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2023年8月

2023年8月31日 (木)

米多朗が一玄亭に

「しんゆり寄席」10月のチラシを見ると桂米多朗の名前が変わっていた。家号が一玄亭に。

 そういえば6月の「しんゆり寄席」で、師匠の米助(ヨネスケ)ともめている、破門になるかもしれない、そうなると改名することになると語っていた。

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どんないざこざがあったかはわからない。米助の弟子は米多朗ただひとりだったから、弟子なしになる。米多朗は真打ちとなって長い。全国的な知名度は低いが、川崎ではそれなりに知られている。落語もうまい。とりわけマクラがおもしろい。

 破門の理由はわからないが、推測するに、師弟関係が疎遠になったからではないか。米助はテレビなどでの仕事が多く、寄席の活動は少なくなっている。米多朗も多忙となっている。で、すれ違い。熟年離婚のようなものか。

 以上は、マイナーな地域ネタ。全国的な話題は「笑点」の木久翁。来年3月に引退する。来年3月? 幾代餅かよ。落語好きにしかわからない反応。それはともかくとして、木久翁は85歳。いい歳だ。ご苦労さんと言うしかない。

 後釜は誰となるかが気になる。息子の木久蔵ってことはなかろう。

 兼好とか萬橘あたりが考えられるが、女流ってのもいい。

2023年8月29日 (火)

「春に散る」

  イオンシネマで「春に散る」を観てきた。原作は沢木耕太郎。朝日新聞連載中に読んだ。白川道のハードボイルド小説のような印象を受けた。過去に疵をもつ孤高の男の最後の賭を描く。よくある設定だと言えばそのとおりである。

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 アメリカから40年ぶりに帰国した元プロボクサーの広岡(佐藤浩市)はむかしの仲間と住み始める。原作では共同生活に至るまでを書いているが、映画では省いている。広岡は居酒屋で酔っぱらった若い連中にからまれるが、軽いパンチで叩きのめす。それを見ていた黒木(横浜流星)は、おまえのボクシングを教えてくれと広岡に懇願する。一度は断るが、中途半端に終わったボクシング人生を思い返し、黒木のトレーナーとなる。

 映画は元ボクサーである広岡の視点で描かれる。実際はそうではないけれど、こちらが年老いているからどうしてもそうなる。黒木はまっすぐである。それに対し、広岡はさまざまなものを引きっている。そりゃそうだ。人生の荒波を乗り越えてきた。悔いもある。

 人生に消しゴムはいらないと書かれた張り紙がうっすら画面に登場したりする。めちゃくちゃじゃないかと詰め寄られれば「年寄りはめちゃくちゃなんだ」と広岡は居直る。

 筋が通っていないのが高齢者である。高齢者だけではないかもしれないけど、人生ってものは、そういうものだ。

 といった思いが交錯する。この映画は年寄り向きの映画であることに気づかされる。といっても年寄りに勇気を与えわけではない。

ちかごろ、暴走老人ということばを聞かない。暴走する老人がいなくなったわけではないけれど、周りに迷惑を掛けない程度の小さな暴走があってもよい。ものわかりのよい年寄りは退屈なんだよね。 映画とは関係ないけど、そんなことをぼんやり思った。

2023年8月27日 (日)

しんゆり寄席 トリは文菊

 先だっての落語会で、一之輔が文菊のことを愛情を込めてエロ坊主と語っていた。もちろん冗談半分である。

 その古今亭文菊が登場する「しんゆり寄席」に行ってきた。いつものように、いいとこの若旦那のような風情で登場する。艶っぽい。他の噺家がやればイヤミになるが、文菊はこれが持ち味であって、品のよさは隠せないといったスタイルで笑わせる。

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 ゆったり噺に入る。そこから次第にテンポをあげていき、ときに声を張り上げてメリハリをつける。そしてクスリと笑わせる。うまいものだ。

 今回の演目は「猫の災難」。おなじみの酒飲みの噺である。演題に猫とあるが猫は登場しない。ついつい酒を勝手に飲んでしまって言い訳をする。タイの切り身がなくなったのは猫が獲っていったから、猫が一升瓶を倒して酒を流してしまったからと。

