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2023年9月

2023年9月28日 (木)

「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」

 くせ者・クローネンバーグ監督の「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」をアートセンターで観てきた。近未来を描いたSFものとチラシにある。おもしろそうだけど、わけのわからん内容になっているのではないかと懸念する。

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 冒頭、プラスティックのバケツを食べる少年が登場するが、たちまち母親に殺される。なんのこっちゃ。さらに、ヒトの内蔵が進化して増殖していく人間が現れた。腫瘍なのか進化なのか。その臓器を摘出するシーンを公開する医者なども登場する。政府機関はその広まりを怖れ、阻止しようとする。臓器摘出シーンはグロテスク。この手のものが嫌いな人にはお勧めしない。

 奇っ怪な内容に驚くばかりで、老化した頭脳はついていけない。若い頃なら、その奇っ怪さを楽しんだかもしれないけど、後期高齢者には無理だな。

 それにしてもクローネンバーグの思考はどうなっているのか。妄想と片づけることもできるが、ウイルスの暴走だのAIの進化だのといったことを考えると、妄想も暴走していくんだと冷静な考えも浮かんでくる。

 最後に、プラスティックを食べる少年の意味が明らかになる。辻褄はあう。

 そうだけれど、たわいもないホームドラマである「高野豆腐店の春」を観た方がよかったかもしれない。

2023年9月26日 (火)

八起寄席 文菊 圓雀

 古今亭文菊を聴きにいった。相模大野の「八起寄席」。

 8月末に聴いた「猫の災難」とびぬけてよかった。軽い噺であるけれど、文菊の手になると、どことなくおかしみが滲み出てきて一級の滑稽噺になっていた。さすがである。

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 で、今回の演目。

 立川うぃん 片棒

 古今亭文菊 鹿政談

 三遊亭圓雀 佐野山

 うぃんはとばして文菊さんの「鹿政談」。鹿を殺めた罪でお裁きを受ける豆腐屋の噺である。奉行は豆腐屋を助けようと、鹿ではなく犬ではなかったかと裁こうとする。奉行をけれんたっぷりに、歌舞伎のように演じるのが文菊風。ばかばかしく、笑いたっぷりの噺に仕立てていた。

 圓雀さんは相撲通である。すもうの浴衣は100枚以上持っているという。相撲好きの噺家はたくさんいるが、そのなかでもトップクラスである。で、演目も「佐野山」。

 引退間近い相撲取り佐野山に花を持たそうとする横綱谷風の情け相撲の噺である。相撲好きらしいエピソードをたっぷり織り込んでの熱演であった。

 それにしても9月の大相撲はどんぐり場所であった。熱海富士の活躍で盛り上がったけど、水を差したのは優勝決定戦。 つまらなかった。がっかりした。

2023年9月24日 (日)

小笠原諸島

 小笠原は遠い。東京からだと丸一日(24時間)かかる。飛行場はないから船で行くしかない。外国、たとえばアフリカとか南米に行くより遠い。

 先だって、和光大学の岩本教授の小笠原についての話をうかがった。岩本先生は首都大学東京(当時)の客員研究員として2019年、父島に滞在した。専門分野はよくわからない。はばひろい。万福寺にんじんの会のお手伝いもしていただいている。

 幕末から明治にかけても小笠原の所属はあいまいであった。もともとは無人島で、難破船が漂流してたどり着く島であった。ジョン万次郎がそうである。19世紀となりイギリスやアメリカの捕鯨船がやってきて諸島を測量している。イギリスは領有の銅板を残している。

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 どういう経過で小笠原が日本の固有の領土になったか、あまり話題になることはないけれど、歴史のスキマのようないきさつがある。

 アメリカは捕鯨に力をそそいでいたが、油田の発見により捕鯨の相対的価値は低下した。小笠原への関心が薄れることになった。イギリスはインドや中国の抵抗運動もあり、香港統治に集中せざるを得なくなった。ロシアはクリミア戦争の敗北により、それどころではなくなった。フランスも二月革命後の混乱でアジアへの関心は薄れていた。

 ちょっと飛ばして明治。

 1976年、明治政府は各国に日本の統治を通告した。異議はだされず、小笠原は日本領として確定した。あっさりしたものだった。西欧のアジアへの帝国主義的圧力が一時的にせよ弱まった時期だったと言える。

