「福田村事件」
今年は関東大震災から100年にあたる、マスコミは特集を組んで朝鮮人大量殺害事件をとりあげていた。朝鮮人が暴動を起こしたとか井戸に毒をいれたとかのデマを信じた住民が自警団をつくり、朝鮮人をつかまえて虐殺した。
デマは情報が少ないところに発生する。ラジオ放送が始まったのは1925年。もうすこし早く始まっていたなら、かなり防げたのではないかと推測する。
朝鮮人以外も殺された。福田村、現在の野田辺りでは、讃岐からの薬の行商人が9人朝鮮人と間違われて殺された。この事件は長く伏されてきた。わたしが福田村事件を知ったのは数ヶ月前のこと。映画館におかれていたチラシによってである。へー、こんな事件があったんだと。
都心に出かけたついでに新宿で「福田村事件」を観てきた。いずれアートセンターでもやるだろうが、ま、早いほうがよい。監督は森達也。初めての劇映画である。
ことばづかい(讃岐弁)で朝鮮人だと思い込んだ福田村の住民が手を下したと解説するコラムがあったが、映画はすこし違う。讃岐弁が朝鮮人の発音のように聞こえるかというとそうでもない。朝鮮人はガギグゲゴがうまく発音できないから言ってみよというシーンがある。讃岐の人たちはきちんと言えるからことばで判断されることはない。では、なぜ朝鮮人と間違われたかというと深い根拠はない。集団ヒステリーというような空気が支配していたというしかない。薬売りたちは非差別部落民であった。非差別民だから殺されたわけでもない。
事件が起きたのは9月6日である。地震の日からすこし間がある。その間、なんら情報が届かなかったわけではない。自警団の見守りも緩くなっていた。それが暴発した。
ふだんは温厚で人柄のよい住民が集団となると我を忘れて凶暴になることがある。群衆心理がはたらく。
映画は水平社運動の一端を映し出している。水平社宣言の一部を薬売りたちが声高く唱えるシーンがある。非差別部落落出身者だったからだが、そっちに引きずられているきらいがある。水平社うんぬんは映画としては蛇足だろう。
自警団のリーダーは水道橋博士が演じている。頑迷な悪役なのだが、登場人物ではいちばん印象に残る。
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