやか 

 映画には麻生区の風景も映し出される。麻生川での花見。このあたりでは有名な花見スポットである。レストランもたぶんあそこだろうと私には想像がつく。

 麻生区は平均寿命で男女とも日本一になった。元気な高齢者も多い。馬場さんはその代表といえる。

  ついでのひとこと

 数日前、柿生のもう一つ先になる岡上(鶴川)で98になる老人とお話をした。耳が遠くなったのをのぞけば元気そのもの。ばかばなしがたのしい。

2023年7月21日 (金)

コソボの今 『コソボ 苦悩する親米国家』

7月3日に書いた「コソボの今」の続き。

セルビア軍の撤退により2008年、コソボは独立した。今度は、多数派であるアルバニア系民族の逆襲である。少数民族となったセルビア人などを虐待した。

  その一つが臓器密売である。セルビア人やロマを「黄色い家」という施設に連行し、殺害。その臓器を秘密裏に輸出した。本書では「黄色い家」を訪ねているが、深いところまで探求することはできなかった。

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 コソボは火種を抱えている。大アルバニア国という民族主義である。隣国アルバニアとの併合を望み、その周辺国まで領土を拡大させるという構想を持っている。

 アルバニアはかつてヨーロッパの北朝鮮と呼ばれたように鎖国政策を採っていた。国内にはトーチカがたくさん作られ、わけのわからない国であった。国を挙げてのネズミ講で国家財政が破綻したのを記憶している。

 アルバニア民族の一致団結は、プーチンの大ロシア構想と重なる。ウクライナのロシア系住民を救済するという大義を掲げて侵攻したのと似たような騒動が起きるかも知れない。前回挙げた新聞記事はそのひとつ。ふたたび民族浄化といった機運が広がるかもしれない。

 アルバニア系であっても大アルバニアの構想には組みせず、コソボ人として他民族とも共存するべきと考える人も多くいるが、いつなんどき、民族主義に巻き込まれるかもしれない。

 コソボって岐阜県ほどの広さで人口は200万人に満たない小さな国なんだけど、目が離せない。

 ウクライナに目がいきがちだが、こちらも注視したい。ジョージアにも。

2023年7月19日 (水)

「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

 時代は2010年。文明と絶縁し、アーミッシュのような自給自足の暮らしをしている農村。電気はなく明かりはランプ。19世紀を思わせるような暮らしを続けている。若い女性がレイプされる事件が例年起きていた。まるで宗教儀式のように繰り返され、事件は表沙汰にはされていなかった。ひとりの少女の告発で警察の捜査が入り、犯人は逮捕される。男たちは保釈金を払うため、一時的に村を離れる。

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 南米で実際に起きた事件をヒントにした小説を映画化したものということだが、現実味が薄く、違和感を抱くが、宗教をバックにしていると思うとありうるかもしれない。

 さて、ここからが本題。女たちの代表者が納屋に集まり、議論をする。男たちが帰ってこないうちに、今後の身の振り方を話し合う。

 このまま何事もなかったように暮らしを続けるか。この地にとどまって男たちと戦うか。それともこの地を離れて、あらたな暮らしをするか。サブタイトルにあるように、私たちの選択を話し合う。

 女たちは無筆である。教育の機会を奪われてきた。タリバンによる女性蔑視を思わせる。反性暴力がMeToo運動と重なることはいうまでもない。つまり、今を映しているのだ。

 女たちが下した選択は・・・、それは言わないでおく。製作はマクドーマンド。ちらっと映画にも登場している。

 音楽はほとんど流れない。突然、「デイドリーム・ビリーバー」が響き渡るシーンがある。エンドロールにも流れる。なぜこの曲なのか?