 島のアホウドリは日本にとって大切な輸出品となった。羽がアクセサリーとしてヨーロッパに大量に輸出された。ところが、乱獲によりアホウドリは絶滅してしまった。

 わたしのあたまにあるのは、アホウドリの繁殖計画である。どうなっているかはよくわからない。また島には、唯一のほ乳類の固有種がいる。オガサワラオオコウモリである。一度、観てみたい。

 飛行機が飛ぶようになったら行ってみたいが、いまのところは、ムリ。ま、NHKのドキュメンタリー番組を観るていど。 遠い島である。

 

2023年9月22日 (金)

夏の疲れ

 ようやく酷暑は去った。雨のせいで湿気は高いからさわやかな気分にはなれない。さらに夏の疲れが押し寄せる。ここ数日はぼんやり過ごしている。

 夏バテは人だけではない。彼岸花はうまく咲かないでいる。万福寺にんじんは暑さでやられたという声を聞く。地元の禅寺丸柿も思うようには実っていない。

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 ケネス・ブラナー主演・監督の「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」を観てきた。ブラナーものなら観ておいた方がよい。

 1947年のベネチア。降霊会に招かれたポアロが超自然現象の謎に挑むといった内容である。大音響と鋭角的なカット割りで観客をミステリアスな世界に引きずりこむ。しかし、こちらは夏バテ気味。ぼんやり頭でついていけない部分がある。あれっと思っているうちに事態が急変する。もういちど観ないとわからない。いや、観てもわからないかもしれない。

 ま、いいか。

 イオンシネマでは今日から「福田村事件」が上映される。てっきりアートセンターの方でやるものと思っていたが、シネコンでということもある。

2023年9月20日 (水)

志ん生 カラーでよみがえる

 あかあかと日はつれなくも秋の風、ではあるけれど、まだまだ暑い日が続く。あちこちで猛暑日となっている。セミもがんばっていたが、ついに鳴き声は途絶えた、これで秋の虫の鳴き声となるはずだが、まだ鳴くには早すぎると思っているのか、草陰で身を潜めている。このぶんだと、スズムシやコオロギが鳴きはじめるのはクリスマス近くになるかもしれない、そんなことはないか。

 ことしは、古今亭志ん生が亡くなって50年になる。その追善としていくものイベントが開催されている。

 日曜にはNHKでモノクロをカラー化したビデオを放映した。録画しておいたのを観た。IT技術の進歩により自然色に近い画面になっている。

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 志ん生の時代にビデオはかろうじて間に合ったわけだが、ビデオはわずかしか残っていない。それをカラー化した。

 演目は「風呂敷」。亭主が留守をするので、若い男を連れ込むが、とつぜん亭主が帰ってきてしまう。押入に隠すのだが、その前に亭主は座り込んでしまい動かない。さてどうするかという古典噺である。

 志ん生のマクラはおもしろい。女も後家になると色っぽくなる。どうしてだかわからないが、そうなる。それを聞いていた男が、うちのカカア後家にしてみてえ

 

2023年9月16日 (土)

「658km、陽子の旅」

 アートセンターで熊切和嘉監督の「658km、陽子の旅」を観てきた。主演は菊地凛子

 ヒッチハイクで青森まで行こうとする女性(菊地凛子)の物語である。

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 長く会っていない父親が亡くなって、いとこ(竹原ピストル)の家族とともにクルマで葬式に行こうとするが、トラブルあっていとこ家族とはぐれてしまう。あいにくケータイは壊れており、手持ちの金は少ない。結局、ヒッチハイクを選択することになる。はたして出棺までに間に合うのか。設定にちょっとムリがあるような気がしないでもないが、ま、いっか。

 人とコミュニケーションをとるのが苦手の陽子はなかなかクルマに乗せてもらえない。やっとにことで、シングルマザーにサービスエリアまで送ってもらったり、若いヒッチハイカーとなかよくなったり、いわきあたりでは親切な老夫婦に助けられたりする。

 人の情けにつかまりながら・・・、情けにすがるのがヒッチハイクである。ヒッチハイクを繰り返すうちに、陽子は自分のことを語り出す。18で東京に出て、いま42歳になった。父と別れたとき、父は42だった。あれからずっと父と会うことはなかった。

 熊切監督の作品は「私の男」を観て以来だ。ストーリーはわすれてしまったが、荒涼たる、寂しい風景が印象に残っている。

 本作でも、たどりつく青森は寒々しい雪景色である。

2023年9月14日 (木)