 よく聴く噺だが、それぞれに持ち味がある。ゆったり大きく演じるのが文菊風である。権太楼が、10年もやれば誰だって落語はうまくなる、芸はそこからだ、といったようなことを語っている。文菊の芸はまさにそこから上に行っている。ほんとうにうまいものだと感心する。

 文菊以外の今回の演者と演目

 初音家左橋 船徳

 桂米多朗  反対俥

 米多朗は、交通安全をテーマにした落語会に招かれることが多いという。その落語会のあと、違反切符を切られたエピソードをおもしろおかしく語る。長めのマクラのあとは「反対俥」。激しく跳んだりするから若いうちしかできない。米多朗は50をすぎている。途中で、きつい! 反対俥を選んだのはまずかったと一息入れる。手ぬぐいをもっていなかったから汗もふけない。

 手ぬぐいを手にしていなかったわけは省く。それにしても文菊の艶っぽい芸が光った。

2023年8月25日 (金)

極楽の余り風

 久しぶりに桂米朝のCDを聴いた。失われたことばについて語っている。

 むかしはお年寄りが「極楽の余り風」とよく言っていたが、最近は聞かない。ええことばなのやに・・・。

 暑い日、日陰に入ると涼しい風が吹いてくる。ああ、極楽や極楽や、というときにつかう。余り風という表現が、ありがたみ、自然に感謝する気持ちをあらわしている。庭に打ち水をしたような爽快さがある。こういうことばがなくなっていくのは惜しい。

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 それにしても酷暑が続く。温暖化どころか沸騰化と国連事務総長が表現していたが、まさにそれにあてはまる。

 暑い日はビールだが、冷やした酒もいい。落語の「青菜」には「やなぎかげ」という酒がでてくる。なじみはないが、そういうブランドの酒もある。つくりかたは簡単。焼酎と味醂をブレンドさせる。キンキンに冷やして飲む。

 やなぎかげは、柳の陰、木陰にいるような気分になるところから名付けられたのだろう。極楽からのお裾分けの冷酒である。

 余り風ていどならよいが、冷えすぎの風が吹く場所が多くなった。劇場も喫茶店もクーラーをガンガン回している。節電など頭にない。半袖ではいられないほど。女性はすかさずカーデガンやショールを羽織ったりする。心得ている。男は我慢するしかない。

 暑さもまもなく終わる。日も短くなっている。お彼岸まではまだ一月ほどあるが、アブラゼミの鳴き声もいくぶん弱まった。甲子園も数日前に終わった。

2023年8月23日 (水)

 三人会 喬太郎・白酒・一之輔

 雨はあがったが、ひどく蒸し暑い。そんな中、落語会に出かけた。

 柳家喬太郎、桃月庵白酒、春風亭一之輔の三人会。いずれも人気噺家だから、チケットは争奪戦になる。チケット発売日に並んで買った。前方のいい席がとれた。

  1000人収容できる麻生市民館の大ホールは満席となった。一之輔が「笑点」のメンバーになったことも人気を押し上げている。

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 開口一番の桃月庵ぼんぼりの時にちょっとハプニングがあった。途中から声が急に大きくなった。音声のボリュームをあげたと思ったが、マイクが入ってなかっただけ。スピーカーのワイヤーが抜けていたらしい。わたしは前方の席だったから、気づかなかった。前座はマイクなしでも声はとおる。楽屋裏では汗かきまくって回復の作業をしていた。

 といったことを一之輔がマクラで語っていた。ハプニングはよくある。古今亭文菊のことを愛情を込めてエロ坊主だと悪口を言ったあと、ふたりの会でのこと。文菊が高座にあがっていたとき天井の照明の器具(鉄板)が落ちてきた。文菊の後ろをかすめて落下。大事に至ることはなかった。けがをしたらおもしろかったのにと笑わせる。緞帳がドスンと落ちたこともあるそうだ。

