「忖度」について考える
忖度ということばがもてはやされるようになったのはいつ頃だったか、20年以上は経っているが、いまだにつかわれている。日常語として定着している。
意味は、相手の気持ちを推し測ること。配慮と言い換えることもできるが、それでは足りない気もする。「政治的配慮」ならそれに近くなる。「惻隠の情」では時代がかっている。
斉藤美奈子の東京新聞のコラムが目についた。二度「忖度」をつかっている。いずれもかっこにつき。ジャニー喜多川に対するマスメディアの長年の忖度(黙認)。もうひとつは、維新の会に対する在阪テレビ局の過度な忖度(協力?)。忖度が幅広い意味でつかわれているってことだろう。斎藤美奈子のコラムの表題は「ヨイショの構図」となっている。暗黙のヨイショってことか。
国語辞典をあらためて開いてみた。新明解第8版。
自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること。「相手の立場や気持ちを忖度する」[近年、特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられることがある。例、「政治家の意向を忖度し、情報を隠蔽する]]
なんとまあ、妥当な語釈、用例だと感心する。新明解、えらい! (ヨイショ)
忖度がはびこる組織は、いずれ衰退していく。
« 「福田村事件」 | トップページ | 「658km、陽子の旅」 »
「言葉」カテゴリの記事
- べらぼう(2025.06.12)
- 草W(2025.04.23)
- ふとしたゆらぎ(2025.03.30)
- ルビ(2025.03.20)
- 谷川俊太郎 ふたつの詩(2025.01.05)
コメント