「忖度」について考える

 忖度ということばがもてはやされるようになったのはいつ頃だったか、20年以上は経っているが、いまだにつかわれている。日常語として定着している。

 意味は、相手の気持ちを推し測ること。配慮と言い換えることもできるが、それでは足りない気もする。「政治的配慮」ならそれに近くなる。「惻隠の情」では時代がかっている。

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 斉藤美奈子の東京新聞のコラムが目についた。二度「忖度」をつかっている。いずれもかっこにつき。ジャニー喜多川に対するマスメディアの長年の忖度(黙認)。もうひとつは、維新の会に対する在阪テレビ局の過度な忖度(協力?)。忖度が幅広い意味でつかわれているってことだろう。斎藤美奈子のコラムの表題は「ヨイショの構図」となっている。暗黙のヨイショってことか。

 国語辞典をあらためて開いてみた。新明解第8版。

 自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること。「相手の立場や気持ちを忖度する」[近年、特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられることがある。例、「政治家の意向を忖度し、情報を隠蔽する]]

 なんとまあ、妥当な語釈、用例だと感心する。新明解、えらい! (ヨイショ)

 忖度がはびこる組織は、いずれ衰退していく。

2023年9月12日 (火)

「福田村事件」

 今年は関東大震災から100年にあたる、マスコミは特集を組んで朝鮮人大量殺害事件をとりあげていた。朝鮮人が暴動を起こしたとか井戸に毒をいれたとかのデマを信じた住民が自警団をつくり、朝鮮人をつかまえて虐殺した。

 デマは情報が少ないところに発生する。ラジオ放送が始まったのは1925年。もうすこし早く始まっていたなら、かなり防げたのではないかと推測する。

 朝鮮人以外も殺された。福田村、現在の野田辺りでは、讃岐からの薬の行商人が9人朝鮮人と間違われて殺された。この事件は長く伏されてきた。わたしが福田村事件を知ったのは数ヶ月前のこと。映画館におかれていたチラシによってである。へー、こんな事件があったんだと。

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 都心に出かけたついでに新宿で「福田村事件」を観てきた。いずれアートセンターでもやるだろうが、ま、早いほうがよい。監督は森達也。初めての劇映画である。

 ことばづかい(讃岐弁)で朝鮮人だと思い込んだ福田村の住民が手を下したと解説するコラムがあったが、映画はすこし違う。讃岐弁が朝鮮人の発音のように聞こえるかというとそうでもない。朝鮮人はガギグゲゴがうまく発音できないから言ってみよというシーンがある。讃岐の人たちはきちんと言えるからことばで判断されることはない。では、なぜ朝鮮人と間違われたかというと深い根拠はない。集団ヒステリーというような空気が支配していたというしかない。薬売りたちは非差別部落民であった。非差別民だから殺されたわけでもない。

 事件が起きたのは9月6日である。地震の日からすこし間がある。その間、なんら情報が届かなかったわけではない。自警団の見守りも緩くなっていた。それが暴発した。

 ふだんは温厚で人柄のよい住民が集団となると我を忘れて凶暴になることがある。群衆心理がはたらく。

 映画は水平社運動の一端を映し出している。水平社宣言の一部を薬売りたちが声高く唱えるシーンがある。非差別部落落出身者だったからだが、そっちに引きずられているきらいがある。水平社うんぬんは映画としては蛇足だろう。

 自警団のリーダーは水道橋博士が演じている。頑迷な悪役なのだが、登場人物ではいちばん印象に残る。

2023年9月10日 (日)

赤坂でジャズ

 アブラゼミの鳴き声がぴたりとやんだ。いくら暑さが続くとはいえ、そういつまでも鳴いているわけにはいかない。いまは、ツクツクボウシの声が聞こえる。しかし、こう暑さが続くと、来年羽化するはずのセミが地上に現れるかもしれない。そんなことはないか。

 久しぶりに赤坂でジャズを聴いた。赤坂スイング・オールスターズ。年に一度、この時期に結成されるジャズバンドである。

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 メンバーはピアノの秋満義孝、クラリネットの花岡詠二、ベースの根市タカオら5人のクインテット。これにボーカルが加わる。

 このメンバーで特筆すべきはピアノの秋満さん。御歳94歳。コロナ禍で2年間開催されなかった。秋満さんはどうなっているか、ずいぶん衰えてしまっているのではないか、ひょっとして亡くなってしまっているのではないかと余計なことを考えていたのだが、心配することはなかった。健在であった。しゃべりも達者で、ぼけてもいなかった。