といったことを即興でしゃべれるのも芸のうち。うまいものだ。「笑点」ネタはなし。老人ホームのような楽屋の話はいらない。これもよい。

 今回の演目

 一之輔  ちりとてちん

 喬太郎  当世女甚五郎

 白酒    お化け長屋

当世女甚五郎」は新作。女性の工芸アーチストが同級生のライターからインタビューを受けるという内容。ライターは日本語にうといというか常識に欠けている。二人のやりとりをばかばかしく演じる。悪意はないが、不躾なことばをつかう。杢兵衛さんに面と向かって古だぬきの杢兵衛さんと言ってしまうのと似ている。無礼は笑いにつながる。 

「ちりとてちん」「お化け長屋」はポピュラーだから内容については触れない。一之輔にしても白酒にしても笑わせ方に個性がある。どう違うかを説明するのは難しい。それぞれ聴いてもらうしかないけど、いずれもちょっぴり毒が混じっている。しびれるとか苦いとかの差がある。

 というところで、暑さも吹き飛ぶかというと、そうはならない。蒸し暑い。

2023年8月21日 (月)

「君たちはどう生きるか」

 遅ればせながら「君たちはどう生きるか」を観てきた。

 前宣伝なしが話題になった。それで集客できるかと疑問の声もあったようだが、さすが宮崎駿。大ヒットとなった。ジブリブランドは健在だ。

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 戦前の話。真人少年は母親を火事で亡くす。疎開先であたらしい母と出会う。妊娠している。亡くなった母と似ている。藤壷か。屋敷内には古く不気味な洋館がある。母親が使用人の老婆とともに行方不明になり、その古い建物の中を探ることになる。

 ロングセラーの「君たちはどう生きるか」とは関係ない。真人がたまたまそれを読むシーンがあるが、吉野源三郎の世界とは関係ないと考えた方がよい。

 で、パラレルワールドというか別世界(下の世界)を真人はアオサギとともに探索することになる。アオサギは不気味でメフィストフェレスのようであるが、途中からは相棒というかサンチョパンサのようなった存在となる(メフィストだのサンチョだのは説明を省く)。神話の世界を巡るような展開となる。古事記のイザナギイザナミ、出エジプト記のモーゼをちらりと連想させる。

 観た人に感想を聞くと、わからないという声が多い。確かに。宮崎駿の妄想、想像でできあがっている。だからわからないとなるが、どうにでも解釈できる。

 声優を本業とする人は出ていない。菅田将暉とか柴咲コウなど著名な俳優さんばかり。だから素人っぽいとも言える。せりふは明瞭だが棒読み。最初は違和感を抱くが、途中からはそれを感じない。アフレコ専門の声優とは違う。監督の狙いがわかる。

 妄想だから、映像(アニメーション)をそれほど見ていなくても内容はわかる。連想は広がる。説教臭はない。

2023年8月19日 (土)

長い髪の球児

 タカサゴユリが咲き始めた。例年より遅い。7月末には咲き始めていたような気がするから、かなり遅れている。数も少ない。道の両側にあふれるようだったが今年はちょろちょろ。暑さのせいだろう。それ以外の理由は思いつかない。

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 高校野球もきょうが準々決勝。あとわずかとなった。

 話題になっているのは球児の髪型である。長髪のチームが目だつという。準々決勝まで進んだ8チームのうち3チームが髪型自由。丸刈りでないチームは昔からあったから、とりたてて騒ぐほどのことでもないけれど、3チームもベスト8に勝ち残ったことは珍しいかもしれない。

 気になるのはテレビ放送がそれを長髪と呼んでいることだ。映像を見ればわかる。長髪ではない。短髪と呼ぶべきだろう。

 反対に丸刈りと呼ぶのもひっかかる。クリクリに刈り込んだ選手もいれば1センチ以上伸ばした選手もいる。ひとことで括るのはむつかしい。

 今は丸刈りとか坊主頭が多いが、今後は少なくなっていくのは間違いなかろう。網型自由。長髪も丸刈りもツーブロックも、あるいはスキンヘッドの選手もいるチームが甲子園に出場するのではないかと期待している。