2023年7月17日 (月)

「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」

 災害級の猛暑のさなか、新宿まで出かけ映画を観てきた。テアトル新宿。「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」。

 二人の監督がそれぞれ三つの短編を作ってそれをつなげたもの。それだけで観ておく価値はあるかと思った。

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 舞台は歌舞伎町。バーを経営しながら探偵稼業をするマリコ(伊藤沙莉)が主人公。エピソードごと登場する人物も変わらないから、6つの短編といえどもつながっている。

 ストーリーは荒唐無稽。FBIの捜査官が登場し、地球外生命体を探してくれと言う。ハァ? わけのわからない連中が次々と登場し、矢部太郎 六会直政が実名で登場したりする。ストーリーはどうでもよい。「ET」や「未知との遭遇」のパロディ(オマージュかもしれない)もある。

 ばかばかしい映画だけれど、みどころは伊藤沙莉の演技というか正確に言うとしゃべり。幼い顔つきなのに声が低い。ハスキーとも違う独特の声。この女優さん、声だけで演技ができる。歌舞伎に「一声 二顔 三姿」ということばがある。声(口跡)がいちばん大切ということだ。もちろん落語も同じ。伊藤沙莉の声は落語に向いている。

 映画館は冷房がきつかった。外にでると炎天。アスファルトの照り返しをしばし浴びた。数分ならわるくない。汗もでない。

2023年7月15日 (土)

 さよなら赤富士

 国立演芸場7月中席に行ってきた。さよなら公演である。

 写真は演芸場の緞帳。北斎、富嶽三十六景のひとつ、赤富士である。みごとな緞帳で、他のどの劇場よりも印象に残る。これが見られなくなる。国立劇場再建後(6年後)にこの緞帳が使われるかどうかはわからない。これで見納めになるかもしれない。

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 今回の演者と演目(落語)

 柳亭市童    子ほめ

 柳亭こみち   妻の酒

 五明楼玉の輔 お菊の皿

 玉屋柳勢    紙屑や

 林家彦いち   反対俥

 柳亭市馬    佃祭

 前半は省いて、彦いちの「反対俥」。久しぶりに聴いた。この噺、動きが激しい。車夫が人力を元気よく走らせる。声をあげ、跳び跳ねる。ときに正座したまま空中浮揚する。若いうちはよいが、歳をとると激しい動作は無理。ベテランはやらない、というよりできない。彦いちは54歳。いい歳だ。そろそろ噺仕舞いになる。でも、60過ぎてもやるかもしれない。

 トリは市馬師匠。「佃祭」だった。この噺、ちょっといい短編小説のような味わいがある。佃島からの仕舞い船に乗るつもりが見知らぬ女性に引き留められ、帰れなくなる。かつて助けた女性だった。船には乗れなかった。これが幸いだった。仕舞い船が転覆してしまったことが知らされる。で、情けは人のためならずというオチとなる。

 この噺には与太郎が登場するのだが、それはないほうがよいと思っていた。詳しくは書かないが、与太郎のエピソードは蛇足。市馬はそれを省いた。それでよい。

 会場では、国立演芸場の閉館を記念した手ぬぐいを売っていた。例の緞帳をデザインしたもの。演芸場の思い出で(スーベニール)である。一本買った。何に使うわけではないけど。

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 ついでのひとこと

「佃祭」の後半。次郎兵衛さんは船に乗っていなかったが、店の方ではてっきり死んだものと思い、葬式の支度をする。通夜の最中、次郎兵衛さんが戻ってきたから、店は大騒ぎとなる。

 死んだと思われた人が帰ってくるという落語は他にもある。「小間物屋政談」がそう。こちらの方はすでに女将さんは再婚してしまっている。で、どうなるか。奉行所の粋な裁きとなる。

 誰々さんが死んだと聞いていたが、街で偶然その人に出会ったことがある。エッ、生きてたの! とびっくりした。死んだというのはガサネタだった。なんとかそこは取り繕ったが、これがその人の奥さんだったら、悔やみを言っていたかもしれない。

2023年7月13日 (木)

コソボの今

コソボ 苦悩する親米国家(木村元彦)を読み終えた。

 旧ユーゴスラビアの現代史についてはずっと関心があった。国家が崩壊し、分裂していく過程は乱麻のように複雑なのだが、それがこちらの興味を刺激する。現在もその動向は見逃せない。