 メンバーの年齢も高いが、観客も高齢者がほとんど。したがって演奏する曲はなつかしいものばかり。ベニー・グッドマンペイスト。終戦直後のポピュラーナンバーが多い。オーバー・ザ・レインボウ、アマポーラ、ひまわり、小さな花、ベサメ・ムーチョ、ハッシャバイ、テネシーワルツなど。

 もうひとり感心するのは、花岡さんのユーモアあふれるしゃべり。これが絶妙。クラリネットにおとらずトークも一流である。

 目をつぶれば懐かしい日々が浮かんでくる。ここちよい。 

2023年9月 8日 (金)

菊之丞 たっぷり二席

 古今亭志ん生没後五十年の追善公演が末広亭の9月中席で行われる。ついでだから先代金原亭馬生没後四十年、古今亭志ん朝二十三回忌、先代古今亭園菊十三回忌も一緒に追善する。さらに五街道雲助の人間国宝認定も祝う。てんこ盛りである。 

 こうも詰め込むと一人一人は印象は薄れる。それぞれ個別にやった方がいいのではないかと思う。

 古今亭菊之丞の独演会(生田寄席)に行ってきた。十三回忌の園菊の弟子である。

 菊之丞は50歳になった。もうベテランと言ってよい。本寸法の芸。とりわけ色っぽい演目が似合う。都心では「五十の手習」と題する勉強会を定期的に開いている。

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 今回の演目は「唐茄子屋政談」と「寝床」。いずれも大ネタと言ってよい。それをたっぷり演じた。

 寄席では、たっぷり! という掛け声がかかる。時間を掛けてやってくれという声援なのだろうが、実のところよくわからない。細部まできちんとやってくれという意味と理解している。

「寝床」は義太夫大好きの旦那の噺である。下手でとても聴けるようなシロモノではない。が、周りはそれを言えない。みな理由あげて義太夫の会を欠席しようとする。旦那は機嫌をそこね、暴挙に出る。困った店の者や店子はいやいや義太夫を聴くことで旦那の機嫌を治そうとする。

 その機嫌を治していくあたりの旦那の様子がおもしろい。なだめのことばで、旦那は次第にやる気になっていく。ここを、たっぷりやった。会場は爆笑となった。ここあたりを説明するのは難しい。実際に聴いてもらうしかない。

「唐茄子屋政談」もたっぷりやった。若旦那が勘当されてぼろぼろになる。叔父さんが救いの手を出し、棒手振りの仕事を与えられる。ここまでをはしょる噺家が多いのだが、菊之丞はたっぷり時間をかけてやった。

 ということで、まさにたっぷりの会であった。

2023年9月 6日 (水)

格差は広がる

 トマ・ピケティの『21世紀の資本』がベストセラーになったのはいまから10年ほど前のことである。

 内容をひとことでいえば、資本収益率は経済成長率より大きい、富は給与生活者より資産を有する者(資本家)に多く蓄積されていく、ということである。わかりやすい。こうして格差は広がっていく。

 長い年表をじっと眺めていると、格差拡大の傾向に反して格差が縮まる時期があるのに気がつく。戦争や大災害があった時だとわかる。

 金持ちの資産が失われる。さらに政策として、資産税や累進課税が強化されることもある。みな平等とはいわないまでも、格差は縮まる。終戦直後の日本がそうだった。

 ここまでは過去のこと。近年は、戦争や災害があっても格差は縮まらない。むしろさらに格差は広がっている。99対1といった議論、99パーサセントの富がわずかな人に偏在するようになっているとの見解である。

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 なぜか、ひとことで言うのは難しいが、背景にはAIの発展がある。AIを駆使したグローバル企業は稼ぎまくり、さらに税制網をくぐりぬける枠組みを構築している。こうして大富豪が誕生する。

 わかりやすい例をあげると、ハリウッドでの脚本家や俳優のストライキである。再上映やDVD化によって利益は広く再配分されていたのだが、ネット上映やAIを駆使した映画製作により、それがなくなったり、縮小した。稼いだ富は製作トップに集中することになった。