 ひとのことよりわが頭髪。ハゲというほどではないけど、かなり薄くなった。てっぺんがひどく薄い。いい歳(後期高齢者)だから致し方ない。友人と比べりゃ、まだまし。これ以上ハゲれば、坊主頭にするのも手だが、それは避けたい。アタシに坊主頭は似合わない。坊主頭なれば、ちびまる子ちゃんのおじいちゃんになってしまう。そっくりさんは避けたい。

2023年8月17日 (木)

(旧ツイッター)

 ツイッター社の名前が変わった。Xである。ツイッターになじんできたから名称変更には戸惑う。未知数の文字Xではなんのことかわからない。新聞では、X(旧ツイッター)としている。

 このままいつまでも(旧ツイッター)が続いていくのだろうか。例の教団が(旧統一教会)とカッコ付きで表されるのと似ている。

 変更された名称が世に定着するまでには時間がかかる。横浜ベイスターズも正しくは横浜DeNAベイスターズである。しっくりしない。私の頭の片隅には大洋ホエールズが残っている。

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テレビではAGCの広告がかなりの頻度で流れている。AGCがどんな会社か多くの人は知らない。元の名は旭硝子である。それなら、ああ、あのガラス会社だとわかるが、事業拡大、多角化に伴い、ガラス事業はメインではなくなった。で、社名を変えた。変更後20年近くたっているが、AGCが元旭硝子だと知っている人は多くない。だからAGCを流布させるため多量のCMを投下している。

 もうひとつ、ことし、日本電産がニデックと社名を変えた。ローマ字で書くとNIDEC。こちらも広告投下量は多い。

「ニデックって なんなのさ。ニデック ニデック 名前覚えてねー」と、テレビCMはニデックの知名度をあげるというストレートな内容になっている。

 回るものとか動くものとか事業内容も盛り込んでいるが、さて、効果はどれほどか。素材メーカーだけに世間には浸透しづらい。定着させるには時間がかかる。これからもて定着のためのCMは続いていく。

 Xもこのままではダメだろうな。(旧ツイッター)が続くのか。そのうち、また社名を変えるんじゃないかな。むかしの名前で出ていますとか。

 

2023年8月15日 (火)

『侠』松下隆一の流儀

 図書館で借りた『羅城門に啼く』を読み始めた。作者は松下隆一。もともとは脚本家であるが、小説も書いている。先だって『』を読んだ。おもしろかった。で、以前書いたものを手にした。

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『侠』はこんな小説である。

 60になる銀平は体調が思わしくない。かつて賭博の凄腕でならしたが、いまは下町で蕎麦屋を営んでいる。人ひとりが生きていける小商いである。

 その蕎麦屋に何人かの人物が訪ねてくる。客であったり、むかしの知り合い、銀平に過去を思い起こさせるような人であったりする。

 病はすすみ、死期は近い。銀平は残る力を振り絞って最後の賭場に向かうことになる

 ま、よくある時代小説、市井ものだが。なかなか読ませる。すがすがしい虚しさと言ったらよいか、からりとした心地よさがある。

会話がいい。説明的なむだな会話はない。本業は脚本家、そのあたりは手慣れたもの。

 さらに、伏線の回収という点で気をつかっている。これは脚本家が意識するところだ。過去の事件がよみがえったり、むかし出会った人物が登場して、結末に向けて収束していく。

  伏線の回収などそれほど気にしなくてもいいとおもうのだが、そのあたりは脚本家の宿命だろう。回収という視点で読んでみるのもおもしろい。

 最初にもどって、『羅城門に啼く』。平安期の京。疱瘡がはやり、餓死者もあふれている。イチは仲間とクマとヤマと連れて盗み、押し込みを繰り返していたが、空也上人と出会い、改悛する。死者を弔っているうちに、死にかけている若い女に出会う。そして介護するうちに、この女は、かつて自分が殺めた人物の娘だと確信する。

 このあたりまで読んだ。伏線はどう回収されていくかに興味は絞られるが、長谷川伸の股旅物と重なるような匂いもする。

 

2023年8月13日 (日)