 著者はスポーツライター。サッカーに関心を寄せれば、バルカンのこの国の歴史を避けるわけにはいかない。日本のサッカー界は旧ユーゴのお世話になっている。たとえば、オシムはボスニア出身である。ハリルホジッチもボスニア出身、ストイコビッチはセルビアである。その他旧ユーゴの選手はJリーグで活躍している。

 ちかごろ、旧ユーゴの国々がマスコミに登場することは少ない。平穏なら結構なことだ。ウクライナやシリアに比べたらと思っていたら、朝日新聞がコソボとセルビアの対立を報じていた(6/28)。まだ争いは続いている。

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 ユーゴ内戦に一応の終止符を打ったのは1999年のことである。コソボで民族浄化が行われているとの理由で、アメリカ主導でNATO軍がコソボやセルビアのベオグラードを空爆した。セリビア軍は撤退し、コソボはその後、独立した(独立を認めていない国も少なくない)。民族浄化が実際に行われたかというと、なかったわけではないが、規模は小さかった。反セルビアのプロパガンダによる偽情報を当時のアメリカ大統領クリントンは信じてしまい、空爆となった。内実はどっちもどっち。やられたらやり返す、その繰り返しが長い民族紛争であった。

 セルビアの当時の大統領ミロシェビッチは大悪人に仕立て上げられてしまった。戦争のプロパガンダについては『戦争広告代理店』に詳しい。この本は読んでおくべきだ。

セルビアがコソボの独立を阻止したい最大の理由は、セルビア正教の聖地がコソボ内にあるからである。著者は聖地ペーチを訪ねる。ペーチ近くのヒナムにはセルビア人であるポポヴィッチの生家がある。ポポヴィッチはJリーグの大分トリニータ、FC東京、セレッソ大阪などの監督を歴任した。サッカーファンならご記憶だろう。

 ここまで書いてちょっと疲れた。続きはまた改めて。

2023年7月11日 (火)

三人会 三三・吉弥・小痴楽

 梅雨も明けぬに暑い日が続く。九州北部は豪雨。日本全国均等に降ればよいのに。

 暑いさなか、落語に行ってきた。 三人会である。

  柳家三三、桂吉弥、柳亭小痴楽という組み合わせはよくあるのだろうか。三三は本寸法の実力派。吉弥は上方の噺家だが、近頃は東京でもよく高座にあがるようになっている。小痴楽は真打昇進後、人気が急上昇している。

 会場は麻生市民館の1000人収容できる大ホール。満員御礼とはならないだろうが、どのくらい埋まるか関心があった。

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 会場をざっと見渡してみると、客席の半分ほどが埋まっている。ま、こんなものか。

 本日の演目

 吉弥   仔猫

 小痴楽  提灯屋

 三三   粗忽の釘

「提灯屋」と「粗忽の釘」はおなじみの古典噺だが、「仔猫」は初めて聴く噺。上方ではよくやられているのだろう。猫を殺して血を吸う女の噺だが、怪談というほどの怖さはない。吉弥は明るく演じた。

「提灯屋」は提灯に入れる家紋にまつわる噺である。なんどか聴いたことがあるが、オチがよくわからないというか、すこし工夫があってもよいと思う。

 落語から離れるが、わたしの家の家紋は、まるわになんとかであった。仏壇を作る際、家紋を扉に張り付けるのだが、家紋のリスト(見本帳)にはそれに合うものがなかった。微妙に違うのだ。それで、似たようなものにしたと記憶している。

 落語の方は、まるにかしわ(丸に柏)という家紋がでてくる。で、オチはスッポンとニワトリになる。スッポンをマルという。カシワはニワトリである。それはわかるのだが、噺の流れとして、いまひとつ納得できない。とやかく言うほどのことではない。

そういえば、しばらくスッポンを食していない。

2023年7月10日 (月)