 ショック・ドクトリンもそのひとつ。今年、ショック・ドクトリンが話題になった。本は読んでいないのだが、NHKの「100分で名著」で知った。惨事に乗じて、国家的な仕組みをつくってしまう。国民が知らないうちに、管理体制の強化とともに儲けの仕組みをつくってしまう。コロナに乗じて一部の製薬会社は大もうけした。AIにより情報を集約させ、それをメシの種にした。別の表現をすれば、逆ネズミ算的に儲けるしくみをつくったわけである。

 AIはうまくつかえば豊かな社会づくりに貢献するが、副作用もめだつ。

 ピケティ先生、どうすればいいのでしょうか。

 

2023年9月 4日 (月)

「キャロル・オブ・ザ・ベル」

 アートセンターで「キャロル・オブ・ザ・ベル」を観てきた。ウクライナ映画だ。2020年の作品。時宜を得たというか今にふさわしい映画である。

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 1939年、ウクライナの町(当時はポーランド領)にあるユダヤ人のアパートにポーランド人とウクライナ人の家族が引っ越してくる。宗教の違いがあってギクシャクするが子供たちが互いの家族を結び付けていく。対戦が始まり、ユダヤ人の親はゲットーに送られることになったりして。ウクライナ人の夫婦はそれぞれの家族から子供を預かることになる。

 ユダヤ人の子はナチスに見つからないよう大きな柱時計の中に隠したりして子供たちを守るのだが、一人の子を死なせてしまう。ネズミに噛まれての病死だった。過酷な暮らしが続く。ようやく終戦を迎える。解放されると思いきや今度はソ連が共産主義を振りかざし、抑圧を強める。そして子供たちを引き離す。ウクライナに侵攻したロシア軍が子供たちをロシアに強制的に移住させるのと同じである。

 なんともやるせない。息苦しい。子供たちを慰め、救ってきたのは歌である。タイトルにある「キャロル・オブ・ザ・ベル」を歌う。ウクライナの民謡でる。子供たちがかわいい。

 一瞬、1978年のニューヨークのシーンになる。時代は流れた。と思いきや、ふたたび元のウクライナに戻る。これがラストシーンにつながるのだが、なぜこのシーンを挿入したかというと、息苦しいシーンが続くので、息抜きに早めに結論をチラリとみせたんじゃないかと、想像する。わたしの勝手な判断だが・・・。

 この映画の完成後、ロシアはウクライナに侵攻した(クリミヤにはすでに侵攻している)。世情にキナ臭いにおいを感じたから、この映画の製作につながったのかもしれない。

 映画の中で、戦争はいつかは終わるといったセリフがある。そうなのだろうが、現在ただいまの戦争はいつ終わるのか、先が見えない。

2023年9月 2日 (土)

愛玉子

 フクシマの処理水放水にあわせて中国は日本からの海産物の輸入を禁じた。なんと手回しがよいというか過剰反応というか性急な対応である。

 中国は、正しくは中国政府は、とつぜん方針を変えたりすることがある。説明をしないまま実施する。コロナ流行時の入国規制もそうだった。これらの対処を、ひとことで言えば、いじわる外交である。悪意を感じる。外国人にはそう映る。

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 昨年だったか、台湾からのパイナップル輸入をとつぜんストップした。理由は害虫が見つかったからというが、はたしてそうなのか。ことしになって台湾からのマンゴーの輸入も禁じた。これも害虫がいるからとか。

 台湾の果物農家にとっては大打撃となる。害虫うんぬんに根拠はない。打撃を与えることが目的であることは明らかで、悪意を込めたいじわる政策である。

  中国との取引には、突然取引が断たれるリスクに留意しておく必要がある。

  はなしは変わって朝ドラ「らんまん」。オーギョーチ(愛玉子)が登場する。台湾産のフルーツである。ゼリー状にして食べる。これを万太郎がおみやげとして日本に持ち帰る。

 台湾といえば愛玉子である。むかし、20年ほど前だったか日本でもちょっとブームになったことがある。三浦友和主演の映画で愛玉子を看板にする店(食堂?)が映し出された。二人連れがひたすら都心まで歩くロードムービーだった。映画の題名は・・・、あとになって「転々」であることを思い出した。 オーギョーチ、台湾、転々、私の連想はこうつながっている。

 むかしのブームはたちまちしぼんだ。今回の連ドラでどれほどオーギョーチが知られるかわからないけど、多少は輸入が増えるだろう。

 昨年、日本は台湾からのパイナップルの輸入を増やした。マンゴーが増えているかどうかは知らないけど、オーギョーチももっと増やしてもよい。アタシは食べます。

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