「リボルバー・リリー」

 猛暑日が続いている。葉はしおれ、枯れてしまった植栽も目だつ。除草剤を蒔かれたせいでもないのに。

 だるい。暑さのせいばかりではないが、暑さのせいにして、なまけものを決め込んでいる。外出はスポーツジムかコーヒーショップ、そして映画館。スポーツジムでは軽い運動。疲れないない程度に汗をかく。コーヒーショップでは読書。活字の大きいもの。映画は難解なものは避ける。無邪気な娯楽もの。

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 その映画、「リボルバー・リリー」を観てきた。綾瀬はるか主演のアクションもの。監督は行定勲。座席はけっこう埋まっていた。

 時代は関東大震災の翌年、機密資金を手に入れようと陸軍と海軍が対立する。鍵を握る少年を確保しようと陸軍の手が伸びるが、小曽根百合(綾瀬はるか)が立ちはだかってドンパチ。

 銃弾の乱れ撃ちはたわいもないアクション。「ミッション・インポッシブル」ほどの迫力はない。ま、ぼんやり観ていればよいのだ。

 阿部サダヲ演ずる山本五十六が。資金をどう使うのかと問われて、開戦を10年引き延ばして、その間に日本が生き残る道をさぐると答える。

 なるほど、山本五十六なら言いそうなせりふだと、印象に残った。

2023年8月11日 (金)

「トゥ・レスリー」

 暑いですねえと挨拶する日が続いている。いいかげん飽きた。虫の声が聞こえるようになりましたねえと言いたいところだが、まだセミががんばっている。それより、台風が近づいているのが気がかり。

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 アートセンターで「トゥ・レスリー」を観てきた。主演のアンドレア・ライズボローがアカデミー主演女優賞にノミネートされた以外は、それほど話題にはなっていない。期待しないで観た。これがけっこう良っかった。派手なシーンはない。お涙ちょうだいでもない。ほんわかとしたいい映画である。

 レスリーはシングル・マザー。ロトで19万ドル(2500万円)を手にするが、ほとんどを酒につぎ込んでしまう。6年後、家賃も払えなくなり、アパートを追い出される。独立して働いている息子のところに駆け込むが、酒を断つとの約束も簡単に破ってしまう。そこも追い出され、行き場を失う。救ってくれたのはモーテルのマネジャーというか従業員。そこで清掃の仕事を始める。しかし、世間の目は冷たい。

 といった、ま、ありふれたストーリーである。人生のリスタートとなるかが後半のみどころとなる。

 主演のアンドレア・ライズボローの演技に注目は集まるが、相手役となるモーテルのマネジャー・スウィニー(マーク・マロン)も好感が持てる。おすすめ。

 ついでのひとこと

「アートセンターに「絶唱浪曲ストーリー」のチラシが置いてあった。9月に上映するという。この映画、ユーロスペースで観た。浪曲というマイナーな世界を描いたドキュメンタリーで、まさかアートセンターでやるとは思わなかった。

 渋谷や新宿のミニシアターで観た映画がしんゆりでも掛かる。上映されるなら都心までわざわざ出かけることもなかったのだが、ま、自分の映画の選び方もまんざら悪くなかったというか。アートセンターのセレクション傾向が私の好みと似ているとも言える。

 

 アートセンターでやると思われるものは、わざわざとしんんまで出かけない。

 

2023年8月 9日 (水)

棋士の一分

 元プロ棋士の橋本崇載容疑者を鑑定留置するとの記事が新聞の片隅に載っていた。

 橋本容疑者は元妻とその父親を鍬のようなもので殺そうとしたとして逮捕されていた。天才肌の棋士でA級まで上りつめた棋士だった。NHK杯では金髪、派手なシャツ姿で登場したのを記憶している。

棋士の一分』という著作がある。将棋界の将来を憂える内容だった。もう一度読み返そうと本棚を探したが見つからない。本を整理する際、捨ててしまったのかもしれない。

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 記憶をたどって内容をまとめると、このままでは将棋界は衰退してしまう、将棋教室も経営が成り立たなくなっている、将棋人口は減っている、将棋連盟の改革が必要という趣旨だった。背景にはAI将棋にどう対処したらよいかという棋士の戸惑いもあった。