ほおずき

 西朝府にあるレストランでランチをした。

 写真はそこで出された前菜。彩りが鮮やかだった。料理を写真に収めることはめったにないが、これは撮っておいた。

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 ほおずきの葉っぱは器代わりで中身はふつうの前菜。実は食べない。ほおずき市なので、それに合わせたのこと。浅草のほおずき市は昨日と今日。四万六千日。さぞや混雑していることだろう。

 食用のほおずきを食べたことがある。日本でも栽培されているが、食べたのは中国に旅行した折。特急電車の車内販売で売っていた。ミニトマトの食感に似ている。やさしい味だった。ふつうのほおずきは苦い。

 ほおずきの中身をくり抜き、皮だけにする遊びがある。その皮を舌の上でぐいと押すと、ブイブイと音がする。小学生のころやったが、種を出すのが、難しかった。茎を取り、首の部分を針か爪楊枝でつついて中身を取り出すのだが、首の部分が破けてしまうのだ。なかなかうまくいかない。自分が不器用であることを悟った。

さて、ここのレストラン。盛りつけも料理も凝っているのだが、やりすぎの感もある。魚料理はアユだったのだが、春巻きにしている。まずくはない。旨いのだが、やっぱりアユは、シンプルに塩焼きの方がいい。

2023年7月 8日 (土)

「絶唱浪曲ストーリー」

 講談や浪曲は衰退芸能であった。いっときは絶滅が危惧された。

 このところ、やや盛り返している。講談は神田伯山の出現により若い人もライブに通うようになった。浪曲は国本武春が新しいジャンルを切り開き、人気を博したが、突然死のように55歳で亡くなってしまった。これで浪曲の未来は暗くなった。しかし玉川奈々福、玉川大福ら若手の出現によってファン層を増やしている。

 その浪曲。ドキュメンタリー映画ができた。「絶唱浪曲ストーリー」。渋谷、ユーロスペースで観てきた。

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 わたしのまわりに講談や浪曲に関心のある人はほとんどいない。高齢者はむかしテレビやラジオで聴いたことがあるという程度。多くは講談と浪曲の違いも知らない。簡単に言うと、三味線付きで唸るのが浪曲、浪花節である。

 映画は、浪曲の世界に飛び込んだ女性が師匠につき、名披露目(港家小そめ襲名)をするまでの足取りを追いかけたものである。チンドン屋で修業していた女性が浪曲に魅せられ、港家小柳に弟子入りをし、教えを受ける。が、小柳は死去。その後、曲師(三味線)・玉川祐子が師匠となって指導する。祐子師匠については当ブログでも書いた(2023/5/1)ように現在百歳である。

 浪曲は演者と曲師のデュオである。ほとんど即興で三味線は演者をアシストするが、

三味線がリードすることもある。そのあたりの掛け合いが見どころ聴きどころとなる。

 映画は、コロナ前の数年かを描いている。ということは祐子師匠はまだ九十代。元気で賑やかである。定席の木馬亭も健在である。

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 ついでのひとこと

 浅草に行った。飲み会である。木馬亭の前を通った。写真がそれ。7日までは浪曲の定席となる。小そめの名もあった。

2023年7月 6日 (木)

さよなら国立劇場 「双蝶々曲輪日記」

 友人の誘いで歌舞伎に行ってきた。場所は国立劇場。

 国立劇場はまもなく取り壊しになる。リニューアルされるのは6年後ということで、生きていたとしても再び訪れることはないだろう。

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 今回は初心者向きの公演である。演目は「双蝶々曲輪日記」の一幕「引窓」(全九段のうち八段目)で、その前に、歌舞伎のみかたの解説がある。歌舞伎に馴染めるよう工夫を凝らしている。解説したのは澤村宗之助。引窓の説明もある。