 それなりの説得力はあったが、これらの問題を一気に吹っ飛ばす事態となり、橋本の杞憂は雲散霧消した。藤井聡太の出現である。プロとなり、あれよあれよという間に昇段し、今や7冠となり、あと一つでタイトルを全制覇するまでになった。

 一躍、将棋ファンは広がり、将棋教室も活況を呈することになった。藤井七冠が昼飯になにを食べたかまでがニュースとなり、将棋バブルは絶頂期を迎えている。藤井聡太の活躍で橋本の杞憂は吹っ飛んでしまった。

 気分にうかれるのもよいが、今はバブルの絶頂を考え、さらに先を見据えて、将棋界の将来を考えてみるべきだろう。たとえば、海外普及の強化とか。

 話題をさらに盛り上げるには、藤井聡太からタイトルを奪取することだ。挑戦者には、棋士の一分、意地でぶつかっていってもらいたい。こっちは、何度も書くが、中学高校の先輩だから、八冠をとるまでは藤井を応援するけど、そのあとは、挑戦者の一分に声援を送るつもりだ。

2023年8月 7日 (月)

「遺灰は語る」

 アートセンターで「遺灰は語る」を観てきた。風変わりな映画である。

 ノーベル賞の授賞式のシーンから始まる。ノーベル文学賞を受賞したイタリアの作家が1936年に亡くなる。シチリアに埋葬してくれとの遺志だったが、ローマに留め置かれた。戦後になり、シチリアに移送させられることになった。アメリカ軍の飛行機でシチリアに飛ぶことになるが、遺灰と一緒はいやだという客がいて、結局、鉄道でシチリアに向かうことになる。途中、遺灰を入れた木箱は行方不明となるが、ほどなく見つかり、無事シチリアに到着する。が、ここでもトラブルは続き、葬儀というか遺灰を納めるまであれこれある。

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 映画を観ながら思い出したのはショパン。パリで亡くなったショパンは埋葬されるのだが、心臓だけがひそかに故郷ポーランドに持ち出される。ホルマリンだかコニャック漬けにされた心臓はいまもワルシャワの教会の柱の中に祀られている。ショパンの姉が持ち出したのだが、輸送には相当の困難があったと思われる。それはこの映画とは関係はない。 

 映像はモノクロ。むかしのデ・シーカかロッセリーニの映画のようなといった味わいがある。ユーモアのセンスも時代を映している。シチリアの岩だらけの風景も印象的である。

 ここまではモノクロだが、最後はカラーになる。作家が書いたという短編に切り替わる。アメリカに移民した少年の話。「釘」というタイトル。これがよくわからない。本編との直接のつながりはない。

 この短編も、何十年も前の映画を観ているようで古臭いが、なつかしい風情も漂ってくる。不思議な映画だ。

 

2023年8月 5日 (土)

コロナは続くよ いつまでも

 5月以降、コロナに感染したという友人知人が増えている。5類移行によって解放された気分になっているが、コロナはまだ収まってはいない。

 6回ワクチン接種をしたのに感染したという友人がいる。症状は治まりつつあるけれど、のどと気管支に痛みがあるそうだ。6回接種してもこれだから、ワクチンにいかほどの効果があるか疑わしい。

 もうひとりはダイアモンドプリンセス号のクルーズで感染した。コロナといえばこのクルーズ船だ。なつかしい。

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 ほとんどが会食、飲み会で感染している。換気の悪い部屋でのおしゃべりである。ウイルス感染者がいれば高い確率で感染する。マスクをしていてもその効果は限定的である。

 わたしはほとんどマスクはしない。映画館でも寄席でも。胸のポケットにチーフのようにマスクを入れている。満員電車で着けるぐらいか。あるいは病院。だから、毎日マスクを取り替えるようなこともしていない。

 ワクチンに感染抑止効果がないのに、厚労省はあらたに2500万回分をファイザーとモデルナから購入するという。冬の感染拡大に備えるということだが、さて、効果はあるのか。足りないとなると大騒動になるからそれへの備えと勘ぐってしまう。

 それにしてもいつ収束するのだろうか。100年前のスペイン風邪は数年で収束したのに。

 ついでのひとこと

 猛暑は続いている。こちらも長い。

 今日の暑さに少し萎れる

2023年8月 3日 (木)

「ぼくたちの哲学教室」もういちど

  北アイルランドのベルファストにある小学校を描いた「ぼくたちの哲学教室」をユーロスペース(渋谷)で観たのは2ヶ月ほど前のこと。地味なドキュメンタリー映画だから、新百合ヶ丘ではやらないと思っていたが、アートセンターでもやることになった。渋谷までわざわざ行かなきゃよかったと思わないでもないが、もういちど観るチャンスができたと思うことにした。

 驚いたには観客の多さである。アートセンターのスタッフに聞いてみると、連日入りはよいという。これならアンコール上映となるかもしれない。

 以前書いたからくわしくは繰り返さないが、この小学校の校長はプレスリーファンでグッズを校長室や車の中にも置いている。携帯電話の待ち受けもプレスリー。前回、呼び出し音を「監獄ロック」と書いたが、正しいは「ハウンドドッグ」だった。そのすぐ後に「監獄ロック」がながれる。だから勘違いしてしまった。

 日本でも、哲学カフェと称した討議がひろくなされるようになっている。ボールを持った人が発言する。次の発言者(誰になるかはわからない)にボール渡され、トークを続けていくやり方がある。この小学校でもその方法がなされており、たびたびボールが映し出される。

 小学校ではけんかがしばしば起きる。そんなときは当事者の二人をまじえて話し合う。なぜ怒ったのか? 怒りの源は? 怒りを鎮めるにはどうしたたらよいか? を話し合う。

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  セネカの『怒りについて』は 前回のブログに書いたが、もうひとつ本がちらっと映る。『ストア派哲学入門』。日本でも翻訳されている。写真がそれ。ケヴィン校長の愛読書だそうだ。

  いま、しんゆり映画祭では今年10月末から始まる上映会の映画を選定である。今年は間に合わないが、北アイルランドを舞台にした映画の特集が組めないか提案しようと思っている。この「ぼくたちの哲学教室」と「ベルファスト」。いずれも北アイルランド紛争を背景にしている。

 

2023年8月 1日 (火)

少子化のリアル

 7月、同世代の会食、飲み会があった。いずれも人数は5人。みな後期高齢者である。

 孫が何人いるか問うてみた。どちらのグループも5人だった。

 夫婦二人と二人の子がいるのをむかしは標準家庭と言った。すでにこのことばは使われなくなって久しい。標準はきわめて少数派になっている。

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   夫婦が二人の子を産み、その子が結婚し、それぞれ二人の子を産んだとすると、孫は4人になる。5家族なら20人になる。それで人口は維持されるわけだが、5人とは先細りの極みである。それがジャパンの少子化の実態である。

 孫が少ないのは、結婚していない、結婚しても子ができない、子はひとりで十分と思っている人が多い、というあたりが理由だろう。

 私は戦後ベビーブームの時代に生まれた。年間出生数は250万人を越えていた。それが、いまは80万人を切っている。少子化の極みである。

 政府や公官庁は少子化対策だ、子育て支援だなどと力を入れているが、結果は伴っていない。

 隣の韓国は、日本以上に出生率は低い。中国はもともと一人っ子政策をとっていたこともあり、そのタガがはずされてもなかなか元には戻らない。受験や就職が大変だから結婚しない、子を産まない考える若者も多いという。

 妙案はない。文化が爛熟すると少子化に拍車がかかる。

 よけいなことは考えずに、移民を緩和するのも手だろう。アメリカは移民規制をしているけれど、もともと移民国家である。人種差別民族差別はあるけれど、移民には寛容な国である。

 日本人だの大和民族だの考えなければ、ほっておいてよい。水が高きから低きにながれるように、自由と仕事のあるところには人は集まってくる。

 心配するのはひとつ。強制的に子供を産ませるような主張が高まらないかということ。タリバン的な女性蔑視が広がらないかということ。女性は家にいて子を産んで育てろとか。女性を産む機械のように言った政治家がいたことを思い出す。

 男も子を産めと発言した女性活動家がいたのもついでに思い出した。 

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