 主役は中村芝翫。わたしには襲名前の中村橋之助のイメージが強い。

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 落語にも「双喋々」という演目があるが、それとは違う物語。長い演目である。この一幕「引窓」の部分だけを説明するのは難しい。母親・お幸の立場からすると、養子に出した実の息子・長五郎と再婚相手の息子・与兵衛(血のつながりはない)の間で苦悩する。長五郎も与兵衛に報いたい気持ちと母への思慕の間で葛藤する。それがこの演目のみどころなの。解説もあったので、わかりやすかった。

 国立劇場とはこれでおさらばかというと、そうではない。となりの国立演芸場に落語を聴きにいく予定が入っている。それが終われば国立劇場とはおさらばとなる。

2023年7月 4日 (火)

鏡の中の自分

 ふだん鏡を見て自分の姿を確認している。鏡に映った顔が自分の本当の顔だと思っている。

 実際は、左右さかさまになっているのだが、それに気づかない。たとえば左にホクロがあったとすると、鏡では右になる。左手をあげれば、鏡では右手があがる。新聞紙を持って鏡に映せば、文字は反転して裏文字というか鏡文字になるのだが、ふだんはそんなことはしないから、左右逆転に気づかない。

 ところがZOOMだと、自分の顔は鏡とは左右逆になる。ちょっと変。髪の分け目がいつも鏡で見るのとは反対になっている。ああ、そうか、これが人から見られているほんとうの姿なのだと気づく。右手をあげれば右手があがる。新聞の文字も正しく映る。

 思い出したのが、忠臣蔵の七段目。鏡で手紙を読む有名なシーンがある。由良助が読む手紙を二階からお軽が鏡で映して読む。遠くの鏡文字など読めるはずがないのだけれど、お軽は読んでしまう。芝居だからね。

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 逆時計というか裏文字の時計を架けている理髪店がある。鏡を見ると正しい表示の時計になる。客からは便利だ。

 写真は鏡に映した時計。時刻は2時15分。9時45分ではない。

 ついでにひとこと

 PFASによる汚染問題、それを描いた映画「ダーク・ウォーターズ」については少し前に書いた。その原作となる本が出版されている。『毒の水 PFAS汚染に立ち向かったある弁護士の20年』。毒の水か。ちょっと刺激的。

 著者のロバート・ビロットは映画でも主人公となる弁護士である。ビロットの粘り強い取り組みがなければ、この汚染問題はずっと放置されていたかもしれない。 

 被害者の中には汚染水を流したデュポンで働く人や関係者が多くいる。こういう巨大企業と戦うには多大な困難がつきまとう。

2023年7月 2日 (日)

いわき  海岸のロング・ウォール

 いわき(福島県)行ってきた。前回行ったのはコロナ前、4年ぶりになる。

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 写真は、久ノ浜の海岸。いわき市の最北部にあたる。福島第一原発からは31キロほど離れている。事故当時、避難対象地域とはならなかったが、津波で大きな被害に遭った。海岸には長い堤防が築かれ、かつての面影はない。砂浜ほとんどなくなっている。

 今後、この壁、万里の長城のようなロング・ウォールがどれほど役に立つのか・・・。堤防の上には海抜9メートルとの標識があった。2011年のような大きな津波が襲うのは、たぶん数百年後ではないか。その間、中規模の津波はあるだろうが、今までの堤防で十分だろうに。

 この地域では農業も漁業もむかしに戻っている。しかし、家並みや道路はずいぶん変わっている。あれこれあげないけど、人が少ないことに気づく。少ないというより、いない。

 都会は人が歩いている。いなかは人通りがない。当たり前と言えば当たり前だが、ほんとうに人がいない。

 人はどこに出かけるのか、どこが賑わうか聞いてみると、休日は大型のショッピングセンターだそうだ。買い物のほか娯楽施設で遊ぶ。なるほど。

 行き帰りの常磐線の車窓は緑ばかりだった。森林と雑草と田植え後の田んぼの緑で大地は被われている。

 天気は曇りか雨。うまい具合に降られることはなかった。心がけがよかったから。

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  7月になった。あっというまに半年が過ぎた。きょうは五月晴れ(旧暦)。蒸し暑くはない。